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閑話④

某アダルトショップ、そのスタッフ専用の休憩室にて。 「あーあ、司君も帰っちゃったし暇だなぁ」 「仕事したらいいんじゃないですかね」 「うっ、なんだか急に腹が痛くなってきた」 「ならそのアイス俺が貰いましょうか」 「透、また一段と性格悪くなったねー…」 「心配して言ってるんですよ。もう六本目じゃないですか」 「だって暑いしねぇ」 仕方ない、と一人納得したように頷く紀平に笹山は微妙な顔をする。まあ。本人が満足しているのならそれで良いのだろうが。……良いのだろうか。もういい、この人に何を言っても無駄だ。そう諦めた笹山は、紀平の向かい側の椅子に腰を下ろした。 「そういえば、店長は戻っていないんですか?」 「んぁ?……あー、多分まだ事務室の方いるんじゃない?」 「珍しいですよね、原田さんといい続けて人が面接に来るって」 「まーそうかもねえ。あ、でも透の時もそうだったじゃん。あれ続けてだったよね確か」 「懐かしいですね。自分の場合は阿奈から誘われたんですよ」 「はは、案外、今来た子もかなたんの友達だったりして」 「原田さんがこの店をご友人に勧めるようなタイプには思いませんけど……」 「やー、わかんないよ?自分の穴埋めかもしんねーし」 そう、笑いながらアイスバーをしゃくりと噛じる紀平の言葉に笹山は硬直する。先程まで浮かべていた朗らかな笑顔はどこいったのか、目を開く笹山の反応を見てそこで紀平は自分の失言に気付いた。 「……穴埋めって、なんの話ですか?」 「あ……透に言ってなかったっけ」 「初耳ですよ、まさか……」 「まあ、別に、改まって話すようなことでもないよ。さっきかなたんから電話がかかってきたみたいでさ、バイト辞めるんだって」 「原田さんが」 「そう。残念だよね、かなたん可愛かったから寂しくなるなあ」 「……」 「え……あれ、何その反応。透顔怖いよ」 「紀平さんよりマシです」 「うわ、本気で怒ってんじゃん。待って、俺は何もしてないからね?」 「……多分」と、残りのアイスを舌で器用に口の中に放り込んだ紀平はガリガリとそれを噛み砕く。そして、険しい顔をした紀平は「あ、きーんってなった」と唸る。笹山はそれを無視した。 「……でもさ、なんか様子がおかしかったみたいでさ。辞めるって言ったの、かなたんじゃなくて別の男だったって」 棒を裏返し、当たりの文字を探す紀平だったが目的の印はなかったようだ。そのまま、アイスの棒に占領されてる灰皿に一本追加する。食い過ぎだろうというツッコミを飲み込み、笹山は「男ですか?」とあくまで冷静に尋ねた。 「うん、男。俺もよくしんないから何とも言えないけどね」 「……原田さんって、恋人いたんですか」 「うん、まぁそこで恋人に飛ぶあたり透も結構毒されてきてるよね、ここに」 「……男、ですか」 「え、あれ、なに、マジ凹みじゃん」 テーブルに突っ伏すように項垂れる笹山を尻目に七本目のバーアイスを取り出そうと紀平が立ち上がった時だった。扉が開いた。そして……。 「なんだ笹山、お前まさか青春真っ盛りか」 「「……店長」」 「なんだその嫌そうな目は!もっと喜べ!涎を垂らせ!床を這いずって俺を讃えろ!」 「つい先前まで俺の登場を待ち侘びてたくせになんだこの有様は!」ホスト崩れの自称色男もといこの店の主はずかずかと休憩室に足を踏み入れてくる。室内の温度が一度上がった。 「うっわぁ、いつもに増してテンションたっけえっすね」 「面接、終わったんですか」 「ん、あぁ、まあな」 「それで?どうしたんですか?」 「採用だ」 そう涼しい顔をして冷蔵庫まで歩いていく店長を目で追っていた紀平だったが、ふとある事に気づき、「店長、ストップ。ストーップ」と慌てて立ち上がった。 「なんだ、俺は喉が渇いてるんだぞ。用件なら三十文字以内に述べろ」 「いや、店長、なんかケツからはみ出てんだけど」 呆れたように顔をしかめ、笑みを引き攣らせる紀平にハッとする店長は慌てて自分の尻を手で隠す。 しかし、一歩遅かった。 紀平からのアイコンタクトを受け取り動いた笹山は、店長の後ろポケットからがっつりはみ出ていた封筒を引き抜く。 「ああ!何をする貴様!カツアゲか、ちょっと背がでかいからっていい気になりやがって!」 「紀平さん」 キャンキャン吠える店長を無視し、封筒を紀平に手渡す笹山。 厚みのあるそれを受け取った紀平は既に開けられている封筒の中を覗いた。そこにはギチギチに詰まった新札。現ナマ。金一封。賄賂。そして、明らかに黒いものしか感じないそれを目の当たりにした紀平はここ最近で一番の穏やかな笑顔を見せた。 「なにこれ」 「……臨時収入だ」 「なにこれ」 「……軍資金」 「店長アンタ、いま俺達が何も言わなかったら思いっきり自分の懐に収めるつもりだったでしょう」 「だって、好きなように使っていいですって言われたんだから俺がどう使おうと俺の勝手だろ!」 「だってじゃないでしょう、だってじゃ……買収されてるじゃないですか店長」 「人聞きの悪いことを言うな!俺は俺の意思で……」 「で?これ、誰にもらったんですか」 「……さっき面接に来たやつ」 「面接って、あの眼鏡の人ですか」 「……あぁ、中谷と言ったな」 「採用にしたんなら履歴書あるんですよね?今すぐ出してください」 「確かにあるが、まさかお前素直に返すつもりじゃないだろうな」 「決まってるじゃないですか。こんな明らかに怪しいもの受け取るのは店長ぐらいしかいませんよ」 きっぱりと言い切る紀平に「でも」と口籠った時、「透」と紀平は言葉を遮った。 「悪いけど、ちょっと事務室の方見てきてくんないかな」 俺はちょっと手が離せないから。 そう爽やかに笑う紀平に店長は青ざめる。こうなったときの紀平には障らぬ方が吉だと判断した笹山は「わかりました」と一礼だけしてはすみやかに休憩室を後にした。 そして数分後。 事務室から中谷翔太の履歴書をとってきた笹山は、再度店長たちが待っているはずの休憩室へと戻ってきた。 「すみません、遅くなりました」 言いながら扉を開いた笹山。 それを出迎えたのは正座の店長とその前で仁王立ちになった紀平だった。 「ああ、早かったね」 「は……はい。……あの、これですよね」 笹山から履歴書を受け取った紀平はそのまま書面に目を走らせた。派手な赤い頭髪に黒縁の眼鏡。浮かべた微笑みがどことなく胡散臭い青年の証明写真。どっかで見たことある顔だな。 思いながら、連絡先の項目を見付ける紀平のその横。 正座を崩し、にゅっと紀平の脇から顔を出した店長は履歴書を眺める。そして、あることに気が付きた。 「おい、紀平。この住所って、原田と同じじゃないか」 「住所?」 携帯電話を取り出し、中谷翔太の電話番号を入力する真っ最中だった紀平は横から口を挟んでくる店長の言葉に目を細める。つられて住所の項目に目を向ければ、然程ここから離れていない住所がかかれていた。 「間違いない。ここは今日俺が行ったマンションだ。号室も同じだ」 「今思い出しますか、今」 「仕方ないだろう、よく見てなかったんだよ」 「どうなんすか、それって」 「……でも、それなら中谷さんと原田さんが同棲してるってことですか?」 「……ま、そういうことになるだろうねぇ」 驚きと困惑を隠せない笹山の問に、紀平は考えながら答える。原田の性格を考える限り、恋人というよりはルームシェアの相手だろう。けれど、あのときの居酒屋での様子を見るとなんだかきな臭い様子だったし……と、そこまで考えて紀平は閃く。 「もしかして、さっきの電話」 「何だ、電話って」 「司君が取った原田さんからの電話ですよ。バイト辞めるっていう」 「ああ…なんだ、あれがどうした」 そう、紀平に聞き返す店長だったがどうやら紀平が言いたいことに気がついたようだ。はっと目を見開く。小さく、ふるりと睫毛が揺れた。 「まさか、原田はこいつに脅されて……」 「さぁ、どうなんでしょうね。あくまで勘なんでなんとも言えませんけど」 言いながら携帯を操作し、即座にアドレス帳を開いた紀平はすぐに『時川司』に電話をかける。 その電話に目的の人物が出るのには差程時間はかからなかった。 『……はい』 コールが途切れ、受話器からはいつも以上に高揚のない時川司の声が聞こえてくる。向こう側は酷く静かで、おそらく自室にいるのだろう。 「もしもし、司君?ごめんね、ちょっといいかな」 『ええ、俺は構いませんよ』 俺は?もう一人傍に誰かいるのだろうか。含んだような時川の言葉が気になったが、あえて紀平は深くつっこまないことにする。 『それで、なにか』 「あーそうそう、あのさ、さっきかなたんから電話かかってきたじゃん。あの時、かなたんのあとに出た子の声って覚えてる?」 落ち着かない様子の店長となにか考えているのか、気難しい顔をした笹山の視線を浴びながらも、紀平は単刀直入に尋ねる。 そのときだった。受話器の向こうから何かが大きく軋む音が聞こえた。そのあと、わずかに時川の息を飲む音が聞こえ、紀平は勘づく。 『まぁ、覚えてますけど、そうですね…』 「特徴かなにか、あったら教えてよ」 『いいですよ』 即答する時川。 紀平が店長に視線で合図を送った時だった。 『でも』と、受話器越しの時川が言葉を紡いだ。 『どうせなら、俺よりも本人に聞いた方がいいんじゃないですか?』 『代わりましょうか』と、なんでもないように尋ねてくる時川の言葉を理解するよりも先に、当事者であるその人は受話器の向こうに現れることになった。 それは、紀平たちが予期もしなかった形で。

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