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雨は嫌いだ。
どうしても昔を思い出すから。
『残ってんのはガキだけかよ!』
『あの女……見つけたらただじゃおかねぇ!』
まだ幼かったころの記憶。頭上に飛び交う怒号の中にぼんやりと立ち尽くしながら、母親に捨てられたことだけは、はっきりと自覚できていた。放り出され、雨に打たれ、どうしたらいいか分からなくなり、涙を流して震えていた。
――ダメだ。
努力して、ようやく自分だけの居場所を作ることができたのに、どうしても雨が降っている日は精神的に不安定になる。それでも、最近はただ鬱屈とした気分になるだけだったのに、今日は冷や汗が滲んできたからいつもより少し酷いみたいだ。
――やっぱり……部屋に戻ろう。
こんな状態で勉強になど身が入る訳がない。部屋で布団に包まって、今日一日をやり過ごそうと決めた貴司が足を止め、戻ろうとした丁度その時、傘を叩く雨音に紛れて聞き覚えのある鉄の擦れるような音が、小さく貴司の鼓膜を揺らした。
――ここは。
考えに深く耽っているうち、いつも訪れる公園の前へ歩みを進めていたことに、貴司はここでようやく気づく。
――まさか、今日も来てるのか?
信じられない気持ちで顔を横へと向け、傘を持ち上げるようにしながら、伺い見たその先に、『まさか』の光景は広がっていた。
「なっ」
思わず口から漏れた驚きの声は雨音に掻き消される。傘もささず、いつものようにブランコを揺らす少年の姿に、まるでそこだけ雨が降っていないような錯覚にとらわれるが、そんなはずはないと考え少年の方へ足を進める。
――傘を渡すだけだ。
貴司のアパートはすぐそこだから、自分は走って帰ればいい。そんなことを考えながらブランコへと歩み寄るけれど、近づくにつれ貴司は自分の心臓の音が煩くなってゆくのを感じた。
緊張で、指先が小さく震えてしまう。自分から誰かに接触しようと思ったことなどほとんどないから、どんな風に声をかければ良いのかさえ分からない。やっぱり止めて戻ろうかなどと弱気な気持ちが顔を出すけれど、雨に濡れている少年の姿は幼い自分を彷彿とさせ、放って帰るのは憚(はばか)られた。
ブランコを囲う柵の所まで近づくと、雨に濡れた少年の姿は頼りなさげに揺れていて、その頬を伝う雫がまるで涙のように見えてしまう。
――違う。
一瞬、彼が泣いているのではないかと思った貴司だったが、直ぐに考えを改めた。
色素の薄い彼の瞳は硝子玉のように綺麗だが、何の感情も宿してはいないように見える。貴司の存在に気がついているはずなのに、目は合っていてもどこか遠くを見ているような雰囲気だった。少しの間、その瞳に囚われたように動けずにいた貴司だが、遠くから聞こえたクラクションにようやく我を取り戻し、柵を跨いで少年の前へ歩み寄る。
「これ、使って。そんなに濡れて風邪でもひいたら大変だから」
彼にとっては初対面のはずだから、怖がらせないように気を使い口角を上げて傘を差し出す。
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