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飲んだら乗るなハメるな誘うな襲うな
今日一日のバイトを終え、店長から一日分の給料をもらった俺は帰り支度をするために更衣室に来ていた。
仕事内容にプラスして厄介なスタッフたちの相手をするのはなかなか重労働だ。そう考えればこの狂った給料設定も妥当のように思えるほどだ。
何気なく携帯を確認すれば、着信が入っていることに気付く。残念ながら『誰からだろうか』と考えるほどの人数は登録されていないこの携帯は、ほぼ翔太からの受信専用になっている。今回もどうせ翔太からだろうな。なんて思いながら端末を確認すれば、そこに表示された大量の不在通知に思わず顔が引き攣った。
「あ、あいつ……」
着信履歴には翔太から何十件もの大量の留守電が入っている。それに加えてメッセージは倍以上だ。
……またあいつバカみたいに電話しやがって。
暇なのか、最早嫌がらせ染みた着信履歴に今更呆れたりはしないが、限度というものがあるのではないだろうか。
バイト中は携帯を弄れないので休憩時間以外触れないのだが、どうやらそれがまた翔太の心配性というか暇人根性に火をつけてしまったようだ。
このまま無視するとかえって面倒だな。
渋々俺は翔太に電話を掛け直そうとしたときだ。
無人だった更衣室の扉が勢いよく開かれる。
何事かと目を向けたその先には本日の疲労の主な原因であるクソ生意気野郎、もとい四川がいた。いきなり入ってくるものだから思わず携帯を落としそうになる。
「お、おい、もう少し静かに入ってこれないのかよ……!」
「んなの俺の勝手だろ。つうか、なに勝手に帰ろうとしてんだよ」
「……べ、別に……俺がいつ帰ろうとしたっていいだろ!」
「歓迎会」
「……あ?」
「歓迎会するから店長にお前呼んでこいって言われたんだよ」
「……って、誰の」
「お前の」
なにそれ初耳なんだけど。
「いや、俺いまから帰るし…っうわ、ちょ、引っ張んなってば!」
「うるせえな、つーかどうせ帰っても寂しくエロ動画でシコシコするくらいしか予定ねえんだろ童貞君はよ」
「んなぁ……!!」
クソ、図星指されて何も言い返せねえのがすげー悲しい。
つうかなんだよコイツ、馬鹿力野郎!頑張れ俺の筋肉!今役に立たなきゃいつ役に立つんだ!
そう必死に抵抗するも虚しくやつに引き摺り出される。
「く、クソ!離せ!訴えるぞ!」
「おーおー、弱え犬がよく吠えんなぁ?」
「うぐぐ、年下のくせに……!」
「一個違いなだけでイキってんじゃねえよ」
くそう、お前もな!と笑う四川に引き摺られながらも俺は何とか落としそうになった携帯とバッグを死守することに成功した。相変わらず俺に拒否権はないらしい。
【飲んだら乗るなハメるな誘うな襲うな】
場所は代わって店からそう離れていない居酒屋の個室にて。
「おい、一つ聞いて良いか」
「はい、どうぞ」
「俺は四川に原田だけを連れてくるように言ったはずだがなぜ貴様らがいる?」
「なぜってそりゃあ、歓迎会するんなら皆でやった方がいいじゃん?」
「『じゃん?♡』だと……?『じゃん♡』ではないだろう!『じゃん♡』では!貴様だ貴様!貴様紀平、どの面下げて原田を歓迎するつもりだこの野郎……!!」
青筋を浮かべた店長は隣の紀平さんに掴み掛かろうとするが、当の紀平さんはというとメニューを片手に全く気にしない様子で爽やかに笑うのだ。
「や、だってかなたんと店長を二人きりにさせるなんて可哀想だし」
「貴様に心配される筋合いはない!」
また始まった。というか俺からしてみればどっこいどっこい、どんぐりの背比べ同然なのだが。
今更だが 店長と紀平さんは仲がよくない。というか店長が一方的に噛み付いているように見えるが。
更にいうと紀平さんもそんな店長で遊ぶのが楽しいのだろう。火に油注いでるようにしか見えないが、そんな中でも周りは全然気にしていないのできっといつものことなのだろう。俺も気にしないことにした。
通された座敷の個室には数名のスタッフが集まってわいわいと賑わっていた。知ってるやつに擦れ違ったくらいしかいないやつ、おまけに初対面の人間まで様々だ。中にはあまり顔を出さないレアな人物もいるらしい。俺にはまだよくわからないが、確かに見ない顔はいくつかある。
……しかし、見事に女がいない。
なんだこのむさ苦しさは。
「あの、二人とも落ち着いてください。原田さんが縮こまってるじゃないですか」
隣に座っていた笹山が見兼ねて二人の仲裁に入る。
さ、笹山……やっぱりお前が俺の救いだ……。
相変わらず気の利く男・笹山にジーンとしてると、不愉快そうに「ふん!」と鼻を鳴らした店長は向かい側の席で通常メニューを見ていた四川に矛先を向けた。
「大体四川、貴様のせいなんだからな!俺は誰にも言わずに原田だけを連れて来いと言ったはずだ。余計なもんまでゾロゾロ引き連れて来やがって」
「冗談だろ。俺はちゃんとこいつだけ引っ張って来たんすよ。それなのにゴネたコイツに店長が『お前のための歓迎会なんだから来てくれたっていいじゃないか!』とか騒ぐから皆ついてきたんだろ」
「ぐっ!」
そして言いくるめられていた。
「まあ、どっちでもいいじゃん。そんなこと。早く頼もうよ、俺焼酎」
「ど、どうでもいいだと?!」
「かなたんはなにがいい?」
すげえ、店長総無視だ……。なんだか可哀想な気もするが、まあ確かに早く呑みたくて呑みたくて仕方なかった。俺は紀平さんからメニューを受け取り、ずらりと並ぶ酒名に固唾を飲む。
「……じゃあ、俺は生で」
「オレンジジュース」
そう俺の注文に被せるように言い放つ四川。それだけでもなんだよこいつとなったが、それよりもその注文内容に耳を疑った。
「お、オレンジジュース?!」
「……なんだよ」
「い……いや、お前、やけに可愛いの頼むなって」
「酒嫌いなんだよ。だから飲ませてくる紀平さんの隣だけはまじで勘弁」
「相変わらず冷たいなあ。少しは透見習いなよ。……あ、透は何にする?」
「じゃあ、俺も生で」
なんて、控えめに答える笹山。あ、笹山は飲めるのか……ん?待てよ?笹山って確か十九歳じゃあ……?
そうあまりにもナチュラルな笹山の反応に惑わされてると、紀平さんは「司君は?」と聞きなれない名前を口にした。
……司?なんとなく紀平さんの視線の先に目を向ければ、そこには見かけない顔の黒髪の青年がいた。
「……じゃあ、俺はお冷やで」
高揚のない平淡な声。冷めた目でメニューを眺めたまま手にした司と呼ばれたそのスタッフは呟いた。
よくいる地味でぱっとしない大学生みたいな感じだがここにいるということはやはりアダルトショップで働いている人間だろう。
紀平さんや四川のようなどちらかと派手であからさまな人間が多いうちの店じゃ、なんとなく浮いているように見えた。それと同時に妙な親近感を覚える。
「どうせなら味あるもん頼めばいいのに。店長の奢りなんだから」
「な、何を勝手なことを……!!」
「あれ?店長さっき好きなだけ食わせてやるって言ったじゃないですか」
「原田に言ったんだ!なぜ貴様らに奢らなければならない!おまけに紀平、貴様のような暴食漢など言語道断!丁重にお断りする!」
「あ、鉄板焼お願いします」
「無視するな貴様らぁあ!」
店長の叫びを無視して、賑やかというか騒がしい歓迎会は始まった。
今思えばこの時点で帰っとけばどれだけよかっただろう。まあ、思うだけなら簡単だ。
暫くしてどんどん好き勝手に頼んだ料理や酒が運ばれてくる。それからはもう宴会騒ぎだ。
「ってことでー、えーと…あれ?これなんの飲み会だっけ?まあいいや、取り敢えずかんぱーい!」
雑だ、雑すぎる紀平さんの乾杯の挨拶にも周りは「かんぱーい」と合わせてグラスをぶつける。
すっかり締まりのない空気だ。けれど、俺はこういう空気は嫌いではない。なんて思いながら、隣の笹山と乾杯した俺はそのままぐいっとグラスに口をつけ、傾けた。
――それが、数十分前。
「は……原田、お前ちょっとペース早いんじゃないか?」
「……なにいってんすか、全然っすよ俺」
そう、ぐいっとグラスを傾け、ビールを流し込む。
キンキンに冷え切ったアルコール、喉を焼くようなきっつい炭酸とその喉越しが堪らず、気付けば一気に水滴まで流し込んでしまっていた。
「おお、いい飲みっぷりだね、かなたん」
「……紀平さんこそ、飲み過ぎでしょ……何杯目すかそれ」
「あは、俺酒に強いからさあ、つい飲み過ぎちゃうんだよね」
「き、貴様が酒に強いだと……?な、何を言ってるんだ……?!」
その紀平さんの一言に、いつかバイト感覚でホストやっていたときのことを思い出す。『俺酔わない質なんだよねぇ』とにやにや笑い自慢気に女の子口説いていた気に食わない先輩ホスト。
似ても似つかない記憶の中のそいつと紀平さんが目の前でダブり、なんとなくカチンときたのだ。
「奇遇っすね、俺も酒強い方なんですよ」
「へーそうなんだ、俺たちって相性いいね」
「紀平さん、どっちが先に潰れるか飲み比べしませんか」
「おい酔っ払い共、いい加減にしろ!貴様らもう酔ってるだろ……!」
そう仲裁に入ってくる店長だが、紀平さんの耳に店長の言葉は届いていないらしい。
「いいね、それ」
まさに、売り言葉に買い言葉というやつだ。
「せっかくだし、負けた人は罰ゲームなんてどう?……そうだね、勝った人の言うことを一つだけ聞く、とか」
思いついたようにを提案する紀平さんに俺は「それだ」と思わず立ち上がる。
「じゃあ、紀平さんが負けたら土下座して俺の足舐めて下さい」
とにかく俺の中の精一杯の屈辱のイメージを口にしてみれば、向かい側の四川が「ぶふッ」とオレンジジュース噴き出していた。汚い。
「お……お前正気かよ、馬鹿だろ。つかなんで足だよ、馬鹿か……?!」
「うるせえな、俺は紀平さんと勝負してんだよ」
「原田さん、紀平さんも……取り敢えず水飲んで頭冷やしてください」
「俺はこれでいい」
言いながら誰が注文したのかわからねーけど取り敢えず並々注がれているジョッキに入ったビールを掲げれば、笹山は「原田さん」と弱ったように眉を下げた。
「紀平さん、原田さんこんなんですからどうか今回は……」
「いいよ。俺が負けたら土下座して足舐めればいいんだよね?」
「き、紀平さん……」
「笹山、諦めろ。こいつら、何も聞こえてないぞ……」
外野が何か煩いが、紀平さんが条件を飲むと言うならもうなんでもよかった。頷き返せば、紀平さんはニヤリと怪しげな笑みを浮かべた。
「それじゃあ、かなたんが負けたら俺になにしてくれるの?」
挑発的な、どこか含んだような視線。
いつも人良さそうな顔してヘラヘラしてるくせに時折見せるその見透かしたような目は何を考えてるのかわからない。いつもなら震え上がっているかもしれないが、今は違った。全身に回ったアルコールが思考回路諸々を鈍くさせる、所謂無敵状態というやつだ。
「負けませんから」
そうはっきりと告げれば、紀平さんは「へえ、強気だね」と微笑んだ。
「はは、面白そうだし罰ゲームはもし万が一かなたんが負けたとき考えようか」
穏やかで優しい口調だが、子供をあやすかのようなそれに思わずむっとせざる得なかった。
「おい紀平、乗るやつがあるか」
「いいじゃないっすか、かなたんがやりたいって言ってるんだから。せっかくの歓迎会なんだから無礼講で」
「お前が酒飲んでいい思い出になったことは残念ながらこれっぽっちも一ミリもないぞ。俺は忘れてないからな」
「まあまあ……あ、透、生二つ」
「わかりました」
紀平さんに命じられた笹山は店員を呼び、注文する。
「おい、笹山」と咎めるような視線を向ける店長に、笹山は苦笑した。
「二人ともやる気なんですから好きなようにさせましょう。俺も、ちょっと興味ありますしね」
「全く、誰が酒代払うと思ってるんだお前ら……」
頭を痛める店長の声が響く個室内。
物珍しそうに、ある者はにやにやと笑いながら室内にいたスタッフたちの目が向けられる。
俺の頭は未だ覚めない。
かくして、店員が運んできたジョッキがテーブルに置かれると同時に俺と紀平さんの酒飲み競争は始まった。
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