21 / 34

第21話 加賀谷の想い

「はい。『ハムスターに似てる』ですよね」 「そしたらおまえは、『そんなひどいこと言わないでください』って俺を注意したんだ」 あれは忘れられない。初めて先輩に反発した出来事だった。 きっと高田さんは、かわいい例えとして言ったのだろう。 でも、私にとっては笑えない冗談だった。 私が背の高いことを気にしているように、彼も小柄な自分に対してコンプレックスを抱いてるのではないのだろうか。そう思って高田さんを咎めてしまった。 「あのあと、加賀谷はおまえのことを影で、『いい子』って呼んでいたんだ。会う度に、『あのいい子、元気にしているか』って、聞いてくるんだよ」 そんな風に呼ばれていたなんて知らなかった。 今でも、加賀谷さんはよく私のことを、いい子と呼んでいる。 もう立派な大人なのに中身はまだ子供、という意味を込めているのかと思っていた。 「最後には必ず、『あの子は大切にしてやれ』って、俺に言うんだ。『ああいうまっすぐな子は、俺たち大人が護ってやらないと』って、いつも話していたよ。あまりにしつこいから、『おまえが俺の代わりに護れ』って言ったら、こんなことになった」 私が思っていた通り、加賀谷さんは温かい心を持った人だった。単なる冗談をまじめにとらえた私を、おおげさな奴だとは思わなかった。 出会った日から、加賀谷さんの私に対する子供扱いは始まっていた。大人になりきれない私をからかっているわけではなかった。 まだ小さい存在である私を、両手で抱きしめようとしていた。 「加賀谷さんはやっぱり……兄さんと同じだ」 「三浦?」 私は、湯飲みを強く握った。力を込めていないと、涙が出そうになった。湯飲みを通して伝わってくる熱は、加賀谷さんの温もりのような気がした。 「加賀谷さんは、兄に似ているんです」 兄、博之の顔を思い出そうとした。 しかし、記憶は頼りなく、はっきりと思い浮かべることはできない。「はるちゃん、はるちゃん」と私を呼ぶ太い声だけが耳に残っている。 十七歳年上の兄は、父親のような存在だった。 「幼稚園の頃から私は体が大きかったんです。『小学生なのに幼稚園に来てる』と、よくからかわれました」 幼稚園からの帰り道はよく覚えている。長い登り坂で、私はいつも、涙を手で拭きながら歩いた。 「家に帰ると、頭を撫でてくれた人がいたんです。それが兄でした。『たくさん泣いていい。泣いた分だけ強くなれるよ』と言ってたらしいです」 高田さんと目が合わせられない。自分は今、昼時の食堂に合わない、深刻な顔をしているだろう。 「私はずっと、母親が撫でてくれたと思っていました。幼すぎて覚えていなかったんです。兄が亡くなってから、母が本当のことを教えてくれました」 高田さんは、箸を置いて私の顔を見つめている。戸惑ったような顔をしている。身の上話を聞かされるとは思ってもいなかっただろう。 「兄は警察官だったけど殉職したんです」 強盗を追いかけたときに、兄は反撃に遭い胸を刺された。 病院の白い部屋で目を閉じている兄を見ても、子供の私には理解できなかった。どうして兄は家のベッドで寝ないのかと、不思議に思った。 でも日が経つにつれ、大きな存在が欠けていることに気づいた。 「大切にしてくれたのに、ありがとうって言えなかった……」 「もう、言わない方がいい」 「すみません」 高田さんは首を振って、両手を伸ばしてきた。私の眼鏡を外す。 「まだ、泣いてはいないな。んー、ちょい目が潤んでるかな?」 頬に触れ、親指で目元を拭ってくる。大きくて熱い手だった。 「これ以上話したら、涙が零れるぞ。俺には、慰められる自信がない。おまえを抱きしめるのは加賀谷の仕事だ」 唇を噛みしめてから、高田さんは微笑んだ。私は高田さんから受け取った、自分の眼鏡をかけた。 笑おうとしたが、うまくできているかわからなかった。 ときどき、加賀谷さんと兄が同じ人ではないかと思ってしまう。時を越えて、私に会いに来てくれたのではないか。 頼りない私を支えるために、今度は恋人になってくれた。そんな非現実な夢を私は描いている。 『怖いくらいなら大人にならなくてもいいんだよ、晴之』 加賀谷さんの呟きが、繰り返し心の中に響く。加賀谷さんは、私が幼いままでもいいと思っているのかもしれない。 でも、加賀谷さんの思いに応えたい。 つらいなんて、きっといっときなんだから、乱暴に抱かれたっていい。躯が壊れても、放っておけば回復するだろう。 もしかしたら、ずっと抱き合わなければこのままの心地よい状態が保てるのかもしれない。そうわかっていても求めてしまう。 もっと躯の奥で加賀谷さんを感じたい。私の深い底を加賀谷さんに知ってほしい。加賀谷さんの肌をこの躯に焼きつけたい。 一生忘れることのできない熱い記憶が欲しかった。

ともだちにシェアしよう!