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第70話
「帰ったらちゃんと消毒してね」
「え……?は、い……」
呆然としているうちにやることを済ませて満足したのかあっさりと解放された。
「今日はこれで許してあげる。でも次拒否したら許さないから」
「へ……?」
「お返事は?」
「う……はい……、」
何が何だか分からない。
「着替えは用意しといてあげる」
それだけ言い残すと、呆然としているアツシを置き去りにしてロイさんは部屋を出て行ってしまった。
――一体何だったんだ……。
のろのろと立ち上がったアツシはとりあえず衣服を直すと休憩室に置かれた姿見で耳元を確認する。
右の耳でロイさんの目の色と同じ石が光っているのが見えた。
「ほんとに開いてる……」
よく知らないがファーストピアスってピアッサーに内臓されたピアスを付けると決まってるんじゃないのか。
作らせたって言ってたけどこれを付けさせる為にわざわざ作らせたのか?
色々思うことはあるものの、じわじわと頬が赤くなっていく。
――物凄く、嬉しい。
ダメだ。
きっと深い意味なんてない。
キスのことだってあるんだから喜ぶな、と思うのに心臓の音が煩くなる。
顔が赤いのを誤魔化す為にアツシは下を向いた。
「おはようございます」
次の出勤日、アツシはいつも通り出勤してきた。
前回悲惨な状態になってしまった制服はいつの間にか新しいものに変わっていた。
これはロイさんの仕業だろう。
ボタンなしという訳にはいかないので助かった。
「おはよーございま……え?!」
出会い頭、キイトに大声を出されてアツシの肩がびくりと跳ねる。
「アッシュさんがピアスしてる……!!」
「う、うん……」
「えー!いつ開けたんですか!」
「えと、昨日……」
自分がピアスを沢山開けているからか、キイトは目を輝かせている。
そんなに興味を持たれるとは思っていなかったアツシはついたじろいでしまった。
「凄い似合ってますよ!アッシュさんは黒髪だから色味あるやつのが似合いますね」
「あ、ありがとう」
確かにこの髪ならば明るい色の方が合うだろうとは思う。
しかしそんなに褒めてもらえるとは思っていなかった為何だかこそばゆい。
その後仕事前の申し送りでもチャロやシマさんに話しかけられ、賄いの時にまでマキさんに声をかけられる。
そんなすぐに分かるものなのか。
意外と気づかれないのではと呑気に構えていただけに皆の反応は予想外だった。
すっかり疲れてしまったアツシはあまり裏には待機せず、そそくさとホールへと逃げていく。
あと2、3時間耐えれば終わりだ。
兎に角それまでホールに出て逃げ切ろう。
そんなことを思いながら立っていると早速片手を上げてお客さんに呼ばれる。
「お待たせしました」
「お願いします……って、あれ」
疑問符に反応してみれば前回来ていたお客さんだった。
「アッシュ君てピアス開けてたんだ」
「あ、はい……」
つい昨日からですが、と言わずに適当に濁す。
お客さんにまであれこれ聞かれるのはちょっと嫌だった。
「マスターと上手くいってるんだ?」
「いや、これはそういうのじゃ……」
ニマニマと笑われて慌てて否定するが、途中で疑問が深まっていく。
――本当に、このピアスはどういうつもりで渡されたんだろう。
「そういうのじゃないと思います……」
「マスターのとこは否定しないんだねー」
「……あ」
そこでようやく鎌をかけられたのだと気づくがもう遅い。
「そ、そういうのやめてください……」
「あはは……!アッシュさんて嘘つけなさそうだもんね」
この前からからかわれてばかりだ。
本当に勘弁してほしい。
下を向いているとそっと耳打ちされる。
「それはそうと、本当に大丈夫ー?」
「え?」
一体何のことかと首を傾げれば視線だけでカウンターの方を示された。
辿るようにしてそちらを見ればきつい形相でアツシを睨みつけるリュウさんと目が合う。
「……ひ、」
思わず後ずさってしまう程の目力に、隣にいたお客も苦笑を漏らした。
「……頑張ってね」
副音声でご愁傷様という声が聞こえる気がする。
何かしただろうかと考えてみるが全く覚えがない。
かなり怖いが、きっと仕事が終わるまでは何も言ってこないだろう。
つまりは終われば必ずなにかアクションを起こされるという事なのだが。
うぅ、怖い……。
そう思いつつも何も身に覚えがないアツシは何も手立てがなく胃を痛めたまま仕事をこなす事になってしまった。
ゴミを捨てるために外へと出ると早速リュウさんに遭遇した。もうここは定番の場所なのだろうか。
待ち伏せされる経験だけが増えていき、ごみ捨てが嫌いになりそうだった。
勿論、いい思い出がない場所なだけにリュウさんへの警戒心も上がっていく。
ドキドキしながらごみ捨てを終えると案の定、目の前で立ち止まられたのでアツシを意を決して顔を上げた。
「返してください」
「へ?」
唐突な発言に理解が追いつかずアツシは素っ頓狂な声を上げた。
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