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第2話 ②

 父親母親俺。そして親戚の中でもわずかな人間と、懇意にしている医療関係者。それだけがあいつを知る全て。俺以外の人間がこんな風に思わないだろうことは、見ていれば、会ってみれば分かる。  異常だ。  俺がそれ気づいたのは、驚くべきことに小学校高学年になってからだった。鈍すぎる頭に、どれだけ馬鹿なのかと思う。何もかもを強要されない(こう)が羨ましくて、俺は次から次へと沸いてくる課題に取り組むのが精一杯の日常で、気にも留めていなかった。  とても大切な理由があって、こうしなければならないの。いつかちゃんと話すから。  初めて理由を聞いた時、分かってねと言った母親は慈愛を見本のような笑みを浮かべていた。その言葉と表情は耳と目から喉を通って、心臓にべたりと張りついた。優しいはずの笑顔がどこか寒くて、それからこの方、話題にあげられたことは一度もない。  それでもやはり、持ってしまった疑問をかき消すことはできないのだ。  本人に聞けばいいのは分かっている。愚痴のひとつも言わないあいつは、全てを知った上でそうしているのだろう。けれど後ろめたくて、俺は踏み出せないでいた。子どもの時に冷たく当たっていた態度がそのまま染みついて、そういう自分が後ろめたくて、前にも後ろにも進めない。  そうして最近は、あいつの部屋を開ける度に迷ってしまう。他の人間相手だったら何も困らないのに、あいつのこととなるとどうにも上手くいかない。  あいつの笑みに俺も知らない俺をつつかれる気がして、長く関われば俺で汚してしまう気がして、どうしたらいいのか分からなくなる。  それでも一度、きちんと話すべきだ。  いい加減、覚悟を決めろと自分に言い聞かせる。今はまだ高校生だからいい。けれどあいつだっていつまでも一人であそこにいるわけにはいかないだろう。たとえ物理的に可能だったとして、それはとても寂しいと思うのだ。  それに何より、俺が何も知らずにいるのは嫌だなのだ。  あいつがどうしてずっとあの部屋にいるのか、何を抱えているのか。俺はそれが知りたい。そうしたらきっと、こんな風にあいつのことを考えるばかりの毎日にも終わりがくると思う。  あいつのことを考えていると、心がむずがゆくなる。決して不快ではなく、むしろずっとこのままでもいいとすら思う、ふわりと浮かぶようなこの気持ち。  けれどこれでは落ち着かないから、やっぱりもう一歩、踏み出したい。  気合のために短く吐いた息は授業終了のチャイムにかき消された。教室の空気がだらりとゆるむ。校舎中に広がるさざめきに押されるように、先生が授業の終わりを告げた。 「九条、学食行く?」 「うん」  振り向いた橋本に合わせて席を立つ。適当に話を合わせながら頭の中では、父さんも母さんもいない日を、あいつと二人になれる日を探していた。

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