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第100話
それからというもの、ロイさんはことある事にアツシを部屋へ呼ぼうとする。
多分ヒートが近いと知っているせいだろう。
今のところ特に変化はなく、いつも通り家と職場――それからロイさんの家を行き来している。
けれど前と違って強制はしなくなった。
代わりに手を取って顔を覗き込んでくることが増えた。
「あの……ロイさん……」
「違うでしょ」
「あ、えと……禄人さん……」
「ん、良い子」
覗き込まれるのが恥ずかしくて思わず名前を呼んで静止を促すがその前に訂正を求められた。
まだまだ言いなれなくてついロイさんと呼んでしまう。
そのうち慣れるのだろうと思うが今のところそんな兆しは全くなかった。
何年もそう呼んでいるのだからそれもそうだろう。
その度にロイさんが拗ねたように眉を寄せるのが可愛い。
どうもこの表情はアツシが喜ぶと知ってからはわざとやっている気がする。
「ねぇ、このまま来て欲しいんだけど……いい?」
時刻は深夜1時過ぎ。もうすっかり夜も深けた時間帯だ。
キイトは定時で上がっているし、マキさんも用事があるのか物凄い勢いで片付けを済ませると更衣室へと行ってしまった。
つまりは2人きりというわけである。
そんな中でお誘いされるのはなんだか少し緊張する。
今日はタイガもユキオも来る予定は無いし、何より明日は休みなのでもう少し一緒にいたい。
「は、はい……。行きます」
アツシが頷くとロイさんはふわりと笑う。
それにもドキドキしてしまい、思わず視線を逸らした。
ロイさんがレジを閉めている間、外のボードを仕舞おうと外へと出る。
金具を外してボードを持ち上げた所で少し離れたところに誰かが壁にもたれて立っているのが見えた。
チカチカと切れかかった蛍光灯が点滅して相手の顔が映る。
「リュウさん……」
無意識に身体へ力が入っていたがボードを持つ手に力を入れることで誤魔化した。
近づいてきたリュウさんはあと数歩の所で立ち止まる。
ロイさんの申告通り、リュウさんは変わらずそこにいた。
――よかった。怪我はしていないらしい。
疑うようで申し訳なかったが、あの雰囲気の中何もしていないと言われても心配だったのだ。
しかしよくよく見れば目の端が赤い。きちんと手当したのか、アツシが泣き腫らした時のような酷いそれではないが明らかにいつもよりも腫れぼったい目尻をしている。
「……あの、」
多分アツシに何か用事があってここに来たのだろう。
ロイさんに会いたいならば中へ直接来るはずだ。
そう思っておずおずと声をかけるとふい、と顔をそらされた。
どうしたらいいのか分からなくてそわそわとしながらその横顔を見つめる。
「この前は……すまなかった」
まさか謝られるとは思わず目を瞬かせる。
一体どういうことだろうかと考える間もなく、はたと気づいたようにリュウさんはこちらを振り返った。
「勘違いしないで欲しい。別にたかだか数日で君の事が好きになったわけじゃない。だけど――」
そこでグッと堪えるように言葉を切る。
「俺には、あんな顔させられなかったから」
遠い目をするリュウさんが誰を想っているかなんてすぐに分かった。
アツシもリュウさんに習ってチラリと、ロイさんがいるであろうお店の方を見つめる。
「……俺が間違っていたんだと分かったから。言いたかったのはそれだけです」
「リュウさん」
それだけを言ってくるりと踵を返す彼に何かを言わなくてはいけない気がして思わず引き止めるが、半歩こちらに向き直ったリュウさんの表情はもういつもの無表情に戻っていた。
むすりとした表情のままアツシの言葉を待っている。
理不尽な強硬手段に対する怒りは不思議と湧かなかった。
連れ去られたあの時、リュウさんに自分と同じ部分を垣間見てしまったせいかもしれない。
ロイさんの為に尽くしてきた彼には彼なりの苦悩があった。
それを知ったことで何だか怒る気力の様なものがふっと消え失せてしまったのだ。
だからアツシはアツシにできる言葉を返す。
「また、お店でお待ちしてます」
「本当に……あなたのそういう所が嫌いだ」
嫌いという明確な拒絶の言葉に反射して思わず心音が強くなった。
それでも目を逸らしてはいけない気がして真正面からリュウさんの目を見つめ返す。
「なんであんなことがあってけろりとしてられるんですか」
「別に気にしてないわけじゃないですよ。それでも、ロイさんをずっと助けてきたのは貴方だから」
ただ羨ましいと思うだけで実行に移して来なかったアツシが出来ないことを彼はずっとしてきたのだ。
だからこそロイさんはリュウさんに頼っていたし、傍に置きたがった。それが彼らの信頼の証だったのだろう。
それはアツシも同じである。
嫌われてはいたけれど、リュウさんのそういうひたむきな所を尊敬していた。でなければ羨ましいなんて言葉は出てこない。
今回のことは少なからずショックではあったが、彼に対するその感情が揺らぐことは無かった。
それくらいリュウさんがロイさんのそばに居た時間は長かったし、アツシもまたそれを傍で見てきたのだ。
「ならさっさとロイさんのそばから離れてくださいよ」
「それは出来ません」
あれから色々考えたのだ。これからのこと、自分に出来ること。
アツシのしたいことも、そして出来ることもロイさんのそばに居ることだ。今はただ守られる存在だったとしても、いつか彼を支えられる存在になりたい。
たとえリュウさんがアツシの立場を羨んでいたんだとしても、自分の中でのそれは変わらない。
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