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三月――。
あの夜から数日が経ち、卒業シーズンと春休みに期待を寄せる季節がやってきた。
東楽通りは鮮やかな桜の花が咲き乱れ、行き交う人達の笑顔も、冬と比べると眩しいほどに輝いて見える。
俺は床に落ちていたぬいぐるみを元のワゴンに戻し、小さく溜息をついた。
通りが活気づいたからと言って、急に売上が跳ねるわけではない。前半はまだ中高生は学校があるし、春と言っても気温は低めだ。
それに、依然として頭と体のだるさが続いている。
「政迩、そのゼブラ柄のパーカ売れてるぞ。お前が着てるからかな」
脚立の上でディスプレイを替えていると、大和がやってきて言った。「さすがは俺のオシャレ番長」
アニマル柄は毎年流行るし使い勝手が良いから、出せばある程度は売れる。だけど俺は別に売ろうと思って着ているわけじゃなかった。単純に俺は、シマウマというよりもホワイトタイガーを連想させる横縞の白黒柄が好きなだけだ。
「パーカならヒョウ柄の方が売れてるじゃん。別に俺が着てるからってわけじゃないと思うけど……」
「そんなことねえって。政迩、何でも似合うけどゼブラは特に似合うもん」
「大和はヒョウが似合う。お前自体がヒョウっぽいから」
「じゃあ今度、お揃いコーデで着て来ようぜ。俺、今日ヒョウ柄の方買うから」
「じゃあ俺はダルメシアン柄にしようかな」
スタッフルームから出てきた白鷹が、ごく自然に俺達の会話に入ってきた。今月も白鷹はGヘブンの方に入るらしい。本人から直接聞いたわけじゃないが、Gヘルに新しいアルバイトが入ったとかで、店長のくせに居場所が無いのだそうだ。
「白鷹くんにダルメは似合わないでしょ。ていうかそもそも、サイズが合わねえし」
からかうように笑ってから、大和が「そうだ」と白鷹に言った。
「裏にあるロゴ入りの半袖Tって、昨日入荷してきたんですか? 他のと比べたら在庫が大量にありますけど」
「ああ、カラー六色でサイズがMとL、それぞれ各四枚で入ってきた。しかも品番違いで三型あるからな。各二枚ずつで店内に出してるから、在庫は全部で幾つだ? ――チカちゃん」
「えっ? ええと……6×2で、×4×3で……」
「五秒前」
「ちょ、ちょっと待って……」
ディスプレイを弄りながら頭の中で計算していると、昔から数学の成績だけは良かった大和が「一二〇枚も在庫あって、大丈夫なんですか」と白鷹に訊いた。
「大丈夫だよ、今日いくつ売れた?」
「まだ一枚くらいしか。寒いし、半袖なんて買う気起きないじゃないですか」
「店頭のボディに着せて、上からパーカ羽織らせろ。それからチカ、いま着てるシャツ脱いでコレに着替えろ。俺が一枚買ってやる、何色がいい」
「おっ、良かったじゃん政迩。お前あのTシャツ可愛いって言ってたもんな」
壁に顔を向けたまま「じゃあ、青で」と呟く。白鷹の強引さには、先月でもう慣れたつもりだ。
「政迩、赤の方がいいんじゃねえの? 赤好きじゃん、青でいいのか?」
「いい」
「俺も赤の方が似合うと思うけどまあいいか。大和、清算してくれ」
レジに向かう二人の背中を見つめながら、俺はまた溜息を洩らした。
普通に仕事をしたり、白鷹と大和が売場のことで話し合ったり、白鷹が売りたい服を俺に着せたり、大和に褒められて嬉しくなったり。
Gヘブンでは、いつも通りの日常が繰り返されている。
「………」
――あんなことがあったというのに。
どうして大和と白鷹は平然としていられるんだろう。俺はあのことを思い出すと未だに赤くなるし、意識してしまうと行動や言動もぎこちなくなるのに。三人揃って気まずい思いをしながら働くよりはずっとましだが、それでも疑問に思わずにはいられなかった。
それから。
「大和、今日も終わったら裏のファミレス直行な」
「またファミレスですか。たまには居酒屋にしません?」
「飲み屋はうるせえから嫌いなんだよ。あそこは二十四時間営業だから、時間気にしねえで済むし」
「まぁ、いいですけど。……じゃあ政迩、終わったら悪いけど先に帰っててくれ」
「……分かった」
ここ最近になって、大和と白鷹は閉店後に二人でミーティングをすることが多くなった。今まで一度だってそんなことしていなかったのに。あの一件があってから急に、だ。
「チカちゃん仲間外れにしちまって悪いな。でも売上とか数字の話が殆どだから、来てもつまらねえだろ」
何をそんなに話しているのか、気にならないと言ったら嘘だ。だけど「仕事のことで」と言われてしまえば納得するしかない。何かを隠しているとしたら、それこそしつこく訊いたところで二人共白状しないだろう。
隠し事……。一体二人は、何を隠しているというのか。以前の俺ならそんなこと考えもしなかっただろうけど、今はどうしてもあの一件がちらつき、変に勘繰ってしまう。
ひょっとして、あれがあってから大和と白鷹の距離が再び縮まってしまったんじゃないか。
たかがミーティングで何時間も、時には朝方近くになってから帰ってくるなんてどう考えてもおかしい。帰宅した大和が俺に対して毎回不自然なほど優しいのも、白鷹と後ろめたいことをしてきた後だからなのか。
嫌な想像ばかりが膨らんでゆく。それと同時に、不満も。
「はいよ、チカちゃん。タグ取ったからすぐ着れるぞ」
「……休憩中に着替えてきます。裏に置いといてください」
「白鷹くん、政迩の生着替え見たいだけだろ。駄目っすよマジで」
駄目というなら、ついでに白鷹に「チカ」の名前を呼ばせないでほしい。高校の頃に大和が考えてくれた呼び名なのに。四年間、大和にしか呼ばせてなかったのに。今更ながら、俺にとっての大事な思い出があっさりと捨てられたみたいで寂しくなった。
大和と白鷹が良い関係を保ち、俺は店長として奮闘する大和をしっかりと支える――今のところ、俺達は上手く行っている。だけど今の俺には、それが表面上のことだけに思えて仕方ない。
そう思っているのは俺だけだろうか。「以前」と「以後」で違う微妙なこの空気は、単なる俺の気のせいなのだろうか。
大和と白鷹が心の中で何を考えているかは、俺には分からない。
分からないから、自信がなくなる。
自信がないから、泣きたくなる……。
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