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『停めてください』
聖一が小学校の高学年になったころ、最初の転機は訪れた。
学校での成績は良く、友達と呼べる相手はいないが誰もが彼を特別視し、いじめにあっていた訳でもない。
だけど、興味が無いのか? 彼は週に数日しか登校せず、その日も欲しい本があるから書店に連れて行くように言われ、向かっているところだった。
『どうかしましたか?』
慌てて車を路肩へと停め、伺うように背後を見ると、
『少し待っていてください』
とだけ告げた聖一が、自ら車を降りようとする。
『承知しました』
外へ回ってドアを開け、会釈をしながら返事はしたが、何かあっては大変だから待っている事は出来なかった。
聖一付の業務には護衛も勿論まれている。彼は本妻の子ではないけれど、阿由葉の子息であることには違いない。
こっそりと後を尾け、入って行った小さな公園の外から見た光景は……それまでの彼を知る者にとって思いもよらないものだった。
(あの時はただ、ブランコに乗りたかったのだと思ったが……)
「すみません。迎えに来させてしまって」
「平気ですよ。これが私の仕事ですから」
隣から声をかけられたため、慌てて思考を切り替える。
聖一を会合のあるホテルに送ったその足で、貴司を会社に迎えに来たが、二時間程度待つこととなった。今、貴司は助手席に乗っているのだが、後部座席を何度勧めても彼は頑なに前へ乗ってくる。
「セイ……聖一は、どこにいるんでしょうか?」
「ハイアットホテルです。部屋をとってあるので、先に入って待っているようにと聖一様が仰っておりました」
いつものように至って事務的な口調でそう答えれば、「そうですか」と呟きながらもどうしてなのかが気になるようで、首を傾げる動作をする。
この一見地味な見た目をしている青年は、男だけれど主である聖一の恋人だ。
それについては色々あったが、聖一と彼が付き合う事に異論などはもちろん無いし、むしろ末永く続いて欲しいと心の奥では願っている。
(彼のおかげで、聖一様は変わられた)
しかも良い方向に。
昔から、貴司については地味で平凡という印象だが、控え目ながらも整った容姿をしていると認識したのは、当時は大学生だった彼の住んでいたアパートへと立ち寄った時の事だった。
『小林、頼みがあります』
凜とした声。
頼みごとをされた事など無かったから驚いたが、いつものように感情を押し込め聖一の前へ歩み寄る。
『なんでしょう?』
薄い笑みを唇に浮かべ、彼の言葉を聞き逃さぬよう腰を屈めて尋ねると、思いもよらない事を言うから流石に目を丸くした。
『祖父ということにして、一緒に行ってもらいたい場所があります』
『祖父……ですか?』
『はい。家族が心配しないのかと聞かれたので……駄目ですか?』
ほんの僅か、毎日見ている小林だから分かるくらいの変化だが、聖一の顔がこの時初めて不安の色を浮かべた事に、気づいてしまえば断るなんて出来る筈が無いだろう。
何より、犯罪でも犯さぬ限り、主人である少年の言葉は小林にとって絶対だ。
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