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第59話

玄関先で靴をはきながらロイさんを振り返る。 「じゃあ、お邪魔しました」 名残惜しくなってしまう前に出よう。 そう思ってロイさんが返事を返す前にドアノブに手をかける。 「アッシュ君」 後ろから呼び止められて振り返ると、そっと両手で側頭部を包まれる。 何だろうと思うころには額にリップ音が響いていた。 「ありがとう」 何が起きたのか分からず何度か瞬きを繰り返す。 そうして数秒固まってからようやく額にキスされたのだと理解した。 「……っ、いえ……どういたしまして」 それだけ何とか言い残すと今度こそドアノブを回す。玄関を出た先でアツシは向こう側に聞こえぬよう、そっとしゃがみ込んだ。 耳が熱い。 胸が締め付けられるようにきゅうっと苦しくなった。 唇が触れた額を押さえると何だか熱い気がする。 バクバクと鳴る心臓を鎮めるように胸の辺りの服を反対の手でたぐり寄せた。 翌日、一通り家のことを終えたアツシは再びロイさんのマンションへとやってきた。 「おはようございます。寝れましたか?」 「少しは」 ソファの前でぼうっとしていたロイさんに尋ねるとこくりと頷かれる。 見た目は昨日とそう変わりないので果たして本当に寝れたのかは少々怪しい。 「適当に材料買ってきましたけど何か食べれそうですか」 昨日冷蔵庫の中身が空なのは確認済みである。此処へ来る前に寄ってきたスーパーで一通りのものを揃えてきたのだ。 「コーヒー」 「だめですよ。カフェイン摂ったら寝れないじゃないですか」 こういう時くらい我慢して欲しいものだ。大体、こんなすきっ腹で飲んで胃が痛くならないのだろうか。 その後もあれこれと提案をするがなかなか頷いてくれない。 「もういっそのことうどんにしましょう。はい、決まりです」 「……あんまり好きじゃない」 「だって他に食べられるのありますか?お粥とか嫌いじゃないですか」 スープは好きなのにべしゃべしゃした穀物類は嫌いなのだから選択が難しい。 「スープもいいですけどもう少し炭水化物も取ってください」 それから会話を切り上げて支度に取り掛かるとなにか言いたそうにしていたが結局聞くことなく準備を進めることにした。 そもそも受け答えがスムーズなだけ昨日より遥かにマシである。 作ったうどんをなんとか完食させ、洗い物を済ませたアツシが寝室へと戻るとベッドでぼんやり座っているロイさんを見つけた。 隣に座り込み、その顔を覗き込む。 「どのくらい寝れたんですか」 「……2時間くらい」 それは寝たうちに入るのだろうか。 「どうせならもう少し寝てくださいよ」 ほら、と言ってベッドを叩くと小さなため息が返ってくる。 「眠いんだけど寝付けなくて」 「そもそも、なんで眠れなくなったんですか?」 「…………知らない」 いつもより長い間を置くロイさん。多分何か心当たりがあるのだろうが言いたくないらしい。 言いたくないなら無理に聞くことはないなと話を切り上げようとするとじっとこちらを見つめてくる。 その視線に内心ドキッとしながらも素知らぬ顔で首を傾げた。 「何ですか?」 「……別に」 ふいと視線を外されてしまい何だかよく分からない。 分からない以上何も出来ないので今度はどうしたら眠くなるだろうかとアツシは思案し始める。 食事はとったしあとは気持ちが安らげば寝れると思うのだけれど……などと考えていると後ろから突然触れられた。 ――ち、近い……っ、 首筋に吐息を感じてアツシはドクン、と鼓動を高ぶらせる。 「あったかい……なんか君抱いてたら寝れる気がする」 「ちょ……っ、」 びっくりしているうちに抱きすくめられてしまい、かぁっと頬に熱が集まるのが分かる。 「あーうん、いいね」 いやいや、こっちは全然良くない。耳が熱い。 真っ赤になっているのを見られたくない。思わず目の前の胸板に顔を埋めるが、埋めたら埋めたでロイさんの匂いが肺いっぱいに広がってくる。ドキドキして仕方ない。 これは失敗したかもしれないと震えても後の祭りだ。 今更顔を上げるのも恥ずかしい。 どうしようかとアツシが内心震えている間、ロイさんは後ろ髪を指で触ってくる。触れる指がくすぐったい。 肩をすくめると宥めるように後頭部を撫でられた。 ――の、のぼせそう……。 思考がぐるぐると巡って深く考えられない。 アツシが混乱しているうちに頭上のロイさんからは早々に寝息が聞こえ始める。 どうやら寝れそうというのは本当だったらしい。 とはいえ、この後どうすればいいのか分からない。 好きな人の体温と匂いに包まれて平気な人などいるのだろうか。 ――恥ずかしい……でも少しでも寝て欲しい。 バクバクと心臓は面白い程に脈打っている。 ロイさんがいつもつけている香水の匂いではない、もっと穏やかな香りが肺いっぱいに広がって胸が詰まるように苦しい。 それでも動かなかったのはロイさんに少しでも寝て欲しかったからだ。 無駄にケータイを弄りながら何とか時間が経つのを待つ。 その時間が恐ろしいほど長く感じた。かといって嫌な訳では無い。 むしろ嫌じゃないから困るのだ。

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