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第16話
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ナンダが後ろから悲痛そうな泣き声をあげて追い掛けてきているのも構わずに、ルベリアは城門前に広がる庭園の中央に位置する噴水へと来た。
ここには、滅多に人が来ないためだ。
とにかく一人になりたかったルベリアは噴水の縁へと腰掛け、澄んだ水面へと目をやった。ア・スティルの海で優雅に泳ぐ《ピニシ》という魚の幼魚が口をパクパクさせながらルベリアを見上げていた。
桃色の鱗に太陽の光がキラキラと反射していて尻尾を揺らしながら移動する度に七色へと変化しているように見えるのが、とても興味深いな__などと思いつつ、必死に口をパクパクさせる《ピニシ》を哀れに思いながら振り返ったルベリアは真下にある土へと目線を向けた。
そして、噴水の縁から立ち上がった彼は手頃な枝を見つけると、それを手にしながら身を屈めて土を掘り返す。
《ピニシ》の大好物である餌を探すためだ。
そんなことをしている内に、かつて幼い子供の頃の記憶が甦った。
『ルリアナ兄様、ピニシの大好物――カチューはここにいますよ………ほら__っ……』
『ルベリア……お前はよく、そんな気持ち悪い虫を触れるな。グネグネしていて気色悪い虫を意気揚々としながら触れるなどという光景を目の当たりにしたら、お父様もお母様も……それにセレドナ兄さんも、どんなに幻滅されることか……ましてや、お前は期待されているΩ種の王子だというのに……まったく____』
あの頃は良かった____
両親とは今とそう変わらずに多少ギクシャクしていたものの、ルリアナは今よりもずっと優しくて、時々素っ気ない態度はとっていたとしても今のように自分を避けてはいなかったのだから____などと過去の記憶を思い出しつつ、《ピニシ》の大好物である枝先に纏わり付いたカチューを見て笑みを溢す。
(よかった……これで、あのピニシは腹を満たせて幸福な気分になるだろう……)
心の中でそう思いながら安堵して、立ち上がろうとした時――ふいに、身を屈めている己の真上から影が差したことに気付いた。
それと同時に、人の気配を感じて慌てて振り返りつつ、誰かがいるであろう方向へと顔を見上げる。
「キャンベル伯爵…………何故、このような場所におられるのですか?確か、今日の昼間は――父や母と共に観光に行かれていた筈では……?」
「うん……まあ、本当はその筈だったのだがね――それより、一人きりでここに来ているということは君はまた……何か深く落ち込んでいることでもあるのかね?」
キャンベル伯爵から、そう問いかけられてルベリアは目を丸くしながら驚きをあらわにしてしまった。
兄であるセレドナや従者のジルガ、それに昔から馴染みのある婚約者のノスティアードならば、ともかくとしてキャンベル伯爵は今まで自分に対して情欲しか抱いていないと思い込んでいたからだ。
この目の前にいる男性は、自分に対して《優しさ》など抱いていないと思っていた。
「キャンベル伯爵……何故、貴方は……僕がここに一人で来ると深い悲しみを抱いているということを知っていたのですか?貴方は……僕に対して情欲以外の感情は抱いておられないかと思っていました……なのに、どうして……っ_____」
最後の方は、声が震えてしまっていた。
キャンベル伯爵に対して、あまりにも失礼な感情を抱いてしまっていた自分がとても愚かな存在に思えてしまったから____。
「そんなことは__昔から、ずっと君を見てきた私には分かりきっているさ。いくら、字すら碌に書けずに学が足りていない私でもな。この間は随分と手酷い態度を取ってしまったが……私は君を__その……心から愛している。君とノスティアード殿の婚姻が決まっていても……それは変わらない。昔から肝心な時に限って心とは裏腹な態度を取ってしまうのは……私の悪い癖なんだよ。本当に済まなかった。ノスティアード殿と……是非、幸せになってほしい」
ルベリアの心にじんわりと滲むような暖かさを与えるには充分な言葉と共に、キャンベル伯爵は何かを懐から取り出すと、此方へと差し出してきた。
緊張のせいか、その何かを持っている彼の左手は微かに小刻みに震えていて頬も僅かに赤く染まっている。
「____屈んでみてくれないか?」
「えっ……と__こ、これでいいですか……っ……」
と、言われた通りルベリアが身を屈めるとキャンベル伯爵は頭に何かを付けた。しかしながら、鏡のないこの場所では何を付けられたのかまでは分からないため、ルベリアは再び噴水の縁に座って揺らぐ水面を鏡代わりにして確認してみる。
「これ……凄く綺麗な髪飾りですね――もしかして、イ、ピルマの花なのですか?」
「ああ……ワレコウカと言って……年中咲く訳ではなく、日差しが降り注ぐ数少ない日にのみ咲く花で……その__私が自分で作ったのだ。出来れば、君との婚姻の日にそれを贈りたかったが……それは不可能になってしまったゆえに今宵……贈ることにした……受け取ってくれるだろうか?」
「はい……これからずっと、大事にします。ありがとうございました……キャンベル伯爵殿!!」
自然と笑みを溢れさせたルベリアを見て、彼もまた満面の笑みを浮かべながらこう言った。
「ようやく……私の大好きな君に戻ったな____さあ、私は君の父上や母上との観光に戻るとしよう……」
城へと戻るために踏み出した彼の背を見送ると、ルベリアは暫くの間美しい綿のような形状のワレコウカの白い髪飾りに見惚れていたのだった。
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