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第42話

それに気づいてアツシは殆ど条件反射でビクンと肩を震わせた。 慌てて振り返れば欲を孕んだ瞳が見える。 カッと項が熱くなるがそれを拒絶する様に慌てて顔を背けた。 今、目が合ってはダメだ。 アツシの反応に応えてくれたわけではないだろうが、ロイさんはフッと息を吐き出すと両手を上へあげた。 「あぁ、ごめんごめん。もう何もしないよ」 そう言うと言葉通り本当にフェロモンをかき消してくれる。そんなことが出来るとは思わずアツシはパチパチと瞬きを繰り返した。 オメガであるアツシには出来ない芸当だが、アルファにはそれが出来るらしい。 出来るなら何故今までしなかったのか。 思わずツッコミを入れそうになるが考えるまでもない。今がたまたまそういう気分だからだろう。 むしろ一瞬フェロモンを向けられただけのアツシの方が欲を燻らせている。 ロイさんはそれが楽しいのか、素知らぬ顔をしつつも目の奥が笑っているようだった。 ――ほんっとうにこの人は……っ!! 羞恥でじわじわと顔が熱くなる。 知らぬ存ぜぬを通されているのだからきっと本当にする気がないのだろう。 なら、この燻りは鎮火させた方がいい。 わかっているのにそれが出来なくて焦る。 それを見ていたロイさんがクスクスと笑い声を漏らした。 「アッシュくん、したくなっちゃったの……?」 「ち、違……っ」 図星を突かれて体温が上がる。 それでもその事実を認めたくなくてアツシは必死に首を横に振った。 「ふぅん。まぁ、君がそう言うなら良いけど」 そうあっさり返したロイさんは気怠げに起き上がるとその場でぐいっと伸びをする。 「僕シャワー浴びてくるからそれまでにどうにかしててね」 本当に、本当に呆れるくらいあっさりとそう告げたロイさんはにこやかな笑顔で部屋を出て行った。 これは遊ばれている。 さすがのアツシでもそれは分かる。 「しっかりしないと……」 火照る身体を無理やり押さえ込むようにして息を吐き出すと、部屋の中からロイさんのフェロモンの残り香を感じた。当てられて少し過敏になっているのだろう。 さっき感じた僅かなものではなく、ロイさんが生活する部屋の中に染み込んだ香りらしい。 とにかく、この部屋から出よう。 アツシが慌てて立ち上がると部屋の外からシャワー音が小さく聞こえ始めた。 リビングで無駄にウロウロと歩き回ったりあれこれと仕事のことを考えることで何とかアツシが気持ちを落ち着かせた頃、ロイさんはケロリとした顔で戻ってきた。 ソファに座ってぼうっと新聞を読むロイさんの向かい側に座る。 「で、何で呼んだんですか?」 長居するとまたさっきの二の舞になりかねない。そう悟ったアツシは、さっさと用事を済ませようと本来の目的であった本題を尋ねる。 しかしロイさんはというと、 「特に意味なんてないけど?」 「……は?」 キョトンとした顔でそう返され思わず言葉を失う。 あれだけ昨日盛大に呼び出しておいてどういう事だろうか。 「意味ないんですか?」 「うん。んー……意味ないってこともないのかな。とりあえずコーヒー淹れて」 「えぇ……」 どういうことだ。 理解できずにアツシが呆れた声を出すとそれに気づいたロイさんはにこりと笑いかけながら首を傾けた。 あ、これはとぼける時の顔だ。 ロイさん自分でも淹れられる筈なんだけどな。 むしろアツシより上手に入れられる。なんせ自分はこの人に全て習ったのだから。 「お願い」 「…………、分かりましたよ」 顔がいい、何て思った自分は負けなのだろうなと思いながらもつい絆されてしまう。 そんな自分に内心呆れながらもアツシは渋々と立ち上がった。 まぁ、何もしないでいるよりはいい。 アツシは袖口を折るとキッチンへと足を踏み入れた。 それをカウンターまでついてきたロイさんが頬杖をつきながら眺めている。 此処のキッチンはオープンキッチンになっているのでコーヒーを淹れる時は割とそこがロイさんの定位置だ。 念入りに手を洗った後でいつものコーヒーミルに手を伸ばした。 「どうします?」 「いつものでいいよ」 「分かりました」 言われた通り、棚にずらりと並んだ豆の中からロイさんの好きなブレンドの分だけ取り出して調整する。 予め挽いていないのは引き立てが飲みたいというロイさんのこだわりである。 あとは気分によって酸味や苦味を追加する為だろう。 よく我が儘を言われるのでその辺の調整だけは上手くなった気がする。 ある程度イメージ出来てから、アツシはそれらをミルで挽いた。サイフォンを使用するので中挽きだ。 次にフィルターをセットし、ついでに濾過器の具合も確認する。今挽いたコーヒーの粉を入れてからお湯を沸かした。 ロートを伝って沸騰した泡がぶくぶくと上がってくるのを確認して混ぜる。 この沸騰したときに出る泡を見るのが好きだ。 ずっと見ていたい気持ちになるが、そんなこと言っていられない。 ここから先は散々言われた抽出だ。 時間が長すぎると雑味が増えるし、短くても美味しくない。未だにロイさんにはよくお叱りをもらう。 注意して確認し、コーヒー液が全て落ち切るのを待つ。 その間、ロイさんは何も言わずにカウンターで寝転がるようにして頬杖をついていた。

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