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第8話 彼と彼女と大人の俺たち
飯島航、14歳中学三年生。夕暮れの道を、海原堂にむかって歩いている。その斜め後ろ、三歩ほどの距離を、少し遅れて山本桜がついてくる。飯島は、時々小さく振り返りながら、いつもよりゆっくりめに歩いていた。
二人は、同じ中学の美術部の部員だ。
あの日飯島は、海原堂でデッサン用のモデル写真集を買った。
大事にしようと思っていたのも本当だが、ちょっとだけ自慢したくなった。美術部の男友達に見せたくて、部室に持参した。
男たちは、笑いながら覗き込み、女たちは、眉をひそめながらも見終わったらこっちにも廻せと言ってきた。
飯島は、何度も本を丁寧に扱えと言ったけれど、奴らは聞く耳をもたない。
そこへ、山本桜が、人垣の頭の上からぐいと本に手を伸ばしたのだ。
「なんだよ」「まだ、見てるぞ」
男たちは、口々に抗議の声を上げたけれど、山本桜は、すました顔で男たちを見下ろしていた。
「本は、丁寧に見て?飯島君の本でしょ」
凛とした声に、少々ばつが悪くなったらしい。男達は、残り数ページを丁寧に繰り、待ちくたびれた女子たちに本を廻した。
山本桜は、その輪には加わらなかった。その代わり、飯島にそっと近づいて、どこで買ったのか教えてほしいと質問した。
「お店、教えて?」
「……ちょっと歩くけど、今度行ってみる?」
山本桜の、小ぶりな黒目がきらりと光ったような気がしたと思うと、斜め上からよろしくお願いしますと囁き声が聞こえた。
そして今、店は目の前だ。
飯島航は、立ち止まって振り返った。飯島の足元を見て歩いていた山本桜も、足を止めて顔を上げた。
山本桜の目をみながら、飯島航は店を指さした。
その指につられれるように、山本桜は看板を振り仰ぐ。そこには、くっきりと「海原堂」とかかれていた。
☆
店に入ると、奥に黒いくせ毛の頭が見える。前回来た時と同じように、店主がレジ奥に座り込んでいる。
「いらっしゃ~い」
気のなさそうな店主の挨拶に、飯島は小さな声でお邪魔しますと答えた。
「え?」
驚いた様子で、店主が顔をあげた。
「ああ!漫画家志望の中学生!お、今日は違う友達を連れて来てくれたのか。今日の友達は、悪さはしなさそうだな?」
「ああ……その節は、本当に、申し訳ありませんでした」
「いやいや。ゆっくり見てって」
飯島と店主のやり取りを、山本桜は不思議そうに眺めていた。
下げていた頭を元に戻した飯島は、自分を見つめる山本桜と目が合った。
「今日見せた本を買った時、別のやつらが万引きしようとして、捕まったんだよ」
山本桜は、一瞬眉をしかめて、その後励ますように頷いてみせた。
「実際の被害はなかったよ。それに、あれは君じゃない」
気にするなと、店主も声をかけてくれた。
ありがとうございますと、もう一度頭を下げて、飯島と山本は店内を見て回ることにした。
狭い店内だ。ぐるっと棚を見てまわるだけなら、すぐに終わる。山本桜は、壁面の写真集や画集を一つ一つ手に取り始めた。
その様子を見て、店主がまた立ち上がった。
今度は、奥から出て来て山本桜の側に立った。
「壁面は、本の表紙を見せたいから、在庫はあっても表に出してないものが沢山あるんだよ。画家やカメラマンで、誰か好きな人いる?在庫にあれば、出すよ」
山本桜は、覗き込んでいた画集から店主の顔に視線を向けた。
「あ、の、ロートレックが、好きです」
「ポスター?油彩?どっちも?」
「どちらかといえば、油彩が」
なるほどと首肯して、店主は何冊か画集を避けて、壁面の棚をぱかっと開いた。
平たい棚を持ち上げるようにして開くと、その中はロッカーのような本棚になっている。そこには、びっしりと大型本が並んでいた。
「ロートレックで……油彩メイン……これと、これかな」
店主は、すぐに本を二冊引き出してくれた。
一冊は、廉価版と言っていい画集で、値段も手ごろだ。もう一冊は、ハードカバーでフルカラー。紙も分厚い、本格的な画集だ。
「ごゆっくり」
その二冊を手渡して、また店主は定位置に戻った。
そこへ、飯島航が近づいてきた。
「何?」
「あ、いや」
「ロートレックの画集だよ。お客さんにセクハラなんてしないから、そんなに警戒しなくても大丈夫」
「そういうんじゃ……ないけど」
「友人の安否を気遣うのは、いい事だよ?」
店主の言葉に、安堵したように飯島航は小さく溜息をついた。
「ところで、マンガは進んでる?」
「今は、絵が描きたいんです。ストーリーは、この間一緒に来た奴と考えてたんだけど。もしかしたら、俺は絵で、あいつは小説にって分かれて作っていくことになるかも」
「それも悪くない。それに、形は変わっても、仲間がいるのは心強い。絵を、嫌になるほど沢山描くといいよ。何でも練習らしいよ?」
そんなもんかなと、飯島は曖昧にうなづいた。
実感としては、描きたいから描いてるだけで、練習という言葉のもつ「苦しさ」や「辛さ」とは、無縁な気がしたのだ。
「デッサン用の本を買ったんだから、人間を描いてるんだろ?」
「はい。人間っていうか、ヒト型かな。ベースは人で、そうじゃない部分も色々ある感じ」
「えーっと、君、名前なんだっけ?」
「飯島航です」
「じゃ、飯島くん。ヒト型って言ってたけど、だったらこういうのどう?」
店主は、また立ち上がり、壁面の別の棚をぱかっと開いた。そして、さっきと同じように一冊写真集を抜き出した。
ついてきた飯島の目の前に、振り返った店主が本を差し出す。
「参考に、なるかもよ?」
恐る恐る手にとった表紙には、真っ白のロングドレスの女性が、義足を一つ抱えて大きな籐椅子に座っていた。
「これは……?」
「色んな人達が、色んな衣装を着てる写真集。一応、コスプレかな?シチュエーション写真って感じ」
「色んな人……?」
本を手にした飯島航は、何と言っていいかわからず立ち尽くしてしまった。
すると、すぐ近くにいた山本桜は、その本に手を伸ばした。
「先に見てもいい?」
「うん。でも、山本、大丈夫かよ」
山本桜は、しっかりと頷いた。
「大丈夫って?」
不思議そうにするのは、店主の番だ。
飯島は、答えにくそうにして、山本桜をちらちら見ている。
見られている本人が、写真集の表紙をにらんだまま、店主の質問に答えた。
「私、事故で片足に麻痺があるんです。飯島君は、それを知ってるので気にしてくれたんです」
「なるほど?君は、これ、どう思う?」
山本桜は、表紙をにらんだままページを開かない。
「足が動かなくなったり、なくなったりするのは仕方がないことですが、こんな風に人目に晒す感覚は、わかりません」
「目立たたないようにって、言われて育った?」
小さく身じろいで、山本桜は顔を上げた。
「みっともないって言われてきました。それが、普通なんでしょ?」
「普通?世界が狭いなぁ。それ、早く中を見たほうがいい。考え方が変わるかもしれないよ」
「……当事者にしか、わかりません」
「俺には何もわからないと決めつけるの、ちょっと早いんじゃない?それに」
「それに?」
「まぁ、いいから早く見なよ。とにかく、色んな人がいるから。普通じゃない姿を、本気でかっこいいと思う瞬間がきっとあるよ」
言うだけ言うと、店主はさっさと定位置に戻ったが、立ち去る直前に飯島航の耳元で一言囁いた。
「ちなみに、けっこうエロいよ」
中学三年生男子は、ぎょっとするばかりで、何も言い返せなかった。
それからしばらく、二人は、本を見つめて困惑していた。
けれど、店の外はどんどん暗くなる。飯島は、思い切って山本に声をかけた。
「それ、見ないの?」
「見るよ。ちょっと待ってよ。心の準備がいるんだから」
「……」
わかるよと、飯島が小さく頷く。
大きく深呼吸をして、山本桜は本を開いた。
真っ白な中表紙と目次を開くと、まず最初にずんぐりとしたドワーフがいた。極端に背が低く、大きな頭に帽子をかぶり、つるはしを手にしてしている。耳は、お約束とでも言うようにとがっている。
ぎょろりと大きな目をした妖精には、半透明の羽がついてる。丸々と太っていて、そんな羽では飛べそうにもない。
人魚の少女の萎えた足に、びっしりと鱗が張り巡らされている。今にも、差し出された薬を受取ろうとしている。
義手義足の女騎士は馬に乗り、両腕の肘から先がない男は、その腕に大きな赤い羽を付けている。胸筋たくましいフェニックスになって、女騎士に飛び掛かる寸前だ。
片目の忍者は、盲目の座頭市と向かい合っていて、酸素ボンベにつながれた少年は、宇宙飛行士のぶかぶかのスーツを着て誇らしげだ。
そこには、普通じゃないのに堂々とした人たちがいた。何もかもが過剰に装飾的で、豪華で華やか。毒っ気も、たっぷりとふりまかれている
最後のページを閉じた時、山本桜の心臓は跳ねまわるように暴れていた。
隣にいる飯島航を伺うと、眉根をぎゅっと寄せて、何かをこらえているようだった。
「飯島くん?」
呼びかける声に、はっと意識を取り戻したのか、飯島航は表情を戻した。
「あの、これ、どうする?」
「俺、買う」
じゃあと、山本桜は本を飯島に渡した。
二人は、レジ前に立っていた。
店主は、会計を済ませて本を包んでいる。
「参考になりそう?」
「はい」
「がんばれよ」
にやりと笑って、店主は飯島に本を手渡した。
「はい、君はこっちね」
山本桜には、ロートレックの廉価版画集を包んで渡した。
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
「何?」
「私は、間違っているんでしょうか?」
「いや。まったく気にするなってほうが無茶なのは、よくわかるよ。でもさ、仕方がないじゃない?その足も君なんだから、仲良くしていかないと辛いよ?」
「それは、そうですけど」
「君も、沢山絵を描くといいよ。足のことなんて忘れるくらい。そのうち、その足が君を助けるかもよ?案外、他人は気にしてないしね」
「気にしてない?ですか?」
「うん。現に、君と一緒にいる飯島くんは、君をみっともないなんてまったく思ってないよ?」
飯島は、突然自分に話しを振られてびっくりしてしまった。気の利いた言葉が出せないでいると、横から胡乱気な目つきで見られた。
「嘘でしょ?」
「嘘じゃない、よ。みっともないとか、そんな事思ったことなかったし。ただ、走るのは難しそうかなとか、歩くスピードとか、ちょっと気にしたくらいで」
「ほら、気にしてるじゃない」
「……いやっ、そういう事じゃなくて」
何と言えば通じるだろう。飯島は、言葉が見つからなくて冷や汗がでる。
「それって、足が不自由な人だけじゃなくて、調子崩してる人とか子どもとか重い荷物持ってる人とか、色んな人に対して思うことじゃない?」
店主が、助け船を出した。
「足が悪いからじゃなくて?」
「んー、そこを突き詰められると、難しいかな。でも『自分に何かできるかな?』って考える条件の一つって感じ?これが手だったら、どう?歩くスピードはあんまり気にしないけど、荷物を持つとか、ちょっと手を貸すことってあると思うけど。誰にだって、あるでしょ?」
山本桜は、店主と飯島の顔をかわるがわる見つめて、それから小さくつぶやいた。
「もしかして、気にしてるのは私だけでしょうか?」
「だけ、じゃないけど、思ってるよりも少ないと思うよ。現実的には、不便だろうし、不利な場面もあるだろうけどね。みっともないなんて、そんなことはない」
「本当は、不便なだけ……」
「だと思えば、気楽じゃない?」
「はい。あの……、ありがとう、ございました」
山本桜は、晴れ晴れとした顔をしていた。飯島航は、なんだか眩しいような気がした。
☆
「もう暗いから、気を付けて帰れよ。飯島君、彼女を送ってあげて」
二人は、店先でもう一度先崎に頭を下げて、日の暮れた街中を帰って行った。
入れ違うように、仕事帰りのサラリーマンが店内に入った。
「いらっしゃいませー」
先崎の仕事は、一番客の入る時間帯を迎えていた。今頃、穂村は中学で会議の真っ最中だろう。
仕事をしようと、先崎はレジ奥に戻った。
☆
当然、その夜の寝物語は、二人の中学生の話題になった。
「女の子、少し楽に生きられるといいんだけど」
「飯島、でしたっけ。男のほうは、ちゃんとわかってるかなぁ」
「大丈夫そうだったよ。そもそも、気にしてるんじゃないかと気遣ってたから」
「そうですね。ところで、余計なことを言いましたね?」
ころりと体の向きを変えて、穂村が先崎の目を見つめて教師の顔をする。
「先生的には、まずかった?だってさぁ、ユキも見る?マジでエロいんだって、色んなのあって」
「そうですかねぇ?」
口調の割に、健康的な笑顔の先崎に、穂村はいささか懐疑的な相槌をうつ。
「もし、ああいう人たちと付き合うような事があったら、どんな感じかなぁ。腕の先とか、触らせてくれるかなぁ」
ふふふと小さく笑って、先崎は妙に楽し気だ。だがしかし、穂村としては、そうはいかない。
「そんな事にはなりません」
「なんだよ。ヤキモチ?ユキも可愛いとこあんな」
先崎は、嬉し気に首を伸ばして、穂村の頬にちゅっとキスをした。
「そりゃ、妬きますよ。だって……」
続きは言わずに、穂村は先崎の体を抱き寄せた。
鼻の先に唇でちゅっと触れると、先崎の唇がちゅっと穂村の顎を吸った。
「……そんな風に、サキさんが触るのは、俺だけです」
ちゅっちゅっと額や頬に唇で触れながら、穂村は囁く。
「そんな事言って……」
忍び笑いをこぼしながら、先崎は穂村の首に腕をまわす。
穂村は、そんな先崎の腰をぐっと抱き寄せる。その腕の強さに、ちょっとの不安と心配と独占欲が透けて見える。
「お前、本気で心配してんの?ずーっとお前を待ってたのに?」
「俺も、ずっと待ってましたよ?」
そう言って、穂村は先崎に深く口づけた。
さらに強く抱き寄せられて、先崎の体はすんなりと穂村の体に添う。しなる背中を、穂村の指先が何度もさすって、そのまま小さな尻を掴む。
先崎は、ぷるりと震えて膝をこすり合わせる
「なぁ、お前がエロいの?俺が変態なの?」
「どっちもですよ?」
こすりつけられた腰に硬さを感じて、先崎もぽわっと熱くなる。
「やっぱり、お前がエロい」
「サキさんは、可愛いです」
「こんなにいちゃついてて、いいのかよ、先生?」
「今は、先生じゃ、ないです……」
莫迦だなと小さくつぶやいて、先崎は、穂村の脛を足先でなぞる。
「なぁ、まだ入れないの?」
「もう少し、慣れてから」
「平気じゃね?」
「もうちょっと、です」
穂村は、尻を掴んでいた手を部屋着の中にするりと忍び込ませると、入り口あたりをやわやわと指で撫でる。
その刺激に、先崎の体はぴくりと跳ねて、穂村の体に腰を押し付けてしまう。
「じゃ、沢山触って、中も」
「はい」
耳元で、吐息交じりの穂村の声が聞こえる。
先崎の背中を、ぞわぞわと快感が駆け回り、緩んだ入り口が中指を楽々と飲み込んでいく。中ほどまで潜り込んだ指は、軽く曲げられて内壁をぐるりと押しひろげる。
「あ、ああ、んんんん、それ、きもち、い……」
気持ち良さに煽られるほどに、部屋着が邪魔で仕方がない。
先崎は、自分と穂村の部屋着の前を引き下げて、互いの熱を一緒に掴む。
そして、濡れているのは、自分だけではないと知る。それが、また新たな熱と潤みを生んで、先崎の手をべたべたに濡らしていく。
「んん、ん、ん、ゆ、き、ああああ、あ、あ、もっ……と……」
先崎は、自分の足を穂村の腰にひっかけるようにして大きく開いて、穂村の指を深く呑み込もうと揺れる。
「っくっそ、可愛いし……」
穂村は、片手で先崎の上衣をたくし上げて、小さな乳首に吸い付いた。
「っひやっ……」
先崎は、穂村との深い触れ合いに溺れている。もう、指だって苦も無く呑み込める。触られると、びくびくと体が波打つように感じる場所だってある。
あと少し、あと少しなのに。
手の中の、穂村を全部飲み込みたい。なのに、それは熱く硬くなるばかりで、押し入ってこようとしない。
今だって充分気持ちいいけれど、きっと、もっともっとこの先がある。
先崎は、穂村がその気になるのを待っている。
だからこそ、穂村の指と唇に素直に淫らに蕩けて見せるのだ。
お願い。待ってるから。
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