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 息を呑む。  高くも低くもない穏やかな男の声だ。三初の名前を呼んでいる。家だって言っていたからには、俺には来ないでくれと言ったそこに、その男がいるのだろう。 『は……』 「っ三はじ」 『先輩、すぐ戻るんでちょっと待っててください。──間森(まもり)先輩、どうかしましたか?』 『すみません、邪魔してしまって……』 『構いませんよ』 「ぁ、……」  電話口から離れていく三初の声があんまり俺へ向ける淡々とした声とは違っていて、呼びかけた名前を改めて言うこともできずに、静かに口を閉じる。  ……脳に冷水をかけられた気分だ。  そういえば俺は、アイツにとって特別ななにかではないことを思い出した。  先輩。同じ呼び方なのにまるで違う。  俺は急に謝ったかと思えば逆ギレして、こんな行為は大人気も余裕もない先輩。純然たる迷惑千万なかわいげのない先輩。  理性と感情がこんがらがった俺の八つ当たりじみた戯言を、ちゃんと求めた人と過ごしているらしいイブの三初にこれ以上聞かせようとすることは、反省しない甘えの証だろう。 「…………」  トン、と画面の赤いボタンを押して、声が聞こえない通話を切った。  黒く閉じたスマホをテーブルの上に置き、ボスンとソファーに寝そべって胎児のように丸くなる。なにも見えないようにキツく目を閉じた。  真っ暗な視界。  また秒針の音と照明のブゥンと痺れる音だけが飽和する世界。  誰もいないし誰にも聞こえない、一人っきりのイブだ。意気地なしで臆病者の意地っ張りのツケが、このザマである。  〝好きな人の特別になりたい〟  その欲求は、過去の自分にも覚えがあったような気がする。  今の俺の中にも、それはふつふつと湧き上がって消えない辛酸だ。  苛立ちが、焦燥が、もどかしさが、切望が、後悔が、とにかくたくさんの辛酸が、冷えた脳を溶かして渦を巻く。  ──なあ。そんなに柔らかな笑顔を向けるその男は、お前のなんなんだよ。  俺の知らないそいつは、俺とは違ってお前の〝特別〟なのか。  なんだよ。イブなんか興味ないって言ってたくせに、本命となら一緒に過ごすのかよ。さりげなく荷物持ってやったり、紳士ぶりやがって。  どこにも行ってないって、嘘を吐いて、めんどうくさいってわけがわからないって求めてねぇって、突き放して。  お前はその俺の知らない綺麗な先輩に、優しく笑いかけるんだろ。  俺のことはイジメてばっかりのくせに。  三初のくせに。 「どうすんだ、俺は、できねぇよ、上手に、できない」  ちゃんとわかっている。  閉じた視界で頭を抱えて、クッションの下に隠れようって無様に丸くなり、泣き言を漏らすアホらしい俺が悪い。  羨ましい。自分が不器用でいつも気づくのが遅いせいだ。妬ましい。セフレと本命じゃ違うってわかってるけど、いやそもそもフレンドじゃねぇ。片想い、片想いだ。俺が悪い、百も承知。  でも、でもな── 「お、俺が、俺のほうが絶対ぇ先に、アイツを誘おうと、してたんだ……っ」  ──俺のほうが、アイツを求めてるのに。  ボロボロとクッションに吸い込まれていく涙がみっともなくて、喧嘩をしてしまったのが余計に悲しくて、必死に考えたことが全部空回るのが惨めで。  テーブルの上のプレゼントが行き場をなくしてひとりぼっちなのが、救いようのない今の俺をありのままに物語っている。  そんなクリスマスイブだった。

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