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夢を見ていた。それは、幸せな。
『ただいま』
一人暮らしのアパートへ帰ると、そこには明かりが灯っていて、ドアを開ければ部屋の中には自分以外の人間がいる。
――ただいま……か。
今までそれを使う相手を持ったことのない貴司だから、口に出す度に恥ずかしいような、むず痒いような、そんな気持ちに、ついはにかんでしまうのだけれど。
『……おかえり』
抑揚もなく答える〝彼〟の、頬が僅かに色づいたことに、気づいた貴司は心がじんわりと温かくなるのを感じた。
『お腹空いたろ? 夕飯作るから、ちょっと待ってて』
そう告げながら鞄を下ろし冷蔵庫を覗いた貴司が、今日はチキンライスにしようと決めてから、取り出した玉葱を刻み始めると、少ししてから立ち上がった彼が横から手元を覗き込んでくる。
『今日はチキンライスだよ。危ないから、ちょっとだけ離れて』
言いながら、視線だけを横へと向ければ、そこにいるのは自分よりだいぶ背の低い、西洋風の人形みたいに整った顔の少年で。
――これは、夢だ。
大学生だった自分と、中学生の聖一との記憶。
まだ身長も自分の方が高かったし、恋愛感情なんて微塵も抱いてはいなかった。そんな昔の風景の一コマ。
『……チキンは、どこに入ってるの?』
尋ねてくる彼の声も、声変わりの済んでいない高めの澄んだ綺麗な声。ケチャップライスの中に見えているシーチキンを指差しながら、『これだよ』と笑いかけると、少しだけ考えるような素振り見せた聖一は、『ふぅん』と一言興味なさ気な返事をしつつ、食い入るように手元を見ている。
当時、奨学金とアルバイトでどうにか国立大学へと通っていた貴司だから、生活はかなり厳しかった。だけど、ひょんなことから知り合いになった自分よりもかなり年下の友人は、アルバイトの入っていない金曜日、決まってアパートを訪れる。
――猫みたいだ。
最初はほとんど会話もなく、ただなんとなく一緒に過ごしているだけだった聖一に、合鍵を手渡したのは、彼が中学生になった時だ。その時、ほんの少しだけ嬉しそうな表情を見せてくれたから、貴司自身も嬉しくなって微笑んだことは覚えている。
『シーチキンだって、高級品なんだぞ』
文句を言われた訳でもないのに口をついて出た言い訳に、驚いたような表情を見せた聖一が、次の瞬間、口元を少し歪めたことに気づいた貴司は、笑みを浮かべて彼を見た。
『可笑しかったら笑えば良いって、いつも言ってるだろ』
一年近くになる交流から、感情がうまく表現できない彼の気持ちが、だいぶ理解できるようになっていた。だから、促すように貴司が告げると、聖一は、唇の端を僅かに上げて窺うように見上げてくる。
『うん、それでいい。セイは笑ってたほうが絶対いい。ほら、笑う門には福来たるって言うだろ』
告げながら、栗色の髪をクシャリと撫でれば、ぎこちなかったその表情がほんの少しだけ綻んだ。
『分かった、練習する』
『練習って……まぁ、いいか』
引っ掛かりは覚えたけれど、滅多にない彼の笑顔を見ることができて嬉しかった。当時の貴司は、人見知りの少年が、自分に懐いてくれたことを、奇跡のように感じていた。
家族という存在に縁のなかった貴司だから、まるで弟ができたみたいなひと時を、宝物だと思っていたし何より優先させていた。
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