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第86話
頑張る、とは言ったものの――どうすればいいんだろうか。
今、アツシはロイさんの家で借りてきた猫のようにソファーで縮こまっている。
当のロイさんはというと、さっきまで眠り込んでいたが起こされるとさっさとシャワーを浴びに行ってしまった。
勿論例の告白の件でアツシはここまでやってきたのだ。
あれから色々試しては見たものの、結果は散々たるものだった。
いざ人がいないのを見計らって職場で声を掛けても緊張してしまって言葉が出てこない。訝しんだロイさんにはそのまま仕事の話をしてとっさに誤魔化してしまった。
顔を合わせるからダメなのだと、今度はチャットで送ろうとすれば途端になんと送ればいいのか分からなくて固まってしまう。
好きですだけ?それとも他に添えた方がいいのか。
むしろ世間話から入った方がいいのか?天気の話なんてありふれてるし今までそんなやり取りしたことが無い。
あれ、今まではどうやって話していたんだっけ?
そんな風にグルグル考えてしまう位ならばと、意を決して一言好きですと送ったのはそれから数時間後の事だ。
ドキドキして気が狂いそうになっていればリョクから一言チャットが飛んできた。
どうやら自分は間違えてリョクに送ってしまったらしい。
というか、間違えた相手がリョクで良かった。他の人だったらまたそれはそれで問題だ。
がっくりと自身のどん臭さに項垂れながらリョクに返信を返したのは記憶に新しい。
ならば職場外ではどうだろうかと思い立ち、仕事終わりに家へ遊びに来て今に至るというわけである。
しかしこれはこれでなんだか緊張してしまう。
チャットの時もそうだったが、普段自分がどうしていたのか分からなくなってしまう。
手持ち無沙汰で何度もコーヒーに口を付けるせいでとうの昔にカップは空になってしまった。
それでも何か触っていないと落ち着かなくて空っぽのカップに触れていると後ろから声が聞こえた。
「何してるの?」
振り返るとまだポタポタと雫が落ちてくるのをタオルで拭き取るロイさんが立っている。
何でもない、と言おうとしたのにその姿に見とれてしまって目が離せなくなる。
相変わらず下だけはズボンまでちゃんと履くのに暑いからと、上は何も着ていない。
綺麗に付いた筋肉の隆起に合わせて髪から落ちた雫がてらてらと妖しく光る。
つい流れる雫を視線で追っているとへその所についたピアスが艶めかしく映った。
思わず視線を外すと慌てて言葉を発する。
「べ、別になんでも……」
ないです、と語尾が思わず小さくなる。
こんな態度をとっておいてなんでもないわけないだろうと自分でツッコミを入れたくなる。
案の定ロイさんもクスクスと笑いながらこちらに顔を近づけてきた。
これは絶対わざとやっている時の顔だ。
「どうしたの?」
「ホントになんでもないですから」
視線をどこに向けていいのか分からない。
そういえばセックスの時もこの人は殆ど脱がない。こんなに肌を見ることなんてお風呂上がりくらいだろう。
それもアツシが遊ばれていると思い込む要因の1つだった。
そんなことを思ったせいだろうか、思わず身体を重ねる時のロイさんの裸体を想像してしまう。
いやいやいやいや……!
まってそれは色々不味い!
ぶんぶんと首を振ってその妄想を吹き飛ばす。
あれ、自分ってこんな変態みたいだっただろうか。
いやもちろん見たいか見たくないかと聞かれたら見たいけれど今想像するのは違う。
益々真っ赤になってソファーの隅に縮こまり、ロイさんの手から逃れる。
それを面白がってロイさんがソファーにまで乗り上げたところでローテーブルに置きっぱなしになっていた携帯が鳴った。
面倒くさそうに画面を確認して、ソファーから少し離れた所に移動する。離れてくれた事にほっとしたのはほんのつかの間のことだった。
「――イーミン、どうしたの?」
聞こえてきた名前にドクリ、と心臓が嫌な音を立てる。
リュウさんだ。
何を話してるのかは勿論分からない。
それでももやもやしたものが消えない。
さっきまで自分に向けていた笑顔でロイさんはリュウさんに話しかけている。
それがどうしようもなく辛かった。
「いいよ、明日ね」
なにか約束を取り付けたことだけが分かって告白しようとしていた勢いや気持ちが急速に萎んでいく。
電話を切ったロイさんはそのまま何かチャットを打ち込むとようやくアツシに向き直った。
その頃にはもう、さっきまでの恥ずかしい気持ちもどこかへ行ってしまった後だった。
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