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第73話 窮途末路②
兵藤と聡一郎はハイキングコース横の登山道から外れた道なき道を走っていた
喋るものなら舌を噛みそうな悪路を草を掻き分け突き進む
台風で倒れたであろう倒木に悪戦苦闘しながらも、目的地へと向かって只管走った
午前中一杯走って昼に差し掛かろうとした所で、休めそうな場所を見付け、休憩する事にした
バイクから降りて適当な倒木に腰を掛けて休む
聡一郎はリュックから飲み物とおにぎりを取り出すと、兵藤と烈に渡した
それを受け取り食べ始める
疲れからか言葉もなく黙々と食べていると聡一郎が
「こんな険しい道を小さな子を抱えて……母親はどうやってこんな道なき道を逝ったのですかね?」と疑問を口にした
すると兵藤はおにぎりを食べたていた手を休め、「だな、それ俺も考えていた」と同意した言葉を投げ掛けた
そんな疑問を聞いて少しずつおにぎりを食べていた烈が
「はきょばれたにょね」と答えた
「運ばれた?」
聡一郎は想わず問い返した
「もともと…やまにいきるいちじょくらったんらよ
らから……かえりたいとねぎゃった……
そしてねぎゃったばしょにはこばれた
ははおやは……いまはすたれたいちぞくらけど……かえりたいとねぎゃった、らからしにばしょにえらんだんらよ」
「死に場所に……そこを選んだのか?」
兵藤は訝しんだ声で問い掛けた
死に場所に選んだのに……我が子の命を助けてと乞うているのか?
「わがこのしをまのあたりにちて……ははおやはわれにきゃえったんらよ」
「………複雑だな……」
ったく母親って奴は厄介な生き物だな……と兵藤は想った
「………ひょーろーきゅん……ははおやは……わかぎょのためにゃら、なんらってれきるいきもにょなんらよ」
どんなに矛盾していようが、我が子の為ならば……何だって出来る生き物だと烈は言った
ずーっと何やら考え事をしていた聡一郎は更なる疑問を口にした
「運ばれたって……こうしてバイクで運び込まれたのですか?」
朱雀の背に乗れば一瞬の出来事だろうけど、聡一郎と兵藤は人の世のルールに則り山へと入った
だけど母子を連れて逝くにはあまりにも大変な出来事なのだ…………
「ひこうきのちいさいのだよ、そーちゃん」
烈は聡一郎の疑問に答えた
その言葉に明確な答えを口にしたのは兵藤だった
「セスナ?………セスナなら楽して連れて来られるか?」
「そんなに簡単じゃないでしょ?
乱気流とかありませんか?」
「乱気流とか気候的なモノは読めるからな
不可能な話じゃねぇな」
兵藤は納得した感じでいた
聡一郎は納得していなかった
「セスナを飛ばしてでも……母子を放り出した目的って何なんでしょう……」
「それは解らねぇ
んな事は今頃一生が瑛太さんを引き連れて探ってるだろうさ!」
昨日の電話で要因を調べると言っていたんだ
今頃はすべてを白日の元に曝す為に動いているのだろう……
聡一郎は「ですね……」と呟いた
聡一郎は昼食を食べ終えるとゴミをリュックに片付け荷台に縛った
更なる過酷な道を逝く為に、無言で立ち上がるとバイクに近付き乗る準備をした
聡一郎は「カルデラ方面へ進むなら毒ガス出るんじゃありませんでした?」とタブレットを見ながら問い掛けた
兵藤は「毒ガス?んなの出るよかよ?」とボヤいた
「活火山でしたよ?この山」
「あ、そうか、なら毒ガス注意だな」
そう言えば頂上を目指すにつれ硫黄の匂いが鼻に突いていた
だが逝くしか道はない
この先の不安を憂う暇さえない……
兵藤は烈を背に背負いバイクを走らせた
硫黄の匂いが風に乗ってやって来る
昼を少し過ぎると山の雰囲気は少しずつ変わって行った
視界が見えづらくなっているのだ
走らせる速度が落ちる
先が見えない恐怖に……このまま走るのを断念して霧が晴れるのを待つしかないか………と兵藤と聡一郎は想っていた
霧が全体を包み視界が見えなくなると、兵藤はバイクを止めた
聡一郎も「前が見えないですね」と不安そうに呟いた
兵藤は「山の天気は先が詠めねぇからな……」と悔しそうに答えた
「どうします?
と言っても霧が晴れるまで動けませんけどね」
「無闇に動き回ると方向さえ見失うからな……」
そう言い二人共言葉をなくし沈黙になる
そんな沈黙を烈が破る
何やら慌てて
「ひょーろーきゅん おろちて!」と頼んだ
兵藤は「どうした?トイレか?腹でも痛ぇのか?」と問い掛け烈を地面に下ろした
烈は兵藤の問いかけに答えもせず、跪き地面に口吻けた
「ぬしよ……われらを……あのおやこのところへみちびいてはくださらぬか?
われらは…あのおやこをたすけたいのだ
どうか…ぬしよ……われのことばをききとげてくだされ!」
平身低頭で烈は大地に身を差捧げるかの様に願って語りかけていた
口調は弱々しくとも宗右衛門の語り口調だった
霧に包まれ前さえ見えない
ガサガサと草を踏む音がして、兵藤と聡一郎は身構えた
次の瞬間、霧の中からヌッと姿を現したのは……
大きな亀だった
嫌……亀と謂うには語弊がある大きさなのだが……姿形は亀そのもので、大きな甲羅の上は苔が生い茂り見た事のない木が茂り、目にした事のない花が咲き誇っていた
亀は烈の方に顔を向けると
『この聖域は人が入ってよい領域ではない!
去るがよい人の子らよ!』と耳を劈く様な声で警告した
「ぶれいはしょうちではいりもうした!
ですが……それでもわれらのねがいをききとどけてもらいたい!
どうか!ぬしよ!」
大きな亀は烈をじっと見つめ………静かに瞳を閉じた
そして『人の子よ……儂に何を頼みたいのじゃ?』
と、問い掛けた
願いが聞き届けられた瞬間だった
主と呼ばれた大亀の声は脳内に直接頭に響いて来ていた
「ぬしよ!いまにもしにそうな……あのおやこのところへ……ゆかせてはくれぬか?」
『あぁ……山の民の末裔の親子か………今はその一族も廃り……信仰も廃った
山に神がいる事すら解らぬ人の子らが……山の生態系を変えた……
人の子など歯牙にも掛けないつもりだが、あの親子の一族は最期まで山を愛し神を崇め奉った………だから受け入れてやったのじゃ!
憐れな娘子は……還りたいと願って来たのではないのか?』
「ははなれば………わがこのしなどのぞみはせぬ!」
『………懐かしき血を持つ子よ……
まだ神が人の地に処られた時に………お逢いした事のある懐かしき血を持つ子よ……
お主はどうしたい?
懐かしき血に免じて……一つだけ願いを聞いてやろう………
遥か昔………あの御人には世話になり申したからな
何代主が変わろうとも……記憶の継承はされて参った………忘れたりはせぬ』
「おやこのところへ……みちびいてくだされ!」
『承知した
我が山をその様な無粋な鉄の塊で走る姿に凝らしてやろうと姿を現したが………
よろかろう、今だけは見過ごしてやる故、その鉄の塊に乗り着いて来るが良い!』
そう言い主と呼ばれた巨大な亀はのっそりと歩き出しだ
兵藤は烈を背に背負うと確りと紐で結び付け、エンジンを掛けた
聡一郎もバイクに跨るとエンジンを掛けた
山の主が導く中道なき道を後を追う
霧で周りは見えないが主の周りは光り輝き、主の進む先に道が出来ていた
どれくらい走っただろう……
長かったのか?
ほんの一瞬だったのか?
時間さえ曖昧になる空間だった
無音で只管大亀の進む後を追った
兵藤に背負われ聡一郎と共に道なき道を進む頃
緑川一生は上質なスーツに身を包み飛鳥井建設の社長室のドアをノックした
ドアを開けたのは秘書の西村沙織だった
西村は一生の正装した姿に何かあると察して無言で一生を社長室の中へと招き入れた
飛鳥井瑛太もその動向を一部始終見守るように見ていた
一生は瑛太の姿を見ると深々と頭を下げ
「飛鳥井家真贋から命を受け参りました!」と告げた
瑛太はソファーに一生を座るうに促すと、自分もソファーに座った
「それではお聞き致しましょう
真贋は私に何をしろと申して来ているのですか?」
「飛鳥井の一族で最近離婚した者はいないか?
そしてその離婚の理由
真贋は婚姻全般果てを詠んで決めるが定め!
その定めを反故にして………母子を山に捨てたそうです!」
その言葉を聞き瑛太は目を見開き驚いた顔をした
「真贋の果てを無視した者が一族の中にいると?」
「そうです!」
「母子を山に捨てたと言っていましたが………その母子は今………どうなっているのですか?」
「烈がその件は動いているそうです」
「烈が?…………何故?」
「烈がその子の星を詠んで……命の危機だと動きたのです
昨日朝早く飛鳥井の家を飛び出した所を貴史が保護して今熊本にいると聞きました」
「…………その子は………飛鳥井の中で………外せない駒なのですか?」
「…………詳しい話は俺も聞いてません
唯……烈が己の気をその子に分け与え命を削っていると聞きました
菩提寺は寺を上げて烈に気を送っています
本当なら烈を即座に病院に連れて行きたい程の弱りようだと聡一郎が言って来たので康太が慎一と共に久遠先生を熊本に向かわせたと聞いてます」
「烈は………大丈夫なのですか?」
今世……飛鳥井は宗右衛門を失う訳にはいかない……
「…………かなり弱っていると聞きました
ですが烈は自分に課された事を完遂すべき動いている!
我等もやるべき事を完遂すべく動くしかない……それしか逝く道はないのです!」
一生の決意にも似た言葉に瑛太は立ち上がると
「飛鳥井の家に寄って良いですか?
一族の者に招集を掛け一つの場所に集めます
それと一族の中に放ってある鴉も呼び寄せねばなりません
日頃の行いを確かめる良い機会です!」
サラッと謂ってのけた
一生はギョッとして「鴉?……それは一体……」と底しれぬ存在に問い掛けた
だが瑛太は答えず秘書に「後は頼みます!」と謂い歩き出しだ
一生も立ち上がりその後を追う
秘書はドアの側に控え頭を下げ二人を見送った
瑛太と一生は社長室から出てエレベーターに乗り込んだ
そのまま地下に向かい地下駐車場へと向かった
瑛太は自分の車のドアに手を掛けると
「君の車は置いて行きなさい!」と告げた
「大丈夫です俺はタクシーで来ましたから!」
はなから瑛太と共に行動するのを見越して車では来ていないと答えた
瑛太は笑って助手席のドアのロックを外すと
「さぁ行きますよ!」と謂い運転席に乗り込んだ
一生が助手席に乗り込むと瑛太は車を走らせた
少し車を走らせると瑛太は「ホテル・ニューグランドに部屋を取って下さい!
50人近く入れる部屋を頼みます」と告げた
一生はホテル・ニューグランドに電話を入れると大きな部屋を予約し、50人分の席の用意を頼んだ
予約完了を告げると瑛太は頷いた
飛鳥井の家に還り瑛太は総代の部屋のドアを開けた
部屋に入ると机に向かいPCを立ち上げた
瑛太はキーボードを叩き飛鳥井家総代だけが使用を許されるページを起ち上げると専用コードを入れページを開いた
瑛太は緊急ボタンを押して【此れより1時間の後にホテル・ニューグランドに集合して下さい!
部屋はホテルの受付で聞いて下さい!】と連絡を入れた
瑛太は一生に「直ぐに人を集めたい時、この緊急ボタンを押します
すると相手、一族の当主のPCや携帯に緊急ランプが着いて緊急事案だと伝えます」と説明してやった
一生は納得した
瑛太はクローゼットから総代のスーツを取り出すと着替え始めた上質なスーツは専用のテーラーの手により作られた一級品だった
代々受け継がれた文様がスーツの襟の部分に刺繍され、飛鳥井の総代だけが許された紫紺のハンカチーフが胸ポケットに差し込まれ、着替えは終わった
江戸時代後期から伝わるモダンな西洋の文明を取り入れられたスーツは昔から変わらず受け継がれ、この先も受け継がれて逝くと謂う
着替えが終わると瑛太は何処かへ電話を入れていた
一生は脱いだスーツをハンガーに吊るし片付けをする
電話が終わると瑛太は「行くとしますか、早いでしょうからお部屋にお茶を運ばせましょう」と長閑な声で謂った
玄関に向かうと一条隼人が靴を履いて出掛ける所だった
一生は「隼人、仕事か?」と声を掛けた
隼人は振り返ると「熊本へ行くのだ!」と答えた
「え?熊本?何かあったか?」と心配して問い掛けた
「久遠から連絡が入ったのだ
病院にある器具を持って飛鳥井の家が所持するセスナに乗って熊本まで来るのだと謂われたのだ
緊急って事で仕事はキャンセルして駆け付ける所なのだ」
熊本まで……それを聞き一生は烈が置かれている危険を感じて奥歯を噛み締めた
「烈を……烈を頼む隼人……」
「解ってるのだ!
兄弟達も心配して食欲も落ちてるのだ
元気に還らせねば……兄弟達も直ぐに駆け付けると言い出すのだ!」
翔達は不在の弟に心悩ませていた
役務の為に不在なのは察していたが、どうか無事で帰りますように……と願って止まない兄弟の気持
ちを汲み取る言葉だった
隼人は一生との会話を終わらせると急いで家の前に待たせてあるタクシーに飛び乗り去っていった
瑛太と一生はそれを見送り、地下駐車場へと向かい車に乗り込んだ
平日の昼間とあって道路は空いていた
順調に車を走らせてホテル・ニューグランドへと到着すると、車寄せに車を停めて車から降りた
スタッフに車のキーとチップを手渡すと、瑛太と一生はホテルのフロントへと向かった
一生が予約した者だと伝えるとフロント係のスタッフが手続きを始めた
「後から来る者達に部屋の案内を頼みます!」
と言うとスタッフは「承知いたしました!」と答えてベルボーイを呼んだ
ベルボーイに案内されて部屋へと向かう
ゆったりとした足取りでベルボーイは部屋へと案内した
部屋の前に来るとドアにキーを入れてドアを開け
「こちらの部屋になります!」と深々も頭を下げた
瑛太は「お茶をお願いします」と告げると部屋の中へ入って行った
一生は一足先にお茶を二人分頼み、後から人が50人位来るから、人が集まったらお茶を頼み部屋へと入った
瑛太は上座に座ると、一生に横に来る様に合図した
お茶が運ばれ、長閑にお茶を嗜んでいると、人が一人また一人と入って来た
瑛太はそれに一瞥もくれずにお茶を嗜んでいた
全員が揃うと瑛太は立ち上がる事なく
「緊急なので招集を掛けさせてもらいました!」と冷たく一族の者を眺めて言葉にした
瑛太は一生に目配せをすると、一生は立ち上がり
「今日、皆様を此処に集めましたのは、飛鳥井家真贋の意向です」と告げた
集まった一族の者が驚いた瞳を総代に向けた
一生はそれらの動揺を無視して
「皆様の中にここ最近離婚なされた者はいませんか?
しかも、その婚姻は飛鳥井家真贋の周知せぬ婚姻だったとか………」と本題を切り出した
横浜や都内に書店を営む当主は
「我等一族は真贋の意向を無視する事など絶対にない!」
と語気を強めて言った
飛鳥井家真贋の見立てがあればこそ、生き繋いで来られた商売だった
それを無視をすると謂う事は…今後は真贋の見立ては受けられないと謂う現実を突き付けられると謂う事なのだ
一族の者は皆頷いていた
一生は「それでも!現実は真贋の見立てなど無視して妻を娶り、不要となれば熊本の山奥へと捨てた者がいる!」と吐き捨てた
一族の者は言葉を失った
瑛太は「鴉!」と言葉を放った
すると一族の者は「ひっ!」と恐怖の声を上げた
暗闇からスッと現れたのは漆黒のスーツを着た男だった
顔はお面で隠し、どこの誰だから解らぬ様に一言も言葉は発しはしない
鴉と呼ばれた男は、瑛太の前に逝くと跪いた
「調べてくれたか?」
鴉と呼ばれた男は1枚の紙を瑛太に渡した
瑛太は紙を受け取ると
「ご苦労でした!
再びの監視お願いします!」と告げた
鴉と呼ばれた男は深々と頭を下げると、その場から消えた
瑛太は紙を見て嗤った
「名乗り出れば……処分も甘かったかも知れないのに‥‥」
容赦する気は皆無だと謂う言葉に、一族の者は息を呑んだ
飛鳥井の一族の者達は皆、商売をしていた
真贋が果てを見て、生計が立てられる様に始めさせたのが始まりの商売だった
大型商業施設に入る書店、ブティック、飲食店(喫茶店、レストラン、ファミレス、バー、スナック等)美容室(理容室も含む)、輸入雑貨、スポーツ品店、旅行代理店、ネイルサロン、エステサロン、文具店、他にも多数の店を持つ、どの商売も人気でこの不景気なご時世の中で売上を伸ばしていた
先日オープンしたアウトレットパークの中の商業施設の半分は飛鳥井の一族の者が経営していた
「美容室を経営している飛鳥井一眞が子息、琢磨か……一眞、お前の子息が結婚したとか離婚したとか聞いてはいないが?どういう事ですか?」
瑛太が問うと一族の者は一斉に一眞と呼ばれた者へと視線を向けた
一眞は下を向き震えていた
「琢磨は……親が決めたレールに乗るのは嫌だと……謂う事を聞きませんでした………」
「ならば次代の当主から外せば良かったのでは?
鴉の報告では次男の方が経営者としての脂質があるとありますが?」
「………でも美容師としての腕は……チャンピオンになる程なので……誰も……反論は出来ませんでした」
ポツリポリと一眞は苦悩を浮かべ現実を話す
鴉が出て来た時点で全てお見通しなのは解っていた
飛鳥井の血を引く者は当主として一族を盛り上げる者、総代の手足となり動く者、当主と共に家族皆で支える者、そして無関係な者として生きる者に分かれている
総代の手足となり動く者の中に鴉と呼ばれる者が存在する
何処の誰が【鴉】なのかは解らない
だが鴉は必ず内部の情報を詳しく総代に伝える使命を持つ
さっきの鴉も………一族の者の誰かなのだろう………
「琢磨が妻にしたのは……山岳信仰を守護する巫女の末裔……熊本に旅行に行った時一目惚れして連れてきた……それが3年前……の事だとか?」
瑛太は報告書を横目に間違いはないか確かめる様に聞いていた
想わず一生が
「3年?3年もあれば真贋に報告なり出来たのではないのでは?」と声を上げた
その言葉に苦悩を深め
「真贋に……お伝えしようと……想いました
何度も何度も……真贋のお耳に入れねば……と想いました
ですが………子を成してしまいましたので……申せずに来てしまいました
謂わなきゃ解らないだろう……と何処かで想っていて……逃げていたのです」心情を吐露した
「琢磨は二人の間に子まで成したのに……何故妻子を捨てたのですか?」
「ここ最近の我が店は、嬉しい悲鳴を上げる程に経営状態は鰻登りで人気のある店として持て囃されました
長男の腕が買われ予約客は絶えない……そんな状況に支店は次々と増えて行きました
軌道に乗った経営に長男は調子に乗り……経営権の総てを手に入れようとしたのです
テレビにも出ているカリスマ美容師と騒がれる様になると……人気モデルや女優と浮き名を流し……
その中の一人を妊娠させてしまったのです
相手はかなりネームバリューのある女優さんで、責任を取らねば……悉く潰すと謂れ………
琢磨は嫁に別れを切り出しましました
最初は嫁も抵抗して嫌だと言ってたのですが……私と……姑である妻と琢磨が嫁をいびり倒し……生きてるのが嫌だと想わせる程……傷付け……泣く泣く離婚を承諾したのです
少しばかりの金を渡し琢磨は離婚しました
私は………嫁が憐れで……嫁の希望を叶える為……
行きたい所へ送り出してやる……と告げて熊本まで送る手筈を着けたのです……」
烈が追って行った存在が何故熊本にいたのか?
瑛太と一生はやっと理解出来た
だが胸くその悪い話だ……
一生はグッと奥歯を噛み締め拳を握りしめた
そんな時、何処からともなく『クソだな!』と謂う声が響いた
誰もがその声の主を理解していた
『一生……任せて大丈夫か?』
正義感の強い一生にとって、こんな胸糞悪い話は……耐えられない位腸が煮えくり返っている事だろう
一生は胸を張ると
「大丈夫だ!烈は今命を懸けて闘っているんだ!
俺が挫けてどうするってんだ!」と答えた
一生はテーブルを思い切っり殴り付けた
バァァァァーンともの凄い音が部屋に響く
一生は奥歯を噛み締め……
「飛鳥井宗右衛門は今、お前が捨てた家族の為に命を削って向かっている!
母親はもう………息絶えていると報告があった
だが母親は己が死しても……我が子の命を案じて冥土にすら渡ってはいないと謂う……
そんな山の奥に嫁と子供を捨てれば、死ぬって発想はなかったのか!」
叫んでいた
瑛太は机を殴った一生の手から血が流れているのを見付けると、立ち上がり胸ポケットのハンカチーフを取り出して傷ついた一生の手に巻き付けた
一眞は立ち上がると土下座した
「逝くも地獄……引き返しても地獄
………私には……どうする事も出来ませんでした
親子の命を軽んじた訳ではありません
ですが……そんな所へ送れば生きてはいまいと頭を過りもしました
ですが……私には……どうする事も出来なかったのです……」
瑛太は鴉が渡した書類を隅々まで目を通した
そして現状報告の一文に目を通し……顔を上げた
「奥方が……末期の癌だとか?」
「はい……久遠先生にもどうして此処まで放っておいたとお叱りを受けました
体調の異変はあったようです
ですが美容師として妻も店に出ていたので……忙しさに任せて…自分を後回しにした結果…倒れて病院に運ばれて直ぐに処置をせねば死ぬぞ!と余命宣告を言い渡されました……
妻は……私と地獄に堕ちてくれると約束してくれました
……あの子達を辛い目にあせた自分達が……天国に逝けるとは想ってなどおりません」
一眞が告げると一生は
「地獄に仲良く行きてぇみてぇだが、そうは簡単には行かねぇぞ!」
と現実を突きつけてやった
「え?」
「妻の後を追おうとしてるみてぇだが、後追い自殺は地獄には行けねぇ!
閻魔大王にすら逢えねぇからな、逝き先は別々にしかならねぇ!
どれだけ臨もうともな……それこそお前は自分の妻を泣かせてるって気づいてるか?」
一生の言葉に一眞は絶望に満ちた瞳をした
「まぁ何にせよ、お前の息子を片付けてからだな」
「息子は……どうなりますか?」
「それは真贋が審判を下す」
「総ては……総代と真贋の御心のままに……
我等は……それに従います………」
一眞は審判が下される囚人の様に項垂れて、罪が下される瞬間を待つ事にした
瑛太は一族の者を集めた事によって、真贋の見立てを破ると謂う事がどれだけのモノをなくす事になるのか……を思い知らされる事となる
語り草の様に【鴉】の存在は知られるが、存在すら解らぬ者に信憑性はなく……
噂の領域を出る事はなかった
たが今、目の前で【鴉】による報告がなされ……
一族の者が追い詰められている光景を目にして……
スケープゴートにはもってこいだったな、と思った
一族の結束
一族の信頼
一族の掟
一族の………果て
それらを総て決めるのは飛鳥井家真贋
裕福に持て囃された日々は真贋が齎す果てだと気付きもせず好き勝手をやる者達にはいい薬になっただろう
何年か前、一族の結束を図る為、約束を守らぬ者を切り捨て半分まで減らした一族だった
切り捨てられた元一族の者達は、流行り病が齎した不景気を乗り切る事が出来ず商売を辞めて一家散り散りになって苦しい生活を余儀なくされている
人は喉元過ぎれば熱さを忘れる生き物なので、こうして時々思い出させる必要があるのだった
一生は瑛太と目配せして
「飛鳥井一眞、貴方は家に帰る事を禁じます
此れより妻と共に過ごすと連絡して、家を出て妻と用意した病院で過ごして下さい
貴方が家に帰ると琢磨に此方の動向を探られてしまう可能性があるので、宜しいですか?」
と告げた
一眞は「はい!妻を一人にさせないのであれば、何処へでも逝きます」と清々しい顔をして答えた
瑛太は立ち上がると
「これで解散となります!
今後も皆様 精進をなさってこの苦境を乗り越えようではありませか!
明日の飛鳥井の為、家の為、我等はその礎となり生きて行くと誓いあった一族なのですから!」と告げた
その言葉で解散となり、一族の者は部屋から出て行った
一眞は立ち上がると、椅子に座り断罪の時を待っていた
一生は携帯を取り出すと
「緑川一生ですが、頼みたい事があります」と何処かへ電話を入れていた
瑛太は温くなったお茶にする口を着けると
「一生、お茶が温くなりました」と寂しそうに言った
手短に電話を着ると瑛太に向き直り
「お茶して帰りますか?」と尋ねた
すると瑛太はニコッと笑って
「それは良いですね」と答えた
一眞は瑛太がそんな人間らしい顔も出来るのだと……今更ながらに想っていた
寡黙で冷徹で常に正確な道を導き出す生きたコンピューターとまで謂れた男だった
一生はフロントへ電話を入れると、部屋を出るので精算をお願いした
瑛太は胸ポケットからカードを取り出すと
「支払いはこのカードでお願いします」と言いカードを渡した
長い廊下を歩き、エレベーターに乗りロビーまで向う
ロビーのソファーに瑛太と一眞を座らせると、一生はフロントへと向かった
一生が瑛太が渡してくれたカードで精算を終わらせると、一人の男が一生に近付いてきた
「一生、人を呼び出しおって!
息子は熊本へ行って人手不足なんだぞ!」とボヤいて文句を言いつつ早足でやって来たのは飛鳥井義泰だった
「義泰先生、呼び付けて悪かった」
「で、連れてって欲しいヤツって?」
義泰が聞くと一生は「彼です」と一眞に視線を向けた
「一眞、お前か……何処か悪いのか?」
飛鳥井の一族の者と謂う事もあって顔見知りだった
一眞は何も謂わなかった
「彼を奥さんのいる個室に連れて行って下さい!
そして誰が来ても面会謝絶でお願いします」
「ゴタゴタか?」
「そりゃぁもう台風級のが病院に乗り込んて来るかも………」
「ならば上で面倒見るしかなかろうて!」
「それは助かる」
「総てが片付いたら美味しお酒でも差し入れしろ!と真贋に伝えておいてくれ!」
「それは美味いの期待しててくれ!」
「おし!楽しみにするかのぉ!」
義泰はそう言い一眞を立ち上がらせると、連れて行った
瑛太は「お茶をして帰りましょうか……」と一生に声を掛けた
一生は「良いですね、美味しい店期待しています」と言い瑛太と共にホテルを後にした
車に乗り込み車を走らせる
瑛太は寡黙だった
瑛太は海沿いのレストランの駐車場に車を停めると一生と共にレストランへと入って行った
窓際の海の見える席に座ると、瑛太は軽食を頼んだ
そして持ち帰りにサンドイッチを注文した
最近食が落ちた子供達の為に買って行ってやろうと思ったのだった
運ばれて来た珈琲に口を付けると瑛太は
「流生が継ぐ頃には……こんな一族など……無くなってしまえば良いのに……と時々想います」と一生を見ることなく呟くように言った
総代を継ぐのは流生だと既に決まっていた未来だった
「それでも飛鳥井は明日へと続く………真贋が明日へと繋げるから……」
一生も珈琲に口を付け答えた
「弟は………今何をしてるんですかね?」
「我が子の未来の障害物になるモノを、せっせと駆除してるんですよ
裏の貴史もそれで何ヶ月も帰れなかった程だった
そして帰ったその日に烈を拾って熊本です……」
「烈は……大丈夫なのですか?」
「もう何日も気を送っていたらしくて、かなり弱ってるって聡一郎が言っていた
でも烈は目的を完遂するまで諦める事はない
例えその命が尽きようとも………絶対に……」
「あの子の頑固さは母譲りですね」
「父親も頑固な奴だから双方から譲り受けた生粋の頑固なんだと想いますよ?」
一生が言うと瑛太は笑った
「烈の………元気な顔が見たいです
あの貫禄ある姿を………見たいです
その為ならば、私はどんな事でもするつもりです」
「ええ………アイツが帰って来たら仕上げをするだろうから、下拵えは完璧にしておかないと!
手なんか抜いたら蹴り上げられる……」
「ならば私も完璧に仕上げねばなりませんね
一眞の処分は………どうしましょうね?
康太に……下させるのは気が引けます」
「………まぁアイツはもう果てを見て動いてるでしょうね………」
「ですね……我が一族はそこまで腐ってはいないと想いたいですからね……
今回は敢えて全員を集めて不確かな噂でしかない【鴉】の存在を公にしました
康太がメールで指示して来ましたからね
あれが……一族の起爆剤になればと思っています」
「鴉って……何なんですか?」
「百年前の稀代の真贋が作った隠密行動をする監視役みたいなものです」
「百年前の真贋って康太だよな?」
「そうです、今回は鴉の存在を公にして、一族の中に放った鴉の存在を公にする目的があったのです………どこの誰か解らない存在
だけど、確かに存在して一族の者を見張っている存在、それが鴉です
どの者よりも詳しい情報を持っていて
どの者よりも奥深く入り込み内部を掌握する
それが鴉です」
一族の者を、一族の中の者が監視する
かなりエグいシステムを百年前の稀代の真贋が作り上げたと謂うのか………
一生は言葉もなかった
「必要悪であり欠かせぬ存在……糸が切れた凧は好き放題逝く……糸を繋いで手綱を握り締める必要があったのです
今回は本当に一族の者の手綱を握り締められましたので由としましょう」
大概にこの人も恐ろしい男だった
愛する者以外には興味もなく何処までも冷徹に鉄槌を下す……
「まぁ烈を苦しめた責任は取らせねぇとな……」
「烈、心配です…もし入院になったら即座に飛鳥井の病院に転院させましょう!」
この人は………簡単に言ってのけるのだから……
「まぁ、その為に久遠が逝ってるんだろうからな
でも衰弱が酷いなら転院は直ぐには無理だろうな……」
「ならば飛鳥井玲香を熊本に派遣しましょう!
烈の着替えを持って向かわせます!」
男手ばかりだから、玲香が来るなら助かるだろうが………
一生は何か謂う事を諦めた
この男が誰よりも家族を愛し、家族を心配し
不器用ながらそれに応えようと(多少空回り気味だが……)想っての行動だと想うから、一生は何も謂わなかった
想いは一つ
烈……どうか無事に……還って来て……
それだけだった
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