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第95話

「……ロイさんは、無感情なんかじゃない」 ずっと、それこそ出会った時から……あの人は誰よりも気持ちの強い人だった。誰よりも仕事にプライドを持って遅くまで働いて、どうしたらみんなが働きやすいかよく考えてくれている。 沢山のものを抱え過ぎるから体調だって崩してしまう。あんなに弱るまで自分で抱え込む人が無感情なわけが無い。 「ただあの人は……誰よりも、不器用なだけですよ」 「自慢ですか。自分は彼をわかっていると」 「違います……!」 いつも何を考えているのかイマイチよく分からないし、アツシのことをどう思っているのかも分からない。ロイさんのことなんて分からないことだらけだ。 それでも分かることもある。ロイさんはコーヒーが好きだ。食べることはあまり好きじゃないけれど、マキさんの作るスープは好き。 お店のことも大好きで、スタッフのみんなの事も好き……そして多分アツシの事も好いてくれているのだろう。 手先が器用で大抵のことは自分でどうにかしてしまう。 けど、誰よりも器用なのにもしかしたらアツシよりも気持ちの面では不器用なのかもしれないこと。 辛い時には甘えたくなること。 普通の人となんら変わりないこと。 ――だからこそ、自分を大事にして欲しいし甘やかしたくなる。 「もういいです。どうせ今更どうにもなりませんしね。もう、あの頃のロイさんは帰って来ないんですから。それならいっその事、全部壊してしまう方がいい」 「いやだ……さわらないで」 振り払おうとするが上手く動かせない。 上から押さえつけると首筋に吸いつかれた。 「痛い……っいたい!!」 あまりにも強いそれに思わず涙が浮かぶ。 ぐすぐすと泣くと鬱陶しそうに片手で口を塞がれた。 「時間が無いと言っておきながら随分と余計な話をしました。さっさとやらせてもらいますよ」 「いやだ……っさわる、な」 アツシの拒否などお構い無しに、立ち上がったリュウさんは足で転がすようにして無理やり後ろを向かせる。 動けないながらも手を払ったり足をめちゃくちゃに動かそうと暴れると頭と肩を押さえつけられた。 「番になったらヒートの相手くらいはしてあげます」 項に熱い息がかかる。噛まれたらリュウさんと本当に番になってしまう。 その後自分がどうなるかも怖かったが、何よりあの人以外の人と番になる自分が想像出来なかった。 怖い。 ――怖い。 思わず目を閉じると脳裏にはロイさんの姿が浮かんだ。 嫌だ。 ロイさん以外と番たくない。 なのにリュウさんのフェロモンはどんどん強くなる。 まるでアツシが屈服するのを待っているかのようだ。 「うぅ……あぁぁ……っ、!!」 押さえつけているのがもう誰なのか分からないくらい視界がぼやける。身体が焼けるように熱い。 もがき苦しみながら、それでもロイさんじゃないことだけはフェロモンで分かった。 「いやだ……」 ――ロイさん ロイさんじゃないと嫌だ。 だけど身体がもう動かなかった。それでも諦められなくて必死に叫ぶ。 「やだぁ……っ!!」 ――――ガシャァアアン 凄い音を立てて入口の扉が吹っ飛んだ。 飛んできた扉の重みで部屋全体が揺れる。 「アツシ……!」 声に聞き覚えがあるけれどまるで水の中にいるようでよく分からない。視界がぼやける。 しかし次の瞬間にはのしかかっていた重みが無くなった。 それと同時に壁にぶち当たる音が響く。 「ちょっと痛いですよ……!」 「あぅ゛……っ、」 何が何だか分からないまま、なにかが太腿へ刺される感触にビクリと肩を震わせた。痛みよりも快感が勝る。 そこでようやく抑制剤を打たれたことを理解した。 ぼんやりとした人の輪郭を追っていると、そこにいたのは――リョクだった。 「……リョ、ク」 「今抑制剤打ちましたからもう大丈夫です」 「ンん……っ、」 慌てて抱き起こされるが、その刺激すら今は辛くてリョクにしがみつく。 親友にすら反応してしまう身体が憎い。 フーフーと息を吐き出して耐えていると、重苦しいほどの|圧《フェロモン》がかかった。 さっきまでとはまるで違う。 熱いはずなのに、心臓を包まれるような底冷えする冷たさをも感じて身体がガタガタと震える。 これは、リュウさんじゃない。そもそもリュウさん本人は床にまだ伸びたままだ。 「い゛……ぅ、」 あまりにも強い圧に身体がビクンと震える。 思わずリョクにしがみつくと宥めるように背中を撫でられた。ベータであるリョクでも圧を感じるのか、手が強ばっている。 声を掛けたかったが、とてもじゃないがそんな余裕はなかった。 「一鳴(イーミン)、いつも言ってるでしょ」 この声は―― 「好き勝手されるのは嫌いだよ」 「あ゛ぐ……ァあ……っ」 ぐん、とさっきよりも強い圧がかかる。 まるで肺を押し潰されるような、心臓を直接握りこまれるような感覚に手足を丸めて抵抗する。 ――ハッキリと言われているわけではないが、アルファの中にも順位があるらしい。フェロモンが強ければ強いほど、相手を屈服させることが出来る。 それはオメガだけではなくベータや、同じアルファさえも押さえつけてしまう。 この場で誰が1番かなど、口に出すまでもなかった。 熱い。喉も肺も熱くて息ができない。 「ロイさん、もう少し抑えてください」 「――あぁ、悪いね」 もがき苦しむアツシを抱きしめながらリョクが不満を漏らす。悪いと言う割にロイさんのフェロモン量は一向に変わらない。震えたくないのに身体が言う事を聞かない。 それを不憫に思ったのか、眉間に皺を寄せたリョクは更に続ける。 「アツシが苦しむんですから、怒るなら向こうへ行ってください」 ノロノロと見上げると、ぐったりと座り込むリュウさんの腕を掴むロイさんと――シキさんがいた。 「はいはい、ちょーっと俺らに付き合ってね」 いつも通りニコニコ笑いながらも、その目の奥はロイさん同様笑ってはいなかった。 ロイさんと違うことと言えば、アルファの匂いがしないことくらいだろうか。きちんとコントロールしてくれているのが有難い。 ロイさんはというと、今までにないほど無表情で佇んでいた。 本気で怒らせたあの夜も怖かったが、今の方が格段に怖い。下手をすればあまり周りの声も耳に入っていないかもしれない。 シキさんがその肩を軽く叩くとロイさんも踵を返す。それを確認するとシキさんはリュウさんを引き摺るようにして連れていった。 3人が離れたことで圧も段々と弱くなっていく。 そこでようやくまともに呼吸が出来るようになったアツシは身体の力を抜く事が出来た。 安心したせいだろうか、あちこちの痛みがぶり返してくる。 「よく頑張りましたね」 「リョク……ごめ……」 「話はあとです。兎に角、帰りましょ――」 なんでここに、と聞きたかったけれど口が動かない。 リョクの声を遠くには聞きながら、アツシの意識はストンと落ちていった。

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