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とある釣りの話-2

「・・・いい天気だねえ」 「そうだなぁ」 「あ。引いてるよ」 「おお!」 間延びしたような絽枇の声に弾かれる様に起き上がった黒亮公は自身の竿を見るや否や、ゆっくりとその竿を引き上げることにした。 グイグイと少し食い気味に動く竿をゆっくりと持ち上げた瞬間、ピンと尖っていた彼の耳はへにょへにょと垂れ下がり、眉までへの字になってしまっている。 それもそのはず、彼が釣り上げた釣り針に噛み付いて横にゆらゆらと揺れていたのは何とも小さなカエルだったからだ。 「・・・・・」 「・・ふっ・・」 「・・・・・・」 「・・・ふっ・・・クククク」 ぽちゃんと川の水音を聞きながら絽枇が肩を震わせながら黒亮公に背を向けている。 「あれ?逃がしちゃうの?」 「・・・ああ。おおかた餌に釣られてきたんだろ?」 「ふぅん?あ。私のも引いているね」 「ああ」 「何が釣れるのかな~?ん~??」 絽枇が釣竿を揺らす。その釣り針を目にして絽枇の瞳が丸くなった。 「・・ふっ・・」 「・・・・・・」 「フッ・・クククク」 「・・・・・・・」 「なんだ?逃がすのか?そのカエル・・」 「逃がすよ。小さすぎるもの」 頬をぷくっと膨らませながら絽枇が丁寧にカエルを針から外している。 その様子を横目に見ながら黒亮公の耳が左右に動いた。 「お?次こそは魚か?」 耳をピンと立てながら勢いよく釣竿を引いたその先にいたもの。 それは先ほどと変わらぬ大きさのカエルだった。 「・・・・・・・・・・・」 「・・・・ぐふっ」 「・・・・・・」 「あ。私のも引いてる~」 「・・・・豊漁じゃないか」 「・・・・・・・・」 川魚は何処へやら。先ほどから釣れるものはどれもこれもカエルである。 しかも逃がして暫く経った後に釣れるものだから、何だか二名は可笑しくなって顔を見合わせながらケラケラと笑い出してしまった。 もうこうなってしまっては止めようにも止められそうもない。 眼前にはカエルの群れが出来ていて、つぶらな瞳でこちらを見上げるカエルたちと視線が合ってしまうのだから。 「もうこの川・・どうなってるの~?」 「分からん・・餌があると勘違いしたのかもしれんな」 「あ~!おっかし~!そもそもカエルってこんな深い場所にいる生物なの?もっと浅い所に住んでいるのだと思ってたよ?」 「言われてみればそうだな。引っ越しか?引っ越しの最中なのか!?」 「引っ越しって・・!それじゃあ私たちが思いっきり邪魔してるじゃないかぁ~!」 アッハッハと絽枇が笑う。その声につられて黒亮公も笑いが止まらなくなってしまった。 「あー久しぶりに笑ったよ~」 「・・そうだな」 竿を川の水に浸したまま、寝転がって絽枇が目尻についた涙を指で拭っている。 その隣では胡坐の姿勢になった黒亮公が竹筒に入れた酒を飲もうと栓をポンッと開けた。 「・・なぁに?お酒?」 「ああ。飲むか?」 「うん。頂こうかな」 はぁ。と互いの吐息が風に溶ける。 二名は視線を空に向けたまま暫く何も話そうとはしなかった。 その沈黙を破ったのは黒亮公の方だった。 「・・・初陣を終えてすぐ、昇進したと耳にしたぞ」 「ああ。うん」 竹筒を手にしたまま話す絽枇の声は何処か素っ気ない。 「・・・副将軍か」 「うん。そうみたい。戦を終えてすぐかな。褒賞が出てね。それで王から」 「龍国の?」 「うん。龍国の戦だからね」 「・・そうか・・」 「ただ・・相手の兵の首を刈り取っただけなのに・・褒美と言うのもねえ」 「・・そうだな」 「・・変な感じがした。そりゃあ、戦は楽しいよ。楽しいし、心が躍る。でも、同じ褒めてもらうなら、ここの皆といるみたいに田を耕したり、卵を貰ったりする方が・・本当は好きなのだけれど・・」 「・・そうか」 黒亮公は話を聞いたきり、あまり話そうとはしなかった。 国が違えば立場も違う。黒亮公は、歳は若いがこう見えて狼国西部の都市を治める公だ。 そんな彼の隣で寝転がる絽枇は龍国北部の都市を中心に収める絽公疏の息子で、今や副将軍の地位に当たる。 国同士が戦になれば、衝突は避けられないだろう。 竹筒の中の酒を口に含む。甘いはずなのに何処か苦いのは、きっと気のせいではないはずだ。 「・・・弟君の絽玖殿は息災か?」 「うん?元気にしているよ。初陣が近付いているからね。毎日これでもかというくらい鍛錬ばかりやっているよ」 ぽちゃんと水面が揺れる。恐らく魚が跳ねたのだろう。 「・・・・・」 「あの子は向いていないだろうなって思ってる」 抑揚の無い声。彼の長いまつ毛が風に揺れた。 「何故だ?武将として生きていく道を選んだのだろう?」 「ううん、幼い頃から花や蝶を追っていた子だから、戦とは無縁の道に進ませるのかと思っていたんだ」 絽枇の竿がくいっと揺れる。 引き上げて魚だと分かると笑みを浮かべながら、川に浸したままの籠に魚を入れた。 「でも、父は違ったみたいだ」 その言葉が、遠く何処か切なく聞こえて、黒亮公の眉間に皺が寄る。 「・・・絽家はもとより武に秀でた家柄と聞く・・」 「でも、いくら武に秀でていても誰かの首を狩る技は武とは言わないよ」 「・・それはそうかもしれんが・・いや。違うな。国を生かす武もあれば守る武もある」 「・・・守る?ああ、うん。そうだね。確かにそうだと思う。戦や賊に対しては綺麗ごとだけでは守れないもの」 黒亮公は自身の竿を引き、釣れた魚を川に浸した籠に入れながら絽枇に視線を傾けた。 彼の表情は相変わらずで底は読めないままだ。 「・・出来る事なら、お前たちとは戦いたくない」 「それは・・君の本音?それとも国としての本音?」 「・・・両方だ」 「ふうん。そう?ああ。冷えて来たね。そろそろ戻ろうか?今日は私が料理するよ」 「な・・ちょっと待て!私が調理する」 「やだなぁ。どうしてそんなに意固地になるのさ」 「お前に任せたら全て炭になるからだろうが!忘れたのか!」 「えぇ~・・・」 よっこらしょと立ち上がりながら絽枇が川に近付いて行く。 その背を追う様に黒亮公も立ち上がると籠の置いてある場所に向かって足を進めようとした。 その時だった。 「ねえ。亮」 「・・なん・・」 「覚えておいて。亮。私は君とは戦わないし争わない。でもね。兄さんは違うと思うよ」 「・・・!」 いつの間に眼前に回り込んだのか。 黒亮公の襟を力強く引きながら、絽枇が彼に短剣を突き付ける。突き付けた切っ先は喉元に軽く食い込み、チリっと焼けるような鈍い痛みが彼の肌を突き抜けていった。 「・・ぐ・・」 「・・・私はね。何故なら、私個人が君を気に入っているから。でも兄さんは違う。兄さんは私よりも。私の何倍も強いし融通がきかないよ」 絽枇の唇が黒亮公の耳へと届く。 「・・・っ・・」 「その時が来たら、君にとって一番良いと思った選択をする事だね。一番、血が流れることのない、最良とも言えるべき選択を」 スッと離された瞬間、黒亮公の額から一筋の汗が滑った。 絽枇の手にあったはずの短剣は、いつの間にか消えていて 「さあ!帰ろうか!今日は新鮮な魚と猪が私たちを待っているよ!」 そう言って、心からの笑顔を見せたのだった。 一方、鼻歌を歌いながら歩くその背を追って、黒亮公も歩き始める。 だがその足取りは重く、どこか憂鬱に見えた。 「・・・・・・・」 無意識に指を首元に近付ける。ぬるりと冷たい感触が指を覆い、それが自身の血だと気づくまで、それ程時間はかからなかった。 「・・私が武器を手にしていなかったから、加減をした・・か・・」 もし武器を手にしていて、とっさに剣を抜いたとしたら・・?そうまで考えて、彼は首を横に振る。 恐らく、そうした所で上体を低くした後に足払いをかけられるか? それとも、クルリと踵を返すように回転した後に、背後から前方に向かって短刀を振り下ろされるか? どちらにしても、彼の速さには、どう頑張ったとしても勝てそうも無い。 それで加減をしてくれたとして、私の後ろ髪がバッサリと斬られる程度で抑えてくれて御の字と言った所だろう。 『有望だが口数少ない融通の利かない男と、優男にしか見えないがその腹はけして見せん男・・その二名の兄を持つ絽玖殿。彼もいずれは将軍の地位にまでたどり着くだろう』 「冷や汗が止まらんよ。全く・・」 ポツリと呟いた彼の声はその背には届きそうもない。 耳元で囁かれた声が、不意に浮上する。 『このままでいようよ?ねえ。そう思わない?』 その届けられた声は甘く、どこか鋭利な刃に見えたー・・・。 終

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