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PINK
風呂から出て、薄ピンク色の珪藻土のバスマットに足を付け、軽くため息を吐く。
そうだ。これも斗真 が選んで買ってくれたものだった。
この部屋からあいつがいなくなった後に気付いた。斗真が引越し業者に荷物を渡している最中、忘れ物は無いかと尋ねると、大丈夫、と自信満々に頷いていたのに、斗真のものが結構残っていたということ。
食器棚を見れば桜模様のマグカップ、押し入れの紙袋にはピンクの手袋やマフラー。
斗真はピンク色が好きだった。男なのに、もう二十八歳なのに、濃いピンクも薄いピンクも好きだった。初めて店に髪を切りにきてくれた時も、シェルピンクのカーディガンを着ていた。
浮気するつもりなんてなかった。俺はちゃんと斗真を愛していたし、浮気なんて俺に出来るわけが無いって思ってたのに。
その子は、斗真と笑った感じがよく似ていた。
片方を少し刈り上げてアシンメトリーにした黒髪で、容姿は全然似ていないけど、ピンクのものに目がいくところとか、辛いことには笑って蓋をしてしまうところ、上手くいかないと自分を責めて落ち込んでしまうところ、しっかり見ていないと奈落の底にずんずん落ちていってしまうような儚さがあるところも似ていた。
その子はずっと、俺の事が好きだったらしい。
俺は酔った勢いで、その子に手を出した。
事後、このアパートに帰れば何も知らない斗真がピンクのスリッパを履いて狭い台所で料理をしていて、やっと大変な事をしたと気付いた。
正直に言って謝れば、斗真はきっと許してくれると、俺はそのピンクのスリッパを見つめながら思っていた。
あ、と思って下駄箱の中を覗く。
やっぱりそこには、ピンクのスリッパが置いてあった。
ごめん、ごめんね斗真。
傷付けてごめんね。
俺は下駄箱を閉じて着替え、桜模様のマグカップにコーヒーを入れた。
忘れないよ、ずっと。
斗真の頭を撫でるみたいに、俺はマグカップの縁を指でなぞった。
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