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第53話
これは――。
先に部屋にいたらしいマキさんが、アツシがやってきたのに気づいて近寄ってくる。
「あぁ、アッシュちゃんも来たのね。身体は大丈夫?」
「はい、大丈夫です。お騒がせしました。それよりこれって……」
アツシが言い淀むとマキさんは腕組みをしながら頬に手を当ててため息を吐いた。
「ええ、……来ちゃったみたいね」
「やっぱり……!昨日どうも様子がおかしかったのでもしかしてとは思ったんですけど」
「あら、そうなの?」
「はい」
「え、2人ともこの状況知ってんスか?!」
状況が分かっていないらしいキイトがマキさんとアツシの会話に割り込みながら目を白黒させる。
あわあわと慌てるキイトを見てマキさんはようやく合点がいったようにぽん、と手を打った。
「そっか!あんた知らないのね!」
「何がっスか?」
「……そういえば前回の時からかなり間空きましたもんね」
確か前回同じ状態になったのは一年近く前の事だ。
キイトがここで働き始めたのがちょうど一年前なのでもしかしたら見ていないのかもしれない。
「だから何が!」
痺れを切らしたキイトが叫ぶのを手でやんわりと制しながらマキさんはキイトに耳打ちする。
「ロイちゃん定期的に鬱っぽくなっちゃうのよー」
「…………ロイさんがっスか?!」
信じられない、というような表情だが実際問題この状態を見れば嘘かどうかなど一目瞭然だろう。
だから何度もロイさんを振り返るのをやめてあげてほしい。
今は気にする余裕などないだろうがあとで怒られるから。
「そ!大体年に数回あるかないかなんだけどね。全く笑わなくなったり、ご飯全然食べられなくなっちゃったりね。今回は多分不眠症かしらねぇ」
あれかなり寝てないわよ、とマキさんは心配そうにロイさんの方を見やった。
確かにアツシから見てもかなりしっかりしたクマが出来ているのが分かる。
昨日まで気づかなかったということは、それまでは何とか自分で誤魔化していたのだろう。
つまり、今日は誤魔化す気力すらないということになる。
自分に関する会話をすぐ目の前で繰り広げているのにも関わらず、ロイさんは変わらずぼうっと何処か一点を見つめていた。こちらの会話が聞こえているようには見えない。
「ぜん……っ、ぜん!普段はそう見えないっスけど」
「溜めるわねぇ」
キイトの言い様にマキさんが苦笑する。
確かに普段はいつでもニコニコと笑っているせいで何を考えているのか分からない。実際キイトやチャロには何かの折に考えていることが分からないから怖いと愚痴をこぼされたことがある。
そういうところを考えればむしろ精神的にはかなり強そうにも見える。
「結構溜めやすいっていうか、発散の仕方が雑っていうか。意外と不器用なのかしらね」
マキさんがちらりとこちらを見やった。
不器用、のところでマキさんと目が合い、気まずさからアツシはそっと視線を外す。
もしかして色々バレているんだろうか。
そう思うと気が気じゃない。
ロイさんの気まぐれで出来た関係だが、どう考えても体裁は悪いだろう。
あまり広めたくない話ではある。
それを知ってか知らずか、マキさんはため息を吐き出すとロイさんに向き直った。
「とりあえず、あんたは帰んなさい!」
こんなんじゃ仕事にならないわ、と言いながらロイさんの顔を覗き込むが相変わらず反応が薄い。
マキさんの顔に一瞥もくれずただまっすぐ床を見つめているだけだ。
美形は怒ったら怖いと思っていたがそもそも表情のない顔も怖い。
何だか作り物を見ている気分だ。
それはキイトも同じらしく、アツシの腕にしがみ付いたままロイさんの様子を伺っている。
怖いなら見なければいいのに気になるらしい。
ロイさんはというと、帰れと言われても動く気配はない。
昨日までの状態ならまだ分かるが、今日のこの状態で一体どうやって出勤してきたんだろうか。
もしや無意識下での行動ってやつだろうか。
「アッシュちゃん行ける?」
「はい、大丈夫です」
言葉少なめに問われたアツシはなんの事か正確に読み取りマキさんに頷いた。
「なら……キイトちゃん、あんた今日残れる?」
「へ?全然余裕っスけど……」
突然話を振られてたじろぎながらもキイトは頷いた。
ラストまでいけますよ、と答えるキイトにマキさんは満足そうに頷く。
「そう!じゃあロイちゃんのことはアッシュちゃんに任せましょう」
「え」
なんの事か分からずキイトが目を丸くする。
「だってこのままじゃ帰らないどころかずーっと座ってそうなんだもの!こんなところに鬱々と座ってられたら怖いわ!」
アッシュちゃん家に置いてきてちょうだい、とマキさんはロイさんをまるで荷物のように言い放った。
「あと、今急いで作るからついでにご飯とか一通り手伝ってやって」
「……分かりました」
確かにこのままじゃ動きそうにない。
とはいえ、ロイさんがこの状態になると動かないのは割とよくあることだった。
「勿論出勤扱いよ!あとでたんまり請求してやんなさい!」
「ははは……」
たんまり、とはいかないが普通に出勤扱いにはしてくれそうだ。
それからマキさんが急ごしらえで作った食事を預かり、アツシは急遽ロイさん宅へと行くことになった。
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