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第9話
「ご飯食べるんで手、離してください」
「あらそうね」
ごめんなさいと言ってマキさんはパッと手を離した。
ほっとしたのもつかの間、ジト目が降り注ぐ。
「あぁもう、その細い腰が羨ましい……」
「……っ、休憩行ってきます!!」
副音声で「羨ましい」のところで妬ましいという声が聞こえた気がする。
あまりにも強い視線に耐えられなくなったアツシはそそくさとその場から逃げ出した。
勿論休憩室にて賄いは美味しく頂いた……が、案の定残して受け取り際にいたコテツさんに殴られたのだった。
割とここまでが休憩の1セットだったりする。理不尽な話だ。
休憩が終わり22時になるとコテツさんとキイト、そしてチャロが上がる時間になる。
チャロは飲み屋通りを通らないと帰れないので毎回キイトかコテツさんが通りを出るまで一緒に帰るらしい。
コテツさんはマキさんと次回の打ち合わせをした後早々に帰って行くが、キイトはその日の気分で上がったり上がらなかったりする。
勉強したい時はロイさんとシマさんに伝えて残ってくれる。
とはいえ、バーテンダーの勉強の為の残務なのでフロアには入らない。
どうしてもの時は別だが、余程のことがない限りアツシだけで事足りる。
0時を過ぎれば殆どの客が帰っていく為、ここでシマさんも上がりだ。
それに合わせてキイトも勉強を終え、帰宅することもあればラストまで残って一緒に掃除をしてくれる時もある。
今日も閉店まで残って片付けを終一緒にしてくれる。
「いつもありがとな」
「えー、良いんスよー!でもだからってわけじゃないっスけど、今度はちゃんと話聞いてください!」
んじゃ、お疲れでした!と元気に手を振って帰っていく。
それに手を振り返しながらアツシは苦笑をもらした。
なんだかんだで慕ってくれているのが分かるというか、こういうところがあるのでキイトのことは憎めない。
さて、あとはゴミ出しをすれば今日の仕事は終了だ。
終了、だった筈なのだ。
なのに何故こんなことになったのか、アツシは最早悟りを開きそうな勢いでツラツラと考えていた。
ベラベラと目の前で口を開くのはピアスを沢山つけた茶髪のお兄さんだ。
さっさと離れたいところだが両手がゴミ袋で埋まっている上に相手が壁際に追いやってくるので動けない。
「ねー、本名教えて?」
「……嫌です」
ロイさんは客が誘い行為をすることもスタッフが客に本名を教えることも禁止している。
なので安心して働ける筈なのだがたまにこういう客は現れるのだ。
「あ、L○NEやってる?」
「やってません」
やってても教えるわけがない。むしろ何故すんなり教えてもらえると思っているのか。
「アッシュ君もたまには遊びに行こう、楽しいトコ教えてあげる」
意味深に肩を撫でられてアツシの腕にブワッと鳥肌が立った。それに合わせて思わず涙腺が緩む。
「い、行きません」
「そんな怖がんないでよー」
ゴミを押しつけるようにして抵抗するが相手はビクともしない。むしろ楽しそうにこちらを見ている。
性格が悪いことこの上ない。珍しくしつこい客に当たってしまった。
だいたい「たまには」とか言っているが初めて見る客だ。常連でも何でもない。
こんな客いただろうか?
あまり広くない店の中でもあちこち動き回っているので一人一人の顔までよく見ていない。彼がいたかも全然思い出せなかった。
「……ねぇアッシュ君ってさ、オメガ?」
しきりにこちらを誘っていたはずの男が急にアツシの顔を覗き込んでくる。
オメガと言われて思わずギクリと肩が震えた。
アツシのフェロモン量は少ないらしいし、相手にアルファの気配はない。多分ベータだろう。
アツシは素知らぬ顔で首を横に振った。
「……違います」
「ロイさんが君のこと気に入ってるみたいだったからどんな子か気になってて。勝手にオメガかと思ってたよ」
――またか……!
あの人はなぜかアツシを気に入っているらしい。多分いじり甲斐があるのだろう。
たまにそれを客にもこぼす事があるらしい。
だいたいそうすると嫉妬の眼差しを向けられるか、逆に興味を持たれるかのどちらかなのだが――今回は後者だったようだ。
「俺ロイさんみたいな人も勿論良いけど君くらいの子が好みだな」
くらいって何だ。顔面偏差値の話か。
確かに顔面偏差値でアツシはロイさんの足元に及ばない。
アツシだってパーツは悪くないのだが如何せん華がないのだ。しかし今日あったばかりの他人に言われるのは少々腑に落ちなかった。
だからと言って絡まれたいわけではない。
どうせロイさんじゃ相手にされないと思って大人しそうなアツシの方へ来たのだろう。
いいから大人しくロイさんの方へ行ってくれ。
口に出してないのでその気持ちが伝わるわけもなく、相手はどんどんこちらへと詰め寄ってくる。
アツシだって背は高い方だがヒョロいので力負けしてしまう。
ガシッと肩を掴まれる。結構痛い。
「ねぇ、本当にオメガじゃないの?」
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