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第42話

* ゴルゴナの谷には誰もいる気配がない。 何度も、辺りに向かって叫んでみても返ってくるのは自分達の声の反響と激しい雷雨に混じる不気味な風の音ばかりだ。 それでも、あちこちにまだ煙がたつ野営跡があるのを見ると以前にそこに誰かがいたのは明らかなのだ。 しかし、今は誰もいないのだ。 さっそく壁にぶち当たってしまい、ルベリアは困惑した顔をキルーガの方へと向ける。 「ここにいた筈のみんなは、どこに行ってしまったんだろうね……まさか、ジルガが何か__したん__」 ふと、身を守るための武器を手に入れるためにゴルゴナの谷にてある者に会うという提案を特に疑くことなく受け入れつつも、今――目にしている光景に対して戸惑いの色を浮かべるルベリアの悲観的になりつつある言葉を遮るようにキルーガがルベリアの方へと振り向いた。 真っ直ぐに見据えられたキルーガの目には、僅かながらに驚きはあれども不安感は全くといっていい程に見られない。それは、おそらく彼が今の事態をある程度は察していたからかもしれない。 「こうなったからには……仕方がない。本当はここにいる筈の武器職人から調達するつもりだったが変更することにした。ここから半日程歩けば、新たに武器調達するための場所につく。だが、今は天候が悪い……今夜はここで夜を明かすとしよう____何か異論があるのか?」 キルーガは、先ほどからずっと何か言いたげに睨み付けてくるソナに気付いて尋ねた。しかし、ソナは何も答えることなく再び一行から離れると一人で何処かへと行ってしまう。 「ま……待ってよ、ソナ!!一人で何処かに行っちゃ危ないよ____」 「どうやら、随分とアイツに嫌われてしまったようだな……追い掛けるんなら、充分に注意しろ……まあ、アイツは戦闘力はあるようだから大丈夫とは思うけどな。お前の兄上と俺はここにいる。眠っているとはいえ、ノスティアード様の体調も心配だからな」 慌ててソナを追い掛けようとしているルベリアの耳にキルーガの厳しい氷のような声が聞こえてくるのだった。 * 「……ナ、ソナ…………どこに行ったの!?」 独りになってしまうと、途端に不安が襲ってくる。 しかしながら、ソナをこのまま見捨てる訳にはいかなかった。 かつて、ソナはセレドナが生きていた頃――ジルガに負けず劣らず、ルベリアの相談相手になってくれていたからだ。 ゴルゴナの谷は暗く、それに夜が近づいてきているせいか肌寒い。それを紛らわすために両腕で体を抱えこむようにしつつ、歩いては立ち止まるのを繰り返しながらルベリアはひたすら従者であり善き理解者であったソナの名前を呼ぶ。 焦げ茶色と灰色が斑に入り交じる岩壁に、己の黒い影がゆらり、ゆらりと揺らめいていて、それが更に恐怖心を増幅させてくる。 何ともいえない恐怖に支配されつつ、それでもひたすら前進していたルベリア。 ふと、岩壁に黒い影がもうひとつ現れたことに気付いたためピタッと足を止めた。しかし、その影は前方からではなく己の背後からゆらりと現れたことに驚きのあまり慌てて振り返る。 何か言葉を発する隙もなく、ルベリアは突如として背後からヌッと現れたソナによって抱きしめられていたのだ。 「ルベリア様……あなたは、とてもお優しい方ですね。あのお二人のように、私を拒絶なさないなんて……」 「ソナ……いったい、どうしたの?いつもの、君らしくないよ……こんな――こんなことを僕に対してするだなんて……っ____」 すると、その直後――ソナはささっとルベリアから離れて普段通りの悪戯っぽい笑みを浮かべながらルベリアへとお辞儀したため、すぐに冗談だと思い直した。 「ルリアナ様は……本当にノスティアード殿のことがお好きのようですね。一介の使用人であった私など入り込む隙もないほどに……って――このようなことをルベリア様に申しても仕方がありませんね。きっと、あなた様には――私の悩みなんて分かりそうにないですから……」 こんな弱音を吐くソナを、ルベリアは王宮内で見たことがなかった。だからこそ、ルベリアはソナの力になりたいと思った。 「ソナ……そんなことを言わないで。僕なんかで良かったら、いつでも悩みを聞いてあげるし……それに、君の味方になるから。だから、お願い――僕の側から離れるなんて悲しいこと考えないで……っ____」 ソナがキルーガと仲違いをするということは、それすなわちこの一行から離脱しかねない事態だとルベリアは思い込んでいた。 涙がこみ上げてきそうになるのを必死で堪えながら、ルベリアは思いをソナへと吐き出した。 「申し訳ありません……別にキルーガとやらのウ・リガ人に対して本気で悪意を感じている訳ではないのです。ただ、あまりにも……あなたの身が心配で。さあ、戻りましょうか……また、新たな場所へ行くようですからね」 と、ソナと共に元にいた場所へと引き返そうとした時だった。 岩壁に、新たに黒い影が浮かびあがり此方へと近づいてくるのだった。

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