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  ◇ ◇ ◇  大人は恋をするにもプライベートを充実させるにも、まず仕事をこなさねばならない。  人生を彩るために仕事をしているのに本末転倒な世の中だが、だからこそ仕事にやりがいを見つけて取り組む。  新コンビ始動に際して準備期間は各所へ引き継ぎを連絡し、今回の企画のマニュアルを用意して打ち合わせ、俺と三初の仕事は新人コンビに明け渡した。  俺たちが今着手していた仕事は、手のかかるリサーチやら依頼やら計画やら発注やらその他もろもろを終わらせて、完成の土台すら磐石な企画だ。  それをこのタイミングで引き継ぐメリットは、お手軽に現場経験を積ませるためと、自分の仕事が最後にどうなるのかを実感させるためである。なにかあったら聞けっつってるあるしな。  俺なりに激励の意味を込めて、引き継ぎの時に「頑張れよ?」と肩をポンと叩いてもおいた。  なぜか二人とも青ざめて吃りながら硬直していたが、腹でも痛いのだろう。  ちなみに正解は『死ぬ気でやれよ。人の企画でミスったら殺すぞ?』という副音声が聞こえていた、だ。  当時の俺が知る由もない架空の副音声である。どんな耳してンだよ。  ここのところ、三初という恐怖心と先輩を敬う心が欠如した後輩と接する時間が長くて、俺は自分の顔がイカついということをすっかり忘れていた。  デカくて目つきも口も悪い。声は低い上に大きく、仕草が粗野で、地顔が威圧的。しかも笑わない。愛想もない。  それらは、頭一つ分小さい学生上がりのヒヨコ社員が初めて出会う先輩としてこれ以上ないほど残酷に、社会の厳しさとやらを教えてしまったらしい。  いや厳しくねぇわ。激励だわ。むしろ俺に社会が厳しいわ。  閑話休題。  そんなレッテルを貼られつつも、引き継ぎを終えた俺は、竹本に渡された資料やらなんやらを熟読。  概要を覚えて自分なりに調べたり、不慣れな仕事に備えることで忙しい。  会社には学ぶ環境や先達はいるわけだからな。それを生かさないなら俺は無能だ。経験不足でもやれることはある。  おかげで新コンビ始動を前に、俺と三初がゆっくり過ごせるまとまった時間なんて、なかなか取れなかった。  三初なんて、まったく新しい役職を与えられたのだ。俺より忙しい。  総括は、言わば事務に任せられない専門的な部分全般の雑用係であり、案件に合わせて多様な企画を持ち寄り社内や他企業と戦う俺たちを、課内で支えるサポーターでもある。  そりゃあ企画会議や現場仕事に出なくて済むが、自分の仕事に集中する各コンビ同士を中継して企画課全体の計画を立てたり情報を伝達したりと、縁の下で忙しい。小さな雑用も集まれば立派な量になるだろう。  元々課長や部長を絶妙に手助けして融通を利かせたり、空き時間にダラけるために全体の進捗を把握していた三初だ。  総括は向いている。  ただコンビ替えで乱れた今の状況じゃ、総括の仕事量は膨大だろう。  普段から仕事が早いのも正確なのもやるべきことを正しく把握しているから、という三初は、その把握作業に追われている。  あとで楽をするためには、今苦労しなければならないらしい。  だから部屋で唸る俺と、入るなと言われた書斎にこもりっきりの三初とは、家であまり顔を合わせなくなった。  食事の時間も合わないので、出来合いのもので各自済ませる。  でも菓子パンばかりかじる俺の姿を、アイツはちゃんと見ていたようで。  資料を読みながらメモをしていたせいで目が痛くなり、ココアをいれようとキッチンに行った。 「あ……」  いつの間にか、具だくさんの野菜スープが入った鍋が置いてある。  そして冷蔵庫には、プリン。  ズルいだろ?  そんなことをされたら、余計にあのまったりとした時間が恋しくなる。  職場でも俺は竹本と一緒に行動しているし、三初は山本と行動しているから、尚更だ。  二人っきりであまり会えてない。  なのに、俺が食べてるものまで見てるか? 普通。なんだアイツ。 (ケッ、目敏くて、いちいちムカつくぜ)  スープを食べたあと、悪態を吐きながら不格好なおにぎりを握り、ラップをかけてこれみよがしに置いておいた。 「コーヒーばっか飲んでんなよ。アホ」  勝気に笑って、おにぎりに吐き捨てる。小言ごと食らいやがれ。  スッキリとした頭で部屋に戻り、過去の資料を見ながら傾向を学んだ。  今こうやって基礎を叩き込んで企画を乗り切れば、次からは余裕ができる。  そうしたらまた、文句を直接言い合いながら二人で食事ができるだろう。  ま、もうちっとだけ頑張るか。

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