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「靴、大丈夫?」  玄関へと足を運ぶと、靴も用意されていた。久しぶりに履いた靴は少し大きめだったけれど、歩く分には支障ないから貴司が「はい」と答えると、頷いた彼が玄関のドアを外へ向かってそっと開いた。  玄関から廊下を歩きエレベーターへと乗り込んで、そのまま地下へと移動すると、歩樹は停めてある車の鍵を開いた。 「横になってちょっと待ってて」 「はい」  後部座席へと貴司を乗せ、ドアを閉めると歩樹は踵を返してエレベーターへと消える。  ――どこへ?  一人にされ、一瞬不安になったけど、とりあえず今は彼に言われた通りにシートへ横たわった。  ――息が、苦しい。  いくら短い距離とはいえ、ちゃんと歩くのは久々のことで体がフラフラしてしまう。胸の鼓動が速まっているのは疲労からなのか、出られたことへの興奮に似た感情からなのか分からないけれど、貴司の体は無意識の内にカタカタと震えていた。  ――これから、どこに行くんだろう。  織間歩樹が一体どういう人物なのかは分からない。けれど、悪い人ではないことだけは確かだと貴司は思う。彼がくれた優しい言葉や、暖かい掌は、決して見せ掛けだけのものではないと貴司は感じたから。  そんなことを考えていると、ドアの開く音がして、貴司が視線を移動させると運転席に乗り込む歩樹の後ろ姿が目に入った。 「大丈夫? どこか痛いところはない?」  体ごと振り返り、そう尋ねた歩樹に向かい、「平気です」と返事をすると、何かを手にした彼がこちらへと腕を伸ばしてきた。 「これ、着けといて」 「え?」  手渡されたのはアイマスクで、意味が判らず貴司は動揺してしまう。 「長いこと、太陽見てないみたいだから、このまま外に出たら目に悪いよ」 「あっ……はい」  彼の真意が伝わって、幾分安心したけれど、目を隠すのは本能的に怖かった。それでも今はそんな我儘を言えるような立場ではないから、躊躇しながらも貴司はそれで自分の目を覆い隠した。 「動くよ」  告げてくる声と共に、車が静かに動き出す。シートの上へと横たわったまま、貴司は手をギュッと握り込み恐怖心を押さえ込んだ。  ――セイは、俺を探すだろうか?  できることなら探さないで元の彼に戻って欲しい。そんなことをふと考えて、切ないような気持ちになる。この判断が間違えているとは思いたくはなかったけれど、結果としては彼を裏切るような形になってしまった。  ――ごめん。だけど……。  自分には、どうすることもできなかった。本当は、何かできることがあったのかもしれないけれど、極限に近い日々の中では、考えている余裕も貴司にはなかったのだ。

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