21 / 29
【先輩は綺麗でいながら 9】
◆fujossy様ユーザー企画投稿作品
★「絵師様アンソロジー夏」7月6日19時公開!★
【キーワード】
①プール
②読書
③先輩後輩
久し振りに眺める浅水先輩の泳いでいる姿は、綺麗だ。
視線のカモフラージュ用に用意した本のページをめくることもできず、ただただ視線を奪われる。そんな夢のような時間を、いったいどのくらい体験したのだろう。
「はぁ……っ。……お待たせ」
ひとしきり泳ぎ終わった浅水先輩が、俺に近寄ってそう、満足そうに呟いた。
慌てて本に視線を移し、俺は小さな声を漏らす。
「おっ、お疲れ様です……っ」
浅水先輩の両手が、プールサイドに伸びる。
「岡本。そのまま後ろ、向いてくれる?」
「後ろ、ですか?」
浅水先輩の言葉の意味は分からない。が、俺は言われた通りに動く。
俺は体育座りをしたまま、プールに入っている浅水先輩に背を向けた。
すると後ろから、水の音がするのと同時に。……背中に、濡れたなにかがぶつかる。
「えっ? なっ、なに……っ?」
顔だけで振り返ると、すぐ近くに浅水先輩の顔があった。
「っ!」
顔の近さに、俺は慌てて俯く。
俺の背中に当たっているのは、浅水先輩の背中だ。プールの水で濡れているから、それが制服越しにも伝わっているのだろう。
「はぁ……っ。丁度いい背もたれだ」
「背もたれって……浅水先輩、背中がどんどん濡れていくのですが……」
「汗かいてたんだし、別にいいんじゃない? それに、今日は日差しが強い。すぐに乾きそうだ」
俺によしかかったまま、浅水先輩が俺の足元に置いていた栞を手に取る。
「……まだこの栞使っているの?」
浅水先輩が手に持っている栞は、俺のお気に入りだ。
──付き合って、初めて浅水先輩から貰った……プレゼント、だから。
「……悪いですか」
ムッとして浅水先輩を振り返ると、浅水先輩は栞を指でつまみながら、俺と同じようにこっちを振り返る。
「まさか」
そう言って、浅水先輩は口元を緩めた。
「……嬉しそう、ですね」
「そう見えた? なんでだろうねぇ?」
「さぁ。俺には分かりませんよ、そんなこと」
心ゆくまで泳いだからなのか、俺が浅水先輩から貰った栞を大事に使っているからなのか。どちらが理由にしても、浅水先輩は上機嫌そうだ。
俺にもたれかかっている浅水先輩を、ジッと見つめる。栞をつまんだまま上機嫌そうに笑っている浅水先輩と、視線が重なった。
それがなぜだか気恥ずかしくて、俺はまたもや俯いてしまう。
すると、後ろから名前を呼ばれた。
「岡本、こっち向いて」
その声は、いつもの少しからかったような口調とは違う。
先輩だからとか、そういう声じゃなくて。……低くて、胸の辺りがそわそわする声。
──恋人としての、呼びかけだ。
「……っ」
立てている膝の上に両肘をつき、本を開いたままもう一度振り返る。そうすると俺を見つめたままの浅水先輩と、視線が交わった。
「岡本、好きだよ」
そう言った浅水先輩の顔が、近付く。俺に告白をしてくれたあの時と変わらない、真剣な表情と声。
浅水先輩が今、なにをしようとしているのかは、分かっている。
分かっているのに、昨日のように俯いて避けようとは……なぜか、思えない。
「今回は、逃げたりしないの?」
額と額がくっつき、浅水先輩の吐息がかかる。ジッと見つめられて、頭の奥がクラクラしてくる感覚が、不思議でたまらない。
顔が、熱い。心臓なんて、走っている時と同じくらいバクバクしている。
「……少し、なら」
こんな時間に、こんな場所にいる人なんていないんじゃないか。……心の奥にあるほんの少しの甘えが、ジワジワと全身に広がっていく。
額が離れると、俺はギュッと目を閉じた。
──ちょん、と。……触れるだけのキスを、落とされる。
目を開くと、浅水先輩の笑顔が飛び込む。
「少し」
意地悪く笑いながら、浅水先輩が呟く。
揚げ足を取られたようで、俺はムッとする。
「なんで怒るの? 自分で言ったでしょう?」
「そうですけど……っ」
意地悪な人だ。……つくづく、そう思う。
いつも俺のことを振り回すし、変なところで過剰に触れてくるかと思ったら、触れてほしいときにわざと放置して。……本当に、酷い人だ。
だけど……そんな、浅水先輩が。
「……浅水先輩」
──好きです。
続く言葉は閉じ込めて、今度は俺から浅水先輩に。
……触れるだけのキスをした。
ともだちにシェアしよう!