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 すると、少年は少し驚いたようにまばたきを繰り返した後、ブランコを止めた。 「僕に貸したら、貴方が濡れてしまいます」  小さいけれど良く通る、耳に心地好い澄んだ声が空気を揺らす。とりあえずは返事を貰えたことに安堵しながらも、少年の口から飛び出した尤もだけれど子供らしくないその返答に、思わず貴司がクスリと笑みを浮かべると、不思議そうな色をたたえた少年の瞳がこちらを真っ直ぐに見つめてきた。そしてその時、貴司は初めて本当に彼と視線を交わしたような気がした。 「俺は、大丈夫だから」  告げながら、少し屈んで傘の柄の部分を少年の顔へと近づけるが、彼は貴司の顔を見つめたまま中々それを取ろうとはしない。 「えっと……俺のアパートすぐそこで、走って行けばそんなに濡れない。だから大丈夫だよ」  先程彼が発した言葉を思い出し、理由も告げてみるけれど、今度は小さく首を横へと振られてしまう。その姿に、拒絶されたような気持ちになった貴司は、柄にもなく自分から話し掛けたことを後悔するが、もう関わってしまった以上、濡れそぼっている彼をこのままにして帰る訳にも行かなくて、何か良い方法はないか懸命に思考を巡らせ、一つの案を導き出した。 「だったら、俺のアパートまで一緒に入って行って、そこから傘を持って帰るんじゃダメかな?嫌なら俺が送って行ってもいいし」  また拒絶されたらどうしようかと内心ドキドキしながらも、悟られぬように笑顔を作り少年へと声を掛けると、今度は直ぐに頷いた彼に、貴司はホッと安堵のため息を漏らす。 「俺の家が先でいい?」  確認のために尋ねると「はい」と短く言葉を返した少年が、ようやくブランコから立ち上ってくれた。  そこから、どうやって家へ向かったのかは正直あまり覚えていない。 「家、ここだから」  アパートの前で足を止め、隣を見下ろし貴司が告げると、こちらを向いた少年が「ありがとうございます」と頭を下げた。丁寧な礼の言葉に驚きながらも傘を差し出すと、それを手に取った少年が、もう一度お辞儀をする。  ――育ちがいいんだろうな。  そんなことを考えながら、つられて頭を下げた貴司は、瞳に映る少年の姿に違和感を持って目を眇めた。特に会話を交わす訳でもなく、ここまで来たから気づかなかったが、ずぶ濡れになった彼の体は見れば小さく震えていて……その姿に、かなり体温が奪われているのではないかと思った貴司は、お節介かもしれないけれど黙ってはいられなくなってしまう。 「家は、遠いの?」  尋ねると、頷きが返ってきた。 「服……貸してあげるから、家で着替えて行くか?」  ――俺は……何を?  思わず告げてしまった言葉が自分でも信じられなくて、貴司が心で自問していると、不思議そうな色を湛えた少年の瞳と視線が合う。  ――だけど、このまま帰したら。  後悔しそうな気がする。そう思った貴司は更に言葉を続けた。

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