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……。 …………。 遠くから、声が聞こえてくる。 どこかで聞いたことのあるような声だ。 ぼんやりとした意識の中、次第にその声ははっきりと聞こえてくるようになり、そして。 「原田さん……っ、原田さん!」 「っ、うへ?!」 大きく肩を揺すられたとき、飛び起きる。 アホな声が口から漏れたような気がしたが、それもほんの一瞬、俺はなぜだか黒髪赤メッシュの男に抱き締められていた。そしてめっちゃ良い匂いする。 「……良かった、気付いたんですね。白目剥いたまま動かないので俺、どうしようかと……」 まだ起きがけで意識のはっきりしない頭だが、不安そうな犬みたいにぷるぷるしてるこいつには覚えがある。……そうだ、笹山だ。 「俺、どうしてここに……って、痛えッ!」 どこだと思いきや休憩室のソファーの上のようだ。起き上がろうとした瞬間、下腹部に走る鈍痛に思わず飛び上がりそうになる。青い顔をした笹山は「大丈夫ですか」と俺を支えてくれる。 「今はまだ無理して動かない方がいいですよ。喉も乾いてますよね。……待っててください、今飲み物用意しますね」 「あ……悪い」 ぺこりと控え目に会釈し、笹山はそのままソファーから離れる。そういやヤケに声も枯れてるし……どうして……と考えたところで、思い出す。 AVコーナー、暗幕の中、素股、ピアスの感触。そして、紀平さん。 「……っ!!」 穴が合ったら入りたいとはまさにこのことだ。確か、気絶する瞬間店長の声が聞こえてきた気がする。けれど笹山が付き添ってくれてるということは、事情を知ってるのか。 それなのに俺はぐーすか眠りこけていたのか。そう思うと居たたまれなくなって、ソファーのタオルケットを被って身を隠そうかと思ったとき。 「大丈夫ですか?……って、聞くことじゃないですよね」 笹山が戻ってきた。 サイドボードに置かれるのは水が入ったグラスだ。「どうぞ」と差し出され、俺はありがたく頂戴する。けど、笹山の顔を直視できなかった。 「あ、あの……俺……」 「すみません、もう少し俺が早く気付くことができれば原田さんがこんな目に遭わずに済んだのに」 「ぃ、いや、別に笹山のせいじゃ…ないだろ、これは……!」 「いえ、俺の責任です」 やはり、笹山は知ってるのか。けれど、四川のときも思ったが笹山に非など一ミリもない。 なのにこの男はまるで自分のことのように重く受け止めるのだ。「笹山」と、嗜めるようにその名前を呼んだとき、笹山は苦しげに顔を歪める。何がそんなにお前を追い詰めるのだ…とそわそわしたとき。 「まさか店長が砂糖と媚薬をすり替えてるとは思ってもなくて、それを紀平さんと原田さんにたくさん食べさせてしまうなんて…… 」 それはお前のせいじゃないぞ、と言う準備をしていた俺は予想の斜め上へと投げられるそのボールにそのまま硬直した。 「いや、ちょ、待て、なんだよ媚薬って……っ!」 「実は、店長が試作品の精度を確かめるために店員たちに秘密で調味料に媚薬を混入させていたようで……俺もさっき店長から聞いたばかりなんで詳しくはわかりませんが」 いやまじでそれは笹山悪くねーだろ百発百中あの睫毛のせいじゃねえか。 「甘党の紀平さんのケーキには特別砂糖を入れてしまったのでもしかしたらと思って原田さんを探していたのですが……すみません」 一歩どころか二歩三歩ほど遅すぎたせいで大切なものを失ったがな!なんて言えるはずもなく、俺は冷や汗がダラダラになったまま言葉を探してた。 ……ということはだ、紀平さんがあんなことしたのも、俺があんなことした上あんなことなっちゃってあまつさえああなったのは全部店長(の用意した媚薬)のせいだということか。よかった、それなら俺は公共の場での自慰趣味がある変態でもないということだ。 それを知れただけでも肩の重荷が落ちるようだった。 「や……別にいいって、もう」 「原田さん…」 「それに、そんなの笹山が知らなくて仕方ないだろ。悪くねーって、やっぱり」 全然よくないしケツは痛いし散々だが、それでもそれだけは言っておかなければならない。 気の毒なほどにしょぼくれた笹山にそう念押しすれば、笹山は押し黙る。沈黙。なんだか俺も今更ながら恥ずかしさがこみ上げてきて、ケツいてーし、気まずさを覚え始めた矢先のことだった。 「原田、ここにいたのか!」 バァン!!と勢いよく開く扉、そしてそこから現れた嵐のような男もといすべての元凶に俺と笹山は身構える。 「店長…っ」 「店長、紀平さんは……」 「ああ、エロ本とAVとどんな男でも三擦りで射精すると評判のオナホを押し付けてきて閉じ込めてきた」 なんだそのオナホは、少し気になるぞ……! じゃない、そうじゃない。 「効きすぎるというのも厄介だな。くそ、あの野郎一度ならぬ二度までも原田に手を出しやがって…っ」 お前のせいじゃないかと喉先まで出かかったが、それよりも先に笹山が反応する方が早かった。 「店長が勝手なことするからじゃないですか」 いつもの穏やかな口調ではあるが、それでも、笹山が怒ってるのが俺でもわかった。そして、俺よりも指摘された店長の方が驚いたような顔をしてる。 「ぐ…っ。笹山、お前だけは俺の味方だと思っていたんだがな」 「店長のことは尊敬してましたけど、正直見損ないました。…原田さんをこんな目に合わせるなんて、それに紀平さんにだって…」 「な、なんだ…どうした笹山、まさか本気で怒ってるのか…?!」 「当たり前です、こんな真似……っ!」 言い掛けて、笹山は俺を気遣ってくれたのだろう。一瞬だけこちらを見て、それから言葉を飲んだ。 思わずトゥクン…となるが、危ない危ない。あまりにも男前な笹山に思わず俺までキラーされそうになる。というか、本当に真面目なのだろう。こんな風に言われるとなんだかむず痒くなる。 「笹山…」 「まあそんなつれないことを言うな。今回に関しては笹山、お前も俺と共犯なのだからな」 「ちょっ、な、何言ってんすか!どう考えてもあんたの……ッ」 「まあそう大きな声を出すな、体に障るぞ」 「うぐ……ッ」 「そして済んだことは仕方ない。一先ずお前は自分の体の心配をすべきだろうな」 なんだこいつ、笹山まで巻き込みやがった上にさらりと話の本筋を摩り替えようとしてるぞ!大人げない上に汚いやり口だ。 「心配って、別に……」 「後処理はしたもののその様子だとまだ手当をしていないのだろう?丁度いい、軟膏タイプの傷薬だ。このまま放置しておくと後々辛いことになるだろう」 「え……」 「一生おむつ生活にはなりたくないだろう」 お、おむつ……?! さらりと不穏なことを口にする店長に想像して血の気が引いた。 嫌だ、と首を横に振れば、店長はにやりとその口元に嫌な笑みを浮かべるのだ。傲慢で姑息、大人気なくて、いやらしい笑みを浮かべ、そして……。 「脱げ」 そう一言、にこっと営業スマイルを浮かべた店長はそんなことを言い出した。 「店長……ッ!」 「おい、落ち着け笹山。……何をそんなに慌てる必要がある?手当をするためには下を脱ぐ必要があるだろう。だから脱げと言ったまでだ。他意など微塵も、これっぽっち!……もない」 これほどまでに嘘臭いセリフを聞いたことがあるだろうか。冷めきった笹山と俺の目に、店長は「おいおい」と狼狽えたように肩を竦める。 「……言っておくがこれはお前のために言ってるんだぞ、原田。このままだとお前の肛門の裂傷は化膿し、トイレに行くたびにひんひん泣く羽目になるだろう。ちゃんとしたケアをしなければトイレだけではない、座るだけでも気持ちよくなってしまい今後の生活に支障をきたす羽目になるぞ!」 「す、座るだけで……?!」 「店長、大袈裟じゃ……」 「何を言ってる笹山、もし原田が今後まともな生活を遅れなくなったらその責任は俺にもお前にもあるということだぞ。それでいいのか?」 「う、そ、それは……」 「そうならないためにも正しい手順、方法で迅速に手当をする必要があるだろう。ああ、そうだ、これは誰のためでもない。……ぽっくりと奪われしまった原田の処女のためだ」 「は、原田さんの……ため……」 「ああ、そうだ。よく考えてみろ。お前はただ知らずに俺の協力をしてしまっただけだ……運が悪かったともいえる、けれど、因果的に原田の処女ケツが無慈悲にも奪われる羽目になったのは……」 「お、俺のせい……?」 「待て待て待て……っ!笹山を洗脳しようとしてませんかアンタ!」 「おいおい人聞きが悪いな。それに、仮にも上司である俺に対してアンタとはなんだ。……俺はただ事実を述べているだけだ、そんな卑怯な真似俺はしないぞ」 よくもこの男いけしゃあしゃあと……! 俺が腕力に自信がある男ならパンチの一発や二発食らわせたいのだがいかんせん状況が悪すぎる。 そして、店長はわなわなと震える笹山の肩を抱く。その顔に悪人のような笑みを浮かべたまま悪魔のような囁きをするのだ。 「笹山、原田を捕まえておけ」 最悪の事態だった。 笹山の優しいところを利用しやがるこのゲス睫毛野郎もとい店長。

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