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「お疲れ様です。Gヘブンの、九条政迩です」
「あっ、お疲れ様です。わざわざありがとう」
中にいたスタッフ達も悪魔みたいなゴシックファッションでキメている。だけどその見た目とは裏腹に、皆俺を温かく迎えてくれた。
「硬貨の数は記入済みなので、後は売上日報とレジの清算、パソコン入力だけです。すいませんけど、よろしくお願いします」
「分かった。じゃあ後はやっとくから、バイトの人は帰っていいよ」
店の鍵を持っているスタッフだけが残り、他のバイト達が「お疲れ様です」と店を出て行く。俺はさっさと片付けてしまおうと、レジカウンターに齧りつくようにしてペンを走らせた。
「本当にすみません、お手数おかけして」
「いや」
唇と鼻にピアスをした青い髪のスタッフが、俺の横でコインケースの蓋をしながら言った。
「政迩くんて、コッチでも有名なんですよ。クールなポーカーフェイスだって、女子スタッフがキャーキャー言ってますし」
「へえ……」
「あ。俺は来月から副店長になります、石田友哉です」
――副店長候補なら、レジ清算のやり方くらい覚えておけ。
俺は彼を無視して電卓を取り出し、ジャーナルを確認しながら客単価と商品単価の計算をした。Gヘブンより単価が高い。扱っている商品が違うから、それも当前なのかもしれないが。
「やっと白鷹さんに認めてもらったんですよ。俺あの人のこと尊敬してるから、十八の時にバイトから入って、今年やっと社員扱いになれたんです」
「……ちょっと黙っててくれる」
「あ、すいません……計算中ですよね」
今のは人見知り故の冷たい態度じゃない。白鷹信者の話なんて、今はどうしても耳に入れたくなかっただけだ。
「………」
二月の日報ページを捲って見ると、進捗率は92%で終わっていた。あと少しで予算達成だったのに、勿体ない。
「……惜しかったな、先月」
「あ、そうなんですよ。毎月、100パーのちょい手前で終わっちゃうんです。白鷹さんはいつも『80パー越えればいい』って言ってるけど、やっぱり気持ち良く100取って終わりたいですよね。Gヘブンはどうだったんですか?」
「104」
「うわ、マジか。すげえなぁ……」
日報の記入を終え、次はパソコン入力だ。レジ横のノートパソコンを開き、画面を表示させる。だいぶ古い型の物だから、完全に表示されるまで結構な時間がかかるのだ。この辺は、Gヘブンと変わらない。
「先月半ばから、白鷹さんそっちに行ったでしょ。一緒にやってみてどうでした?」
「……別に、いつも通りだけど」
エンターキーの表面を小刻みに指で叩きながら、俺は素っ気なく返した。自分でもどうしてこんな態度を取ってしまうのか分からない。この友哉という――恐らくは俺よりも年上の――男が、白鷹に惚れ込んでいると分かるからか。
「白鷹さん、言ってましたよ。大和くんと政迩くんは、自分の店のイメージに相応しいって」
「ふうん」
「何かこう、引力でぴったりくっついてる感じだって言ってました。まさにグラヴィティですね」
それで上手いこと言ったつもりか。そもそも「グラヴィティ」は引力じゃない。重力だ。俺は未だ表示されない画面をじっと睨みながら、友哉の言葉を背中で聞いていた。
「白鷹さんて、大和くんのことすげえ気に入ってるから。一昨年くらいまでは、大和くんと共同名義で新しい店持ちたい、って熱っぽく語ってたくらいなんですよ。知り合いの不動産屋とかバイヤー、メーカーにも相談してたし。まぁ、そのことを大和くん本人には言ってなかったみたいですけど……」
「……大和に言ってないことを、どうして君が知ってるんだ」
「白鷹さん、酔うといつも言ってましたから」
苦笑する友哉の頬は、微かに赤くなっていた。
「俺が入りたての頃、あの二人って実はデキてるんじゃないか、ってくらい仲良かったんですよ。元々は大和くんもGヘルの人間だったし。二年前くらいかな、あの二人が別々の店になったのって」
「……そうなんだ」
「大和くんをGヘブンの店長にした時、白鷹さんすげえ寂しそうでしたもん。その夜皆で飲みに行って、『俺の夢が潰れたー』って、文字通り酔い潰れてましたよ」
可笑しそうに笑っている友哉を振り返り、俺は思わずきつい口調で言った。
「だから何?」
「え? な、何って……?」
彼にあたっても仕方ない。だけど、止まらなかった。
「俺の存在が気に入らないなら、面と向かって言ってくれた方がましだ。大和を俺に取られたって思うなら、オーナーの権限でクビにでも何でもすればいいじゃねえか」
「ど、どうしたんですか政迩くん……。別に白鷹さんは政迩くんのこと気に入らないなんて、一言も言ってませんよ……」
俺はパソコンに向き直り、表示された画面を凝視しながら乱暴にキーを押していった。少しでも体のどこかに力を入れないと、涙腺が緩んでしまいそうだった。
「気に入らないどころか、こっちでも嬉しそうに政迩くんの話してますよ。あいつになら大和を任せられるし、自分の夢も託せるかも、って」
「………」
「ああでも、店持つのって本当に大変なことだから。大和くんと政迩くんが本気でそれを出来るかどうか試す、みたいなことは前にちらっと言ってたかな。もしかして政迩くん、白鷹さんに何か意地悪なことされました?」
「………」
「もしそうだとしても、ヘコむ必要ないですよ。跳ね返しちゃえばいいんです。白鷹さんもそれを期待してるんだから」
……お喋りな奴だ。
俺は唇を強く噛んで、パソコンを閉じた。
「入力、終わった。帰る」
「あ、お疲れ様です。ありがとうございました」
無愛想な俺にすっかり怯えてしまったらしい友哉に、軽く頭を下げて言う。
「……こちらこそ、ありがとう」
「え……?」
Gヘルを出た俺は、奥歯をぎゅっと噛みしめながら夜桜の下を歩いた。藍色の夜空に真っ白な桜が生え、風が吹く度に雪のような花弁が俺の鼻先や頭上で舞い踊る。
――馬鹿野郎。
心で呟いたそれが、何に対しての悪態なのかは分からない。だけど、そう思わずにいられなかった。
白鷹の抱いていた夢。大和と二人で共同名義の店を持つという、今の俺と同じ夢。
それを、知らないうちに俺が奪っていた。
大和と白鷹がどんな付き合い方をしていたのか、そしてどんな別れ方をしたのか。俺は知らない。知らないまま大和と付き合って、知らないまま大和との将来を考えて、勝手に傷付き、勝手に不貞腐れ、被害者面して、落ち込んでいた。
そのくせに俺は自分の気持ちを貝のように固く閉ざし、大和を困らせてばかりいる。思えば白鷹に抱かれたあの夜のことだって。どうして俺がそれに従ったのか、未だ大和に何も伝えていないじゃないか。
「………」
通り過ぎたGヘブンのシャッターは、既に完全に閉まっている。今頃、大和と白鷹は何の話をしているんだろう。
何となくアパートに一人でいるのが寂しくて、俺は東楽通りから少し外れた場所にある小さな公園に向かった。ベンチに座り、夜風に目を細めながら紫煙を吐く。今夜の風は春らしく、昨夜と比べると幾らか暖かい。
働き始めたばかりの頃は、よく大和とここまで散歩に来ていた。今みたいに暖かい夜風に吹かれながら、ビールと煙草で疲れを癒して、何時間もくだらない話をしていたっけ。
あの頃、大和は俺の全てだった。大和がいなければ、住む場所も仕事も無かった。料理もできないし、掃除だって得意じゃない。生活する上で何の役にも立たない俺を、大和は無条件で受け入れてくれていた。
今だってそうだ。
愛想もなければ素直でもない、おまけにすぐ不貞腐れる俺を、大和は無条件で愛してくれているじゃないか。彼の何を疑えというのだろう。大和は嘘つきのくせに本当の嘘だけはつかない奴だと、俺が一番分かっているのに。
白鷹と付き合っていたから何だというのだ。誰にだって過去はある。
俺が好きなのは今の大和だ。四年前、俺を一生大事にすると言ってくれた大和なのだ。
「………」
今夜、大和に打ち明けよう。俺の不安や寂しさ、今抱えている気持ちの全て。その上で、大和の気持ちも聞こう。きっと今の俺なら何を言われても、どんな結果でも受け入れられる。
もう、隠し事はうんざりだ。
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