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どこか遠くを見ているような鷹司の顔が真正面にあり、俺は思わず固まってしまった。鷹司が寝ぼけているのは一目でわかったが、何故だか動くことが出来なかったのだ。
「え」
すると、顔の前で固定された両手首を強く引かれ、鷹司の顔が近付いて来る。
キスへのカウントダウンが始まり、3秒前で顔を傾げて目を閉じる鷹司。鷹司の長い睫毛が俺の目元をくすぐって、思わず俺も目を閉じた。
「……っっ」
柔らかな唇が俺の頬に触れる。続いて唇の真横にキスをされた瞬間、
「…………」
鷹司の動きがぴたりと止まった。
「…………」
どこかぼんやりとした鷹司の目が見開かれる。
「……っっ。悪い。間違えた」
慌てて掴んでいた俺の両腕を離し、鷹司は座っていた椅子から立ち上がった。
「悪かったな」
「ちょ、鷹司!」
そのまま保健室を出て行く鷹司。保健室に残された俺は、呆然とその後ろ姿を見送った。
「……間違えた?」
――何と?
いや、誰と、か。
そう思うと何故だか胸が痛んだ。もしかして、寝ぼけて数いるセフレの一人と俺とを間違えたとでも言うんだろうか。最近の鷹司は外(外部)に出ず、セフレ云々の噂も聞かなくなったのに。
親衛隊員を部屋に呼ぶこともなくなったと橘が言っていた。生徒会の仕事も誰より真面目にやってくれるし、もうクラブで豪遊していた頃とは違うと思っていたのに。
その時、窓の向こうで何かがキラリと光ったことに俺は気が付かなかった。
「やばっ。凄いの撮れちゃった」
鷹司が俺にキスした瞬間に、カシャカシャと何度も機械音がしたことにも。
「あ、羽柴君。目が覚めたんだね。気分はどう?」
保健医でもある養護教諭の上条 先生の声に我に返る。
「大丈夫、です。お世話になりました」
「あっ、ちょっと。無理はダメだよ。もう少し……」
先生の止める声を背後に聞きながら、俺は保健室を後にした。時間はとっくに球技大会が終わっている時間帯で、そのまま寮に直帰することにして。
裏門から出ると、数分で寮が見えて来る。一番奥にある特別棟の直通のエレベーターに乗り込んで、自分の部屋へ。
途中、鷹司の部屋の前を通ったが、鷹司が部屋にいるかどうかはわからなかった。自室に入るといつもはキッチンか洗面所に向かうんだけど、今日はどこへも寄らずに寝室に向かう。
「……間違えた」
唇にじゃないが、鷹司にキスをされた。それが間違いってことなんだろうか。
いや、百パーセントそうなんだろうけど、それを自覚するも胸のもやもやは晴れそうになかった。
唇へのキスの経験はある。俺のファーストキスの相手は恐らく母さんと父さんのどちらかで、子供の頃は兄さん達にも日常的にされていた。勿論、唇に。
家族とのそれはファーストキスとして数えないとして、そうするとファーストキスはまだだと言えるんだけど。
「……キス」
思わず、鷹司にキスされた頬に触れる。このキスに特別な意味はない。何と言っても間違いなんだから。
枕元のお気に入りの一体を胸に抱き入れる。その夜は早々に寝床に着くも、久しぶりに眠れぬ夜を過ごしたのだった。
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