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第35話 煩雑 ②

部屋を出て離れの方へと向かった 康太は戸浪が何処にいるのか解っている足取りで歩いていた 離れの渡り廊下を歩いて一番奥の部屋の前に立つと 「若旦那、遅くなってすまねぇ!」と声をかけた 襖が開くと部屋の中から戸浪が現れて、康太に飛び付いた 「康太……逢いたかった…… ご家族との時間を割いてしまわせて本当にすまなかった……」 戸浪はかなり弱っていた 見るからに憔悴しきっていた 康太は戸浪を抱き着かせたまま、部屋にいる田代に目配せした 康太の視線を受けて田代は 「………トナミ海運の危機に御座います」 と単刀直入に告げた 康太は戸浪をジッーと果てまで見透かす瞳で視ていた トナミ海運は海運と謂うだけあって海外の船舶の荷積の仕事を主に請け負ってやっている 豪華客船も10槽所有する 世界一周の旅をする豪華客船を売りにして業績も伸ばしていた 紅海を航海中豪華客船が拿捕された 豪華客船だけならまだしも輸送中の貨物船も拿捕された トナミ海運は乗客乗員の解放と船の引き渡しの交渉に乗り出したが、交渉は座標に乗り上げたかの様に一向に進まなかった 海賊が今のこの時代でも存在しているのは知っていた 知っていたが……まさか自分の船が拿捕されるなんて思ってもいなかった 中東諸国にパイプはない 頼みの綱も途絶え、このままでは信用も失墜しかねない勢いだった 戸浪は途方に暮れて康太の助けを求めたが、その康太が日本に……人の世にいない状態で捕まる事が出来なかった だから慎一を見掛けた時は藁にも縋る想いで強引に逢う事を承知させてしまった 「紅海か……これは偶然か?伊織」 康太は榊原に声を掛けた これは偶然か?必然か? 榊原のこのタイミングで康太の前に姿を現した戸浪ならば‥‥後者だと想っていた 「アラブ諸国には縁があると謂う事でしょうかね?」 「若旦那、アラブ諸国に逝けるとしたら、田代が逝きますか?御自分が逝きますか? それともお二人で逝きますか? オレから出来る提示は今の所それだけです! まぁアラブ諸国に逝ったとしても解決する保証は出来かねます 絶対と謂う保証はありませんが、どうします?」 「逝けるのかね?アラブ諸国に?」 アラブ諸国は今、内乱が勃発している為に一般の渡航者には規制が掛かっていた 康太の突飛もない言葉に戸浪は田代と目を合わせた 「田代…」 「社長、会社は亜沙美さんと奥様にお任せして我等は逝こうじゃありませんか?」 「田代……共に逝ってくれるか?」 戸浪の言葉に田代は社長を支えるのは秘書として当然だとばかりに答えた 「当たり前じゃないですか!」 二人は手と手を取り合い確認していた 「伊織、二人増えて大丈夫か、聞いてくれねぇか?」 康太は榊原に問い掛けた 「君はどうします?」 「円城寺貴匡に連絡を取る」 「では連絡を取ります」 そう言い榊原と康太は部屋を出て逝った 戸浪は悔しそうに「……また……真贋に頼るしかないのですね……」と呟いた 自分達では身動きさえ取れない程に無力だった 何も出来なくて思い浮かぶのは康太の姿だけだった 戸浪は悔しそうに呟くと涙を流した 田代は慰める言葉も出て来なかった 康太と榊原が部屋に戻って来ると 「若旦那、オレは家族のいる部屋に還る だから若旦那もこの部屋を引き払いオレ等の部屋に来てくれよ そしてあと少ししたらオレ達は………日本を立つ為に羽田へと向かう 若旦那達も逝くんだろ? なら連絡をして準備をお願いします 着替えは不要です 口に出しては謂えませんが、総て用意してくれるそうなので着のみ着のまま向かえば宜しいです あ、重要なのは此処からです 伊織が説明してくれるので良く聞いて下さい」 康太が謂うと榊原は 「戸浪海里としては飛行機には乗れないのでくれぐれもお気をつけ下さい トナミ海運は今、総ての事案を倭の国に託してあるのでしょ? ならば戸浪海里として国を出国すれば……どうなるか解りますよね?」 「あぁ……解っている」 国際情勢に影響する事となるのは一番に理解出来ていた 国に託した以上は……国の面子を蔑ろにする訳にはいかなかった だが国の交渉は後手後手の出来で辟易していたのは否めない状況だった 「貴殿方は事務次官の名で飛行機に乗って戴きます」 「解っている」 「ご家族にも中東に出向く事は謂わないで貰いたい さもなくば総てはご破算となります」 「妻にも……謂えない事ですか?」 「奥方に謂えば奥方は言い知れぬ重圧を感じる筈です そんな時、その重圧から逃れる為に人は口を軽くしようとするのです 奥方をそんな目に遇わせたくなくば……知らせない方が懸命かと?」 辛辣な言葉だった 榊原にしては珍しい物言いだった それだけ緊迫した状況だと謂う事なのだろう アウェイに逝くのだ ホームの様な利便もないのだ 「では出張に逝くからその間頼む……とだけ妻に言います」 戸浪はそう言い康太の前で電話を掛けた 戸浪は「暫くの間会社を空けます!その間会社を頼みます!」と告げた 戸浪の妻、沙羅は理由聞かずに 『承知しました!お気をつけて……』と戸浪を送り出した 康太は手を伸ばした 戸浪は康太の手に携帯を乗せた 「沙羅か?」 康太の声が聞こえて沙羅は『康太!』と嬉しそうに名を呼んだ 「若旦那はオレと共に行動する事となった 何処へ向かうか詳細は知らせられねぇが…若旦那は会社を救う為だけに逝くと謂うのは覚えておいてくれ!」 『承知いたしました! 戸浪が不在の間は、亜沙美と二人、何としてでも会社を護り通します!とお伝え下さい!』 「今回はオレの仲間も日本にいねぇからな 助け船は出してやれねぇ…踏ん張れるか?」 『当たり前じゃないですか! この命賭したとしても護り通りします』 「沙羅、本当にお前は良い女だな」 『康太、傍にいたら抱き締めたくなる言葉をありがとう』 沙羅は嬉しそうに言った 康太は戸浪に携帯を返した 戸浪は妻に会社を頼むと告げて電話を切った 「これより先は携帯の使用は出来なくなるだろう」 「もう大丈夫です」 「そうか、なら逝くぜ!」 康太はそう言うと歩き出した 家族のいる部屋に戻ると 「そろそろオレは逝くとする! 母ちゃん父ちゃん……瑛兄…会社を頼むな」 康太が謂うと瑛太と清隆は康太の傍に行き、康太を抱き締めた 康太は瞳だけ玲香と京香に向け 「母ちゃん、京香、子供達の事を頼むな」と頼んだ 「解っておる…お前は何も心配するでない」 「康太…我は何時もお前の為だけに在る……」 京香はそう言い立ち上がり優しく康太を抱き締めた 「京香……ありがとう」 「康太……礼など謂うな……お前が礼を謂うなんて……別れみたいで嫌だ」 京香はそう言い泣いた 「京香……」 ギューギュー康太を抱き締める 「何だ?康太」 「オレ、お前の胸で窒息するわ」 謂われて慌てて京香は康太から離れた 「今度胸を小さくする」 京香はそう言い本気で胸を小さくするつもりでいた 康太は笑った 「小さくしなくて良い! 京香は京香でいれば、それで良い」 「だけど……抱き締めたら……苦しいのであろう?」 「…京香、ガキの頃からお前に抱き締められるのは嫌じゃねぇんだよ」 「康太…康太……」 京香の子供の頃の支えに康太だった 心を殺して生きて来た 人形みたいに心を殺して父の取引相手に抱かれて暮らしていた時の心の支えは康太だった 真壁の三姉妹を救ったのは飛鳥井康太なのだから…… 「子供達を頼むな京香」 「解っておる 我の命に代えてもお前の子は護り通すと決めている」 「オレはお前の幸せしか願ってねぇよ 昔からそうだろ?」 「………そうであった……」 「だから笑っていろ京香」 「笑っている……お前がくれた幸せだからな……」 京香はそう言い康太を離した 康太は京香から離れると真矢の傍に逝った 「義母さん…オレの子を頼みます そして母ちゃんの支えになってやって下さい」 「解ってます康太 飛鳥井の子供はどの子も同じ様に可愛い 翔、流生、音弥、太陽、大空、烈、永遠、北斗、和希、和馬、瑛智、どの子も私にもっての宝です 勿論、笙の子の美智瑠と匠も同じ位宝です」 だから何も心配する事はないのよ……と真矢は康太を抱き締めた 清四郎もその上から康太を抱き締めた 何処から見ても別れを惜しむ仲の良い親子に見えた 榊原は両親から康太を引き剥がし 「貴殿方の息子は僕なのに眼中にないとは失礼な話ですよね?」と拗ねた様に口にした 真矢は笑って榊原を抱き締めた 「伊織、拗ねてはなりません」 「拗ねておりません」 「あら、そう?」 「そうです!」 「伊織、嫁を貰った親と謂うモノはね 我が子よりも嫁を大切に気遣うものなのよ? 嫁を労り労うのは、しいては我が子に還る様に……と謂う願いも籠っているのですよ」 「……母さん……」 「母がお前の幸せを願わない筈などないでしょ?」 「……すみませんでした」 「だから還って来ると約束なさい 私が命を懸けて貴方に託した子から親を奪わないと約束して……」 「約束します 絶対に還って来ます」 「気を付けてね…伊織」 真矢はそう言い我が子を抱き締めた 康太は優しい瞳で妻と息子を見守る清四郎を視ていた 拍手喝采の賛辞を受けてフラッシュの嵐を浴びる清四郎が果てで笑っていた ずっと前に視た時よりも確かな視える未来を確信していた 横槍を入れさせない為にも絶対の明日を築かねば…… 覚悟にも想いを噛み締める これは我が子に遺す明日であり 清四郎や真矢が生きる明日でもある 家族や仲間が生きる明日は果てへと続き… この地球(ほし)に生きる総ての明日へ続く この地球(ほし)は絶対終わらない明日へ繋げ永久の時を刻む 榊原は康太を見た 康太は頷いた 榊原は両親から離れると深々と頭を下げた そして康太の傍へと立つと 「逝って参ります」と言葉にした 家族は頷き……何も謂わず見送る事にした 康太は背を向けると部屋から出て逝った 振り向かないのは何時もの事なのに…… 今は振り向かない背中を黙って見送る事しか出来ない歯痒さに……視界が歪む 瑛太は天を仰いだ 清隆は玲香の肩に手を回し引き寄せた 真矢は堪えきれなくなって清四郎に胸に顔を埋めた 何度送り出しても辛い 逝かせたくない想いを堪えるのが…… こんなにも辛いなんて想わなかった きっと全員が逝かせたくなんかないのだろう…… だがそれでも逝く背中を見送る事しか出来ないのだ 辛い…… 言葉に出せない想い 康太は顧問弁護士に遺言状を渡してあると謂う 準備万端、飛び立つ康太の背負う重さを……想えば送り出すしかないのだ 覚悟して……家族や飛鳥井の為だけの為に動く その道は逃げ道もなく……引き返す道もない それでも逝く貴方を…… 私はまだ笑って見送れませんでした…… 真矢はそれが悔しくて……哀しくて…… 嗚咽を漏らして泣いた 部屋には……真矢以外の嗚咽も漏れて……響いていた 榊原は康太に続き……部屋を出て逝くと、戸浪と田代もそれに続いた 康太は何も謂わず料亭の外へと歩いて逝った 料亭の外に出るとリムジンが停まっていた リムジンの運転手が康太の姿を見ると車から下りて後部座席のドアを開けた 「飛鳥井康太様 お待ちしておりまた」 運転手は深々と頭を下げ康太達を出迎えた 運転手は康太達が車に乗り込むとドアを閉めて運転席に乗り込んだ エンジンを掛けて走り出すと、運転席の隣に座っていた男が 「今後の予定をお伝えしても宜しいですか?」と声を掛けて来た 康太は「あぁ、頼む」と鷹揚に答えると 助手席のいる男は気にする風でもなく丁寧に話始めた 「このままホテルに泊まって戴きます その後、体躯一つで空港に向かわれ、飛行機に搭乗して戴きます その際、携帯電話や身分を証明する様なモノは、此方の方で預からさせて戴きます お帰りの際にはお返し致しますので、暫しの御不便は御容赦ください 此処までで何かご不明な点は御座いますか?」 「ねぇから先に進め!」 「身分は此方の方で御用意したパスポートを御使用戴きます 戸浪様と秘書様が御二人増えられたので弥勒高徳様とガブリエル様にはお席を譲って戴く形となりました 構いませんか? 来訪の予定人数は早々都合で変更は出来ないので、御不便かと想いますが搭乗の際はカウントされない様に先に飛行機の方へ乗って戴く事となります」 「構わねぇだろ? 弥勒はそれで良いって言ったんだろ?」 「はい。ガブリエル様には御連絡は着きませんでしたが、弥勒様には御連絡が着きましたので了承戴いております」 「なら弥勒が上手くやるだろ?」 「貴方は国連の特使 堂嶋正義の補佐と謂う形で逝かれる事を努々御忘れなき様に肝に命じておいて下さい! 貴殿方が勝手な行動をなされると、それは我が国に直結する事となります」 「一応、肝に命じておくとする」 「では以上で終わりに御座います 無事の御帰還……御待ちしております」 「必ず還って来ると閣下に御伝えしておいてくれ!」 「はっ!」 男は畏まると前を向いて、後は何も謂わなかった 車は羽田空港へと向かって走って逝った 車内は重苦しい空気に包まれた 康太は何も話さなかったから、戸浪と田代も黙ってその場にいるしかなかった 空港近くのホテルに着くと、ホテルの正面玄関に車は停まった 助手席の男は車から下りると後部座席のドアを開けた 男は「これより部屋に御案内致します」と告げて歩き出した 康太と榊原、戸浪と田代は黙ってその後を着いて逝った 用意された部屋に泊まる 康太と榊原とは別の部屋に通された戸浪はベッドの上に座り息を吐き出した 崔は投げられたのだ もう引き返す事は道などない‥‥‥ 部屋に通された康太と榊原は取り敢えず上着を脱いでソファーに腰掛けた 「起きたら…怒るかな?」 康太はボソッと呟いた 寝ている間に出て来てしまった また寂しい想いをさせるのだ 「康太……還ったら沢山遊びましょう 離れないで一緒にいましょう」 「その前に……石を見付けねぇとな…」 「そうです!でないと帰れませんよ!」 「気が遠くなりそうな事案だな」 「君には僕がいます それでも……堪えられませんか?」 「んな訳ねぇだろ? なぁ伊織、綺麗に洗ってくれよ」 康太はそう言い榊原に甘えた 康太と榊原はバスルームに向かった 脱衣場で服を脱ぎ捨て榊原に洗ってもらう 丁寧に洗ってくれる榊原の指先は気持ちが良い 榊原は康太を洗うと、今度は康太が榊原をゴシゴシ洗った 少し痛い…… 力任せに康太が洗うからかなり痛かった それでも愛する妻がしてくれる事なのだ 榊原は嬉しそうに康太に洗ってもらっていた お互いを洗うと浴槽に浸かった 榊原の足の間に座って抱き締められるのが好きだった 榊原は康太を抱き締めて首筋に口吻けを落とした ゆっくり湯に浸かり風呂から上がると、脱衣場で脱いだ服はなかった バスローブが用意してあり、体躯を拭いてバスローブを着た 榊原は康太の髪を乾かし自分の髪も乾かした そして抱き上げると 「康太、朝までベッドで横になりますか?」と尋ねた 「半端に寝ると頭痛が来るからな起きてる」 「ならルームサービスで君の好きな紅茶でも頼みますか?」 「だな」 リビングに向かうとお茶の準備がなされていた 姿は見えずともこうしてちゃんとお世話をする存在がいるのだ それは閣下にホテルに軟禁された時にも感じていた事だった ソファーには二人の着替えが置いてあった 榊原はその着替えを手にした 「君と僕のスーツですね」 対になる様に作られたスーツに目をやり康太は笑った 「伊織、お茶」 「君の好きなマカロンもあります 食べたら歯磨きして下さいね!」 榊原はお茶を康太の前に置き、マカロンを取り分けて置いた そして自分の席の前にもお茶とマカロンを置いた 口をつけると芳しい茶葉の薫りがした 「良い茶葉ですね」 榊原が謂うと康太は美味しそうにお茶を飲んでいた 「お前と過ごす時間が好きだ」 康太は嬉しそうに笑ってそう言った 「僕も君と過ごす時間が好きです 愛してる君と一緒にいられる時間が好きです」 「この先何があろうとも……」 「共に逝きましょう 離れては生きられないのですから…… 僕達はずっと一緒にいましょう!」 康太は愛する男の言葉を胸に抱いた 榊原は見上げる康太の唇に口吻けを落とした 康太は榊原を強く抱き締めた 強く……強く……抱き締めた この身が滅びようとも…… この愛は消えない この地球が滅びようとも…… お前を愛する想いは消えない Please keep holding my hands. You’re my everything. I love you more than words can say. You take my breath away. I was born to love you. 康太と榊原は静かに互いを抱き合い…… 時が来るのを待った

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