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第103話
――つ、疲れた。
ずっと緊張しっぱなしなせいで、湯に浸かったというのに身体が凝り固まってしまった。
思わずベッドに腰掛けてため息を吐くと後ろにいたロイさんがまたもやくすくすと笑いだす。
「わ、笑わないでくださいよ」
「ふふふ、ごめんごめん」
眉根を寄せると宥めるように後ろから抱きしめられた。
ふわり、自分からもロイさんがいつも使うシャンプーの香りが漂う。もうそれだけでたまらない気持ちになって落ち着く所ではない。
ソワソワと騒がしいアツシの腰へ手を回しかけたところで見計ったようにロイさんのケータイが鳴った。
「……はぁ、ちょっと出てくるね」
「はい、分かりました」
渋々といった雰囲気でロイさんは為リビングの方へと歩いて行く。あまりにも嫌々去っていく姿にちょっとだけ心が穏やかになった。
離れていく瞬間、後ろ姿からふわりと何かが香る。
一体何かと振り返ったものの、それはすぐに分からなくなった。スンスンと鼻を鳴らしてみるものの、もうあの匂いはしない。
――なんだったんだろう。
首を傾げるがさっきと変わりはない。
下を向いた瞬間、再び鼻に違和感を覚える。
「――?」
まただ。また、何かいい匂いがする。
――何処から?
キョロキョロと見回すが出処が分からない。
立ち上がってウロウロと歩き回っているうちにクローゼット前に掛けられた上着が目に付いた。
どうやらそこからその香りはしているらしい。
いつもなら匂いを嗅ごうなんて変態じみたことはしない。なのにこの時は我慢が効かなかった。
つい手に取ってしまい、顔を押し付ける。
「いい匂い……」
ロイさんのフェロモンの香りかとも思ったがそれにしてはいつもより甘い香りに感じる。かと言って全く違う香りな訳では無い。
一体なんなのだろうか。
嗅いでいるうちになんだか頭がぼうっとしてきた。
何か大事なことを思い出しそうになるが霧がかかったようでうまく考えが纏まらない。
なぜだか分からないけどどうしようもなくその香りにつられる。この甘い香りのせいだろうか。胸の奥がむず痒くなるような、泣きたくなるような懐かしささえ感じる香り。
ぐりぐりと顔を押し付けると欲求は更に強くなった。
「足りない……」
――これと同じものが欲しい。
リビングに行けばロイさん自身が居るというのに、その時は何故かこの香りがする服が無性に欲しかった。
それしか考えられなくてアツシは迷わずクローゼットへと手を伸ばす。
いつも職場へと着てくるシック系なものからラフな格好のものまで、見覚えのあるものばかりだ。
だというのにどれもこれも嗅ぎなれないくらくらする程の香りに包まれている。
選ぶなんてことが出来るわけもなく、アツシは次々ハンガーから取り出すとそれらを纏めてベッドへと放った。
基本ロイさんはブランドものばかり持っているので普段だったら絶対にこんな雑な扱いはしない。
なのに手が止まらなかった。
山盛り集めた衣類の真ん中に蹲るとようやくひと心地つく。したかったことが出来たからか、何とも言えない満足感に包まれる。
そんな状態だったから声をかけられてようやくロイさんが戻ってきたことに気がついたのだった。
「匂いがすると思ったら……これ、作ったの?」
顔を上げると、寝室の入口にロイさんがもたれるようにして立っている。
ぼんやりと霞みがかったような心地の為か、言われたことを噛み砕くのに時間が掛かる。それでも何となく言われたことは理解できた。
コクンと頷くとベッドの端へと腰掛けたロイさんは困ったように笑う。
「これ、どういう行動か知ってる?」
「……?」
「オメガが番のアルファに対してするんだよ」
何だか言っている意味がよく分からない。だけどロイさんに入って欲しくてグイッとその腕を引っ張った。
特に抵抗もなく、軽々と服の山を跨ぐと真ん中へと入ってくれる。それが無性に嬉しくて嬉しくてその胸に擦り寄った。
スリスリと懐くアツシにロイさんも嬉しそうに笑う。
それが更に嬉しくてロイさんの顔を見つめると――整った唇が目に入った。思わずその唇に自身の唇を寄せる。
「ん……ふ……っ」
柔らかな感触に安堵する。最初は唇を押し付けるだけだったが、息を吐くうちに啄むようなキスに変えた。
下唇を引っ張るように唇で挟み込むと宥めるように背中をさすられる。それが気持ちよくてびくりと肩が跳ねた。
だんだんと高揚した気持ちに比例して息が上がってくる。
つい、深く口付けようとすると顔を逸らされた。
避けられるとは思わず、アツシは眉根を寄せる。
「なんで……」
「くち、痛いでしょ」
「だいじょうぶ……だから……きす」
したい、と言う前にパクリとロイさんの唇にかぶりついた。
あまり抵抗なく開いた歯の隙間からロイさんの舌を引っ張り出すと自身のそれと絡める。
「ん……ンぅ……」
くちゅくちゅと音を鳴らして絡めた舌に吸い付く。
ピリピリと舌が痺れる感覚を感じたのは最初だけですぐにそれも無くなった。
「痛くないの?」
キスの合間にロイさんが吐息混じりに尋ねる。息が上がってきたのか、低くなったロイさんの声が甘く頭に響く。
「いたくないです……から……もっと、」
強請るように腕を絡めるとくすくすと笑われる。
「ろいさ……」
「違う。名前、分かるでしょ?」
「なまえ……ろくとさん……」
さっきと同じやり取りだなぁ、という思考だけがぼんやりと残る。
ただそれ以外考えつかなくて困ったように笑うロイさんを見つめた。
「ん、いい子」
「ろくとさん」
「なぁに」
別に理由なんてない。ただ呼べば返事を返してくれるのが嬉しくて何度もその名前を呼ぶ。
「ろくとさん」
「んー?」
「ろくとさ……すき……すきです……」
胸の奥底から込み上げてくるものを素直に紡ぐ。
目を細めて笑ってくれる禄人さん が好きだ。
「うん、僕も好きだよ」
嬉しい。感情の振り幅が制御出来なくて涙がボロボロと零れ落ちる。
宥めようとしてか、頬を親指の腹で撫でながら目尻にキスを落とされた。
ぶわり、自身からもフェロモンが溢れ出たのが分かる。胸の奥、心臓のすぐ近くが熱い。
それに呼応するようにしてロイさんの表情が切なげに歪んだ。
そこから先はあまり覚えていない。
ただただ、甘い匂いに包まれていた事だけが記憶に残っている。
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