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「まあ、そうだね」
唇の端を器用に上げて微笑む彼の顔を見て、心臓がドキリと高鳴った。
出会ってから長い時間が経ってなお、見つめられると恥ずかしいような気持ちに包まれ頬が火照 る。
「そ、それになんでスーツなんか着てるんだ? セイ、何かあるなんて言ってなかったよな」
「うん。それを今日話そうと思ってた。でも、その前に……ね」
頬に掌をそっと添えられ、条件反射のように貴司は瞼を閉じて顎を上げた。
「んっ……」
するとすかさずチュッと音を立て唇にキスが落とされる。それは軽いバードキスだが、毎日しても慣れない貴司は、たったこれだけで耳まで真っ赤に染めてしまうのが常だった。
「おかえり」
「ただいま」
「大事な話があるんだけど、その前に……部屋に入らない?」
「あ、ごめん。気づかなかった」
来た途端に詰め寄ったから、聖一をドアの前に立たせる形になってしまっていた。
慌てて中へ招き入れれば喉奥で笑う声が聞こえ、恥ずかしさに……また顔へと熱が集まってきてしまう。
(これでも、結構落ち着いてるつもりなんだけど)
学生時代も社会人になってからも、周りの人には落ち着きがあると言われ続けてここまできたのに、聖一と一緒にいるとしばしば逆転してしまう。
自分の方が年上なのに情けないと思いもするが、相手が彼では仕方がないと甘えてしまう部分もあった。
「で、話って?」
最上階のスイートルームは元々かなり広い部屋だが、大きな窓が壁の一面を占めているため、さらに広い感じがする。
部屋の真ん中に設えられた大きなソファーへ腰を下ろすと、隣に聖一が座ってきて……いつもと同じ状況なのだが、落ち着かなくてたまらなくなった。
「うん。それなんだけど、単刀直入に言うと、貴司に仕事を辞めてほしい」
「……え?」
一瞬、何を言われたか理解できずに、素っ頓狂 な声がでる。
「だから、今の会社を辞めて欲しい」
そんな貴司の様子にクスリと笑みを漏らした聖一が……顔を覗き込むようにようにして、もう一度そう言ってきたから、聞き間違えでは無かったのだと分かって目を丸くした。
「なんでそんな事……」
正直かなり驚いた。
聖一の独占欲がかなり強いのは身を以て知っている。だが、貴司が再就職を決めてからここまでの一年半、彼は彼なりに自分のことを信頼しようとしてくれていた。
(なのに……なんで?)
「違うよ貴司。そういう意味じゃない」
どうやら顔に出たらしい。聖一の指が頬を軽く撫でそのまま口へと触れてくる。
「貴司の事、閉じ込めたいって思わない訳じゃないけど、それをやったら同じ事の繰り返しになっちゃうでしょ?」
「じゃあなんで……」
「今までやってた株の利益を元手にして、事業を立ち上げた。それが軌道に乗りそうだから、貴司にも手伝って欲しい」
「え? いつからそんな……それにセイ、大学は?」
「大学にも行ってるよ。卒業もちゃんとする。株は随分前からやってたけど、ここ半年くらいは起業の為に動いてた」
「なっ……」
突然の彼の告白に……驚き過ぎて咄嗟に言葉が出なかった。
「勿論、手伝ってくれるよね」
まるでそれが当たり前で、貴司が断る可能性など全く無いと考えているのが表情からも良く分かる。
「そうすれば、貴司も仕事を続けられるし、ずっと一緒に居られる」
「でも、それは……」
違うと貴司は思ったけれど、声に出すことは出来なかった。考えが上手く纏まらなくて、何をどう話せば良いのか分からなくなったのだ。
「ごめん、セイ。ちょっと考えさせてくれないか」
モヤモヤとする心の中を整理してから話したい。
そう考えて貴司が告げると、聖一は動きを止め、探るように目を細めた。
「考えるって、何を考える必要があるの?」
「何って……普通いきなり仕事辞めろって言われても、すぐにはいとは言えないだろ? どんな内容かも分からないし、今の仕事だって気に入ってる。それに責任だって少しはある」
「じゃあ説明するよ」
「そういう事じゃない。俺が言いたいのは……」
(なんだろう?)
本当は、自分が何を言いたいのかも分かっていないから貴司は言葉に詰まってしまう。
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