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「なんかさ、空気がピリピリしている。まさに嵐の前の静けさ、って感じ」
人通りの少ない朝の東楽通りを歩きながら、大和が言った。午前八時半。殆どの店はまだシャッターが下りていて、スタッフが出勤している気配もない。
Gヘブンも本来の出勤時刻は九時半だが、今日は出勤前に大和とやらなければならないことがある。自分から言い出したくせに、俺は既に後悔し始めていた。朝が弱い俺にとって「午前八時」と言ったら、本当ならまだ夢の中だ。眠くて仕方のない目を擦り擦り、俺は隣の大和を見上げて言った。
「大和、対応は全部お前に任せたからな」
「全部なんて無理に決まってるだろ。ていうかこれって、空気的にチカが対応しなきゃいけないパターンじゃねえの。俺が対応して、もし相手に不満げな顔されたら立ち直れねえんだけど」
大丈夫、と何の根拠もなく軽く答えて、俺は棒付きの丸い飴玉を口に咥えた。
大和の腕には、右も左も大量の紙袋がぶら下がっている。一つ一つは小さいものの数が半端じゃないから、歩くのもかなり大変そうだ。
袋の中は全て、近隣店舗のスタッフや客達へのバレンタインのお返しだ。
三月十四日。
俺にとって、「初めて」のホワイトデー。
「チカも持ってくれってば」
「いいけど、俺まだ目が覚めてねえから転びそう。それに大和の昼飯も持ってやってるし」
「……じゃあいい。俺が持つ」
俺はポケットから取り出した棒付き飴の袋を毟り、大和の口の前に持っていった。釣られて口を開けた大和にそれを咥えさせ、含み笑いする。
「それ、俺のホワイトデーのお返し。大和にはいつも世話になってるから」
口の中でコロコロと飴を転がしながら、大和が片眉を吊り上げた。
「駄菓子じゃん」
「でも、俺の気持ちが詰まってるぞ。大和はイチゴ味好きだろ」
「嬉しいけど、……駄菓子じゃんか」
明らかにテンションを下げている大和を横目に見て、俺はもう一度笑った。
大和をからかうのは面白い。俺も大概、嘘つきだ。
「そんじゃ。着いたら取り敢えず先に荷物置いて、それから客の分とスタッフの分とを仕分けして、開店前にでも隣の店から持ってくか。……ちゃんとチカも来いよ」
「ん」
「オー、お前ら」
Gヘブンのシャッター前には、今日も白鷹が座っている。今朝になって大和が電話し、無理矢理この時間に来てもらったのだ。
「柄違いのパーカなんか着やがって。僕達ゲイです、ってアピールしてるようなモンじゃねえか。ムカつくから俺も今日ダルメ買う」
「白鷹くんおはよう。機嫌悪そうっすね」
「当然だろ、いきなり電話で起こされてよ。今何時だと思ってる」
「だって今日は、白鷹くんが店の鍵持ってる日だから。昨日電話しても繋がらなかったし」
咥え煙草の白鷹が、咥え飴の俺達を見上げて眉根を寄せる。
「俺は男といる時は電源切ってんだよ」
「束縛の強い彼氏だな……」
「まだガキだからな。言っとくけど俺は、二十歳より上の奴には興味ねえから。チカも来年は俺の射程外だ、残念ながらな」
嘘つけ、と笑う大和の横で、俺も苦笑いを浮かべた。
「それよりお前、何だその荷物」
「飴です。余分に買ったから、欲しいなら一つあげますけど」
「くれるならくれ」
俺もポケットから棒付き飴を取り出し、白鷹の前に「どうぞ」と差し出した。
「お。チカちゃんもくれるのか、大和のより百倍嬉しいわ」
「白鷹さんにも、世話になったんで」
俺がこんな台詞を笑顔で言うと、逆に厭味っぽいだろうか? だけど白鷹は目を細めて俺を見上げ、「いいってことよ」と手を振っている。
「だって俺、これからもチカちゃんの世話しちゃうかもしれねえし……」
「もちろん仕事的な意味で、だけどな」
すかさず大和に切り込まれて、白鷹が軽く舌打ちをした。
「大和がムカつくから、もう店開けようっと」
どっこいしょと立ち上がった白鷹がシャッターを開け、だるそうに歩きながら店の中へと入って行く。
「白鷹くん、姿勢悪すぎ。高校の頃は背筋真っ直ぐだったじゃないですか」
「それはお前も同じだろ。ていうか俺、段取ってから殆ど部活出てねえし」
「つっても、それ初段でしょ。俺は二段取りましたけど」
「マジかよ。チカは?」
「俺も二段」
お前らウザい、と白鷹が珍しく負け惜しみを言うものだから、その背後で俺達は顔を見合わせて笑ってしまった。
俺達は何も変わらない。
大和は今日も白鷹に文句を言い、白鷹は今日も大和をからかう。俺は今日もそんな二人を生温かく見守りつつ、結局それを楽しんでいる。
「そろそろエレクトロ飽きた。たまには違う曲かけていいか」
「飽きたって、あんたが選曲してるんでしょ」
思えばこの一カ月、本当に色々なことが起きた。
一体俺は何度泣いて、何度怒っただろう。
……そして何度、大和のことを想っただろう。
「白鷹くん、金庫の鍵ください」
「やべえ、Gヘルに忘れてきた。ちょっと向こう行って取ってくるわ」
「ゆっくりでいいですよ。どうせなら一時間くらいかけてもらえると」
「あ、白鷹さん。どうせならついでに、Gヘルのスタッフ達にも俺の飴、持ってってください」
「お前らどうせ、俺がいない間にイチャつく気だろ。二十秒で戻って来るからな」
「しませんて」
誰かを許すこと。受け入れ、受け入れられること。
愛することの素晴らしさ。それから、対話をすることの大切さ。四年も付き合ってきた俺達が、たった一カ月でそれらを一気に学んだのだ。
大和はこれからも誰かに嫉妬し続けるだろうし、俺もきっと、ことあるごとに意地を張って不貞腐れる。白鷹だって今度は純粋な意地悪で、俺達の仲を引っかき回そうとするだろう。
だけどもう大丈夫。この先何が起きたとしても、俺達は俺達のままでいられる。
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