8 / 10

第8話 彼と彼女と大人の俺たち

 飯島航、14歳中学三年生。夕暮れの道を、海原堂にむかって歩いている。その斜め後ろ、三歩ほどの距離を、少し遅れて山本桜がついてくる。飯島は、時々小さく振り返りながら、いつもよりゆっくりめに歩いていた。  二人は、同じ中学の美術部の部員だ。 あの日飯島は、海原堂でデッサン用のモデル写真集を買った。 大事にしようと思っていたのも本当だが、ちょっとだけ自慢したくなった。美術部の男友達に見せたくて、部室に持参した。 男たちは、笑いながら覗き込み、女たちは、眉をひそめながらも見終わったらこっちにも廻せと言ってきた。 飯島は、何度も本を丁寧に扱えと言ったけれど、奴らは聞く耳をもたない。 そこへ、山本桜が、人垣の頭の上からぐいと本に手を伸ばしたのだ。 「なんだよ」「まだ、見てるぞ」 男たちは、口々に抗議の声を上げたけれど、山本桜は、すました顔で男たちを見下ろしていた。 「本は、丁寧に見て?飯島君の本でしょ」 凛とした声に、少々ばつが悪くなったらしい。男達は、残り数ページを丁寧に繰り、待ちくたびれた女子たちに本を廻した。 山本桜は、その輪には加わらなかった。その代わり、飯島にそっと近づいて、どこで買ったのか教えてほしいと質問した。 「お店、教えて?」 「……ちょっと歩くけど、今度行ってみる?」 山本桜の、小ぶりな黒目がきらりと光ったような気がしたと思うと、斜め上からよろしくお願いしますと囁き声が聞こえた。 そして今、店は目の前だ。 飯島航は、立ち止まって振り返った。飯島の足元を見て歩いていた山本桜も、足を止めて顔を上げた。 山本桜の目をみながら、飯島航は店を指さした。 その指につられれるように、山本桜は看板を振り仰ぐ。そこには、くっきりと「海原堂」とかかれていた。 ☆ 店に入ると、奥に黒いくせ毛の頭が見える。前回来た時と同じように、店主がレジ奥に座り込んでいる。 「いらっしゃ~い」 気のなさそうな店主の挨拶に、飯島は小さな声でお邪魔しますと答えた。 「え?」 驚いた様子で、店主が顔をあげた。 「ああ!漫画家志望の中学生!お、今日は違う友達を連れて来てくれたのか。今日の友達は、悪さはしなさそうだな?」 「ああ……その節は、本当に、申し訳ありませんでした」 「いやいや。ゆっくり見てって」 飯島と店主のやり取りを、山本桜は不思議そうに眺めていた。 下げていた頭を元に戻した飯島は、自分を見つめる山本桜と目が合った。 「今日見せた本を買った時、別のやつらが万引きしようとして、捕まったんだよ」 山本桜は、一瞬眉をしかめて、その後励ますように頷いてみせた。 「実際の被害はなかったよ。それに、あれは君じゃない」 気にするなと、店主も声をかけてくれた。 ありがとうございますと、もう一度頭を下げて、飯島と山本は店内を見て回ることにした。 狭い店内だ。ぐるっと棚を見てまわるだけなら、すぐに終わる。山本桜は、壁面の写真集や画集を一つ一つ手に取り始めた。 その様子を見て、店主がまた立ち上がった。 今度は、奥から出て来て山本桜の側に立った。 「壁面は、本の表紙を見せたいから、在庫はあっても表に出してないものが沢山あるんだよ。画家やカメラマンで、誰か好きな人いる?在庫にあれば、出すよ」 山本桜は、覗き込んでいた画集から店主の顔に視線を向けた。 「あ、の、ロートレックが、好きです」 「ポスター?油彩?どっちも?」 「どちらかといえば、油彩が」 なるほどと首肯して、店主は何冊か画集を避けて、壁面の棚をぱかっと開いた。 平たい棚を持ち上げるようにして開くと、その中はロッカーのような本棚になっている。そこには、びっしりと大型本が並んでいた。 「ロートレックで……油彩メイン……これと、これかな」 店主は、すぐに本を二冊引き出してくれた。 一冊は、廉価版と言っていい画集で、値段も手ごろだ。もう一冊は、ハードカバーでフルカラー。紙も分厚い、本格的な画集だ。 「ごゆっくり」 その二冊を手渡して、また店主は定位置に戻った。 そこへ、飯島航が近づいてきた。 「何?」 「あ、いや」 「ロートレックの画集だよ。お客さんにセクハラなんてしないから、そんなに警戒しなくても大丈夫」 「そういうんじゃ……ないけど」 「友人の安否を気遣うのは、いい事だよ?」 店主の言葉に、安堵したように飯島航は小さく溜息をついた。 「ところで、マンガは進んでる?」 「今は、絵が描きたいんです。ストーリーは、この間一緒に来た奴と考えてたんだけど。もしかしたら、俺は絵で、あいつは小説にって分かれて作っていくことになるかも」 「それも悪くない。それに、形は変わっても、仲間がいるのは心強い。絵を、嫌になるほど沢山描くといいよ。何でも練習らしいよ?」 そんなもんかなと、飯島は曖昧にうなづいた。 実感としては、描きたいから描いてるだけで、練習という言葉のもつ「苦しさ」や「辛さ」とは、無縁な気がしたのだ。 「デッサン用の本を買ったんだから、人間を描いてるんだろ?」 「はい。人間っていうか、ヒト型かな。ベースは人で、そうじゃない部分も色々ある感じ」 「えーっと、君、名前なんだっけ?」 「飯島航です」 「じゃ、飯島くん。ヒト型って言ってたけど、だったらこういうのどう?」 店主は、また立ち上がり、壁面の別の棚をぱかっと開いた。そして、さっきと同じように一冊写真集を抜き出した。 ついてきた飯島の目の前に、振り返った店主が本を差し出す。 「参考に、なるかもよ?」 恐る恐る手にとった表紙には、真っ白のロングドレスの女性が、義足を一つ抱えて大きな籐椅子に座っていた。 「これは……?」 「色んな人達が、色んな衣装を着てる写真集。一応、コスプレかな?シチュエーション写真って感じ」 「色んな人……?」 本を手にした飯島航は、何と言っていいかわからず立ち尽くしてしまった。 すると、すぐ近くにいた山本桜は、その本に手を伸ばした。 「先に見てもいい?」 「うん。でも、山本、大丈夫かよ」 山本桜は、しっかりと頷いた。 「大丈夫って?」 不思議そうにするのは、店主の番だ。 飯島は、答えにくそうにして、山本桜をちらちら見ている。 見られている本人が、写真集の表紙をにらんだまま、店主の質問に答えた。 「私、事故で片足に麻痺があるんです。飯島君は、それを知ってるので気にしてくれたんです」 「なるほど?君は、これ、どう思う?」 山本桜は、表紙をにらんだままページを開かない。 「足が動かなくなったり、なくなったりするのは仕方がないことですが、こんな風に人目に晒す感覚は、わかりません」 「目立たたないようにって、言われて育った?」 小さく身じろいで、山本桜は顔を上げた。 「みっともないって言われてきました。それが、普通なんでしょ?」 「普通?世界が狭いなぁ。それ、早く中を見たほうがいい。考え方が変わるかもしれないよ」 「……当事者にしか、わかりません」 「俺には何もわからないと決めつけるの、ちょっと早いんじゃない?それに」 「それに?」 「まぁ、いいから早く見なよ。とにかく、色んな人がいるから。普通じゃない姿を、本気でかっこいいと思う瞬間がきっとあるよ」 言うだけ言うと、店主はさっさと定位置に戻ったが、立ち去る直前に飯島航の耳元で一言囁いた。 「ちなみに、けっこうエロいよ」 中学三年生男子は、ぎょっとするばかりで、何も言い返せなかった。  それからしばらく、二人は、本を見つめて困惑していた。 けれど、店の外はどんどん暗くなる。飯島は、思い切って山本に声をかけた。 「それ、見ないの?」 「見るよ。ちょっと待ってよ。心の準備がいるんだから」 「……」 わかるよと、飯島が小さく頷く。 大きく深呼吸をして、山本桜は本を開いた。 真っ白な中表紙と目次を開くと、まず最初にずんぐりとしたドワーフがいた。極端に背が低く、大きな頭に帽子をかぶり、つるはしを手にしてしている。耳は、お約束とでも言うようにとがっている。 ぎょろりと大きな目をした妖精には、半透明の羽がついてる。丸々と太っていて、そんな羽では飛べそうにもない。 人魚の少女の萎えた足に、びっしりと鱗が張り巡らされている。今にも、差し出された薬を受取ろうとしている。 義手義足の女騎士は馬に乗り、両腕の肘から先がない男は、その腕に大きな赤い羽を付けている。胸筋たくましいフェニックスになって、女騎士に飛び掛かる寸前だ。 片目の忍者は、盲目の座頭市と向かい合っていて、酸素ボンベにつながれた少年は、宇宙飛行士のぶかぶかのスーツを着て誇らしげだ。 そこには、普通じゃないのに堂々とした人たちがいた。何もかもが過剰に装飾的で、豪華で華やか。毒っ気も、たっぷりとふりまかれている 最後のページを閉じた時、山本桜の心臓は跳ねまわるように暴れていた。 隣にいる飯島航を伺うと、眉根をぎゅっと寄せて、何かをこらえているようだった。 「飯島くん?」 呼びかける声に、はっと意識を取り戻したのか、飯島航は表情を戻した。 「あの、これ、どうする?」 「俺、買う」 じゃあと、山本桜は本を飯島に渡した。  二人は、レジ前に立っていた。 店主は、会計を済ませて本を包んでいる。 「参考になりそう?」 「はい」 「がんばれよ」 にやりと笑って、店主は飯島に本を手渡した。 「はい、君はこっちね」 山本桜には、ロートレックの廉価版画集を包んで渡した。 「あの、一つ聞いてもいいですか?」 「何?」 「私は、間違っているんでしょうか?」 「いや。まったく気にするなってほうが無茶なのは、よくわかるよ。でもさ、仕方がないじゃない?その足も君なんだから、仲良くしていかないと辛いよ?」 「それは、そうですけど」 「君も、沢山絵を描くといいよ。足のことなんて忘れるくらい。そのうち、その足が君を助けるかもよ?案外、他人は気にしてないしね」 「気にしてない?ですか?」 「うん。現に、君と一緒にいる飯島くんは、君をみっともないなんてまったく思ってないよ?」 飯島は、突然自分に話しを振られてびっくりしてしまった。気の利いた言葉が出せないでいると、横から胡乱気な目つきで見られた。 「嘘でしょ?」 「嘘じゃない、よ。みっともないとか、そんな事思ったことなかったし。ただ、走るのは難しそうかなとか、歩くスピードとか、ちょっと気にしたくらいで」 「ほら、気にしてるじゃない」 「……いやっ、そういう事じゃなくて」 何と言えば通じるだろう。飯島は、言葉が見つからなくて冷や汗がでる。 「それって、足が不自由な人だけじゃなくて、調子崩してる人とか子どもとか重い荷物持ってる人とか、色んな人に対して思うことじゃない?」 店主が、助け船を出した。 「足が悪いからじゃなくて?」 「んー、そこを突き詰められると、難しいかな。でも『自分に何かできるかな?』って考える条件の一つって感じ?これが手だったら、どう?歩くスピードはあんまり気にしないけど、荷物を持つとか、ちょっと手を貸すことってあると思うけど。誰にだって、あるでしょ?」 山本桜は、店主と飯島の顔をかわるがわる見つめて、それから小さくつぶやいた。 「もしかして、気にしてるのは私だけでしょうか?」 「だけ、じゃないけど、思ってるよりも少ないと思うよ。現実的には、不便だろうし、不利な場面もあるだろうけどね。みっともないなんて、そんなことはない」 「本当は、不便なだけ……」 「だと思えば、気楽じゃない?」 「はい。あの……、ありがとう、ございました」 山本桜は、晴れ晴れとした顔をしていた。飯島航は、なんだか眩しいような気がした。 ☆ 「もう暗いから、気を付けて帰れよ。飯島君、彼女を送ってあげて」 二人は、店先でもう一度先崎に頭を下げて、日の暮れた街中を帰って行った。 入れ違うように、仕事帰りのサラリーマンが店内に入った。 「いらっしゃいませー」 先崎の仕事は、一番客の入る時間帯を迎えていた。今頃、穂村は中学で会議の真っ最中だろう。 仕事をしようと、先崎はレジ奥に戻った。 ☆  当然、その夜の寝物語は、二人の中学生の話題になった。 「女の子、少し楽に生きられるといいんだけど」 「飯島、でしたっけ。男のほうは、ちゃんとわかってるかなぁ」 「大丈夫そうだったよ。そもそも、気にしてるんじゃないかと気遣ってたから」 「そうですね。ところで、余計なことを言いましたね?」 ころりと体の向きを変えて、穂村が先崎の目を見つめて教師の顔をする。 「先生的には、まずかった?だってさぁ、ユキも見る?マジでエロいんだって、色んなのあって」 「そうですかねぇ?」 口調の割に、健康的な笑顔の先崎に、穂村はいささか懐疑的な相槌をうつ。 「もし、ああいう人たちと付き合うような事があったら、どんな感じかなぁ。腕の先とか、触らせてくれるかなぁ」 ふふふと小さく笑って、先崎は妙に楽し気だ。だがしかし、穂村としては、そうはいかない。 「そんな事にはなりません」 「なんだよ。ヤキモチ?ユキも可愛いとこあんな」 先崎は、嬉し気に首を伸ばして、穂村の頬にちゅっとキスをした。 「そりゃ、妬きますよ。だって……」 続きは言わずに、穂村は先崎の体を抱き寄せた。 鼻の先に唇でちゅっと触れると、先崎の唇がちゅっと穂村の顎を吸った。 「……そんな風に、サキさんが触るのは、俺だけです」 ちゅっちゅっと額や頬に唇で触れながら、穂村は囁く。 「そんな事言って……」 忍び笑いをこぼしながら、先崎は穂村の首に腕をまわす。 穂村は、そんな先崎の腰をぐっと抱き寄せる。その腕の強さに、ちょっとの不安と心配と独占欲が透けて見える。 「お前、本気で心配してんの?ずーっとお前を待ってたのに?」 「俺も、ずっと待ってましたよ?」 そう言って、穂村は先崎に深く口づけた。 さらに強く抱き寄せられて、先崎の体はすんなりと穂村の体に添う。しなる背中を、穂村の指先が何度もさすって、そのまま小さな尻を掴む。 先崎は、ぷるりと震えて膝をこすり合わせる 「なぁ、お前がエロいの?俺が変態なの?」 「どっちもですよ?」 こすりつけられた腰に硬さを感じて、先崎もぽわっと熱くなる。 「やっぱり、お前がエロい」 「サキさんは、可愛いです」 「こんなにいちゃついてて、いいのかよ、先生?」 「今は、先生じゃ、ないです……」 莫迦だなと小さくつぶやいて、先崎は、穂村の脛を足先でなぞる。 「なぁ、まだ入れないの?」 「もう少し、慣れてから」 「平気じゃね?」 「もうちょっと、です」 穂村は、尻を掴んでいた手を部屋着の中にするりと忍び込ませると、入り口あたりをやわやわと指で撫でる。 その刺激に、先崎の体はぴくりと跳ねて、穂村の体に腰を押し付けてしまう。 「じゃ、沢山触って、中も」 「はい」 耳元で、吐息交じりの穂村の声が聞こえる。 先崎の背中を、ぞわぞわと快感が駆け回り、緩んだ入り口が中指を楽々と飲み込んでいく。中ほどまで潜り込んだ指は、軽く曲げられて内壁をぐるりと押しひろげる。 「あ、ああ、んんんん、それ、きもち、い……」 気持ち良さに煽られるほどに、部屋着が邪魔で仕方がない。 先崎は、自分と穂村の部屋着の前を引き下げて、互いの熱を一緒に掴む。 そして、濡れているのは、自分だけではないと知る。それが、また新たな熱と潤みを生んで、先崎の手をべたべたに濡らしていく。 「んん、ん、ん、ゆ、き、ああああ、あ、あ、もっ……と……」 先崎は、自分の足を穂村の腰にひっかけるようにして大きく開いて、穂村の指を深く呑み込もうと揺れる。 「っくっそ、可愛いし……」 穂村は、片手で先崎の上衣をたくし上げて、小さな乳首に吸い付いた。 「っひやっ……」 先崎は、穂村との深い触れ合いに溺れている。もう、指だって苦も無く呑み込める。触られると、びくびくと体が波打つように感じる場所だってある。 あと少し、あと少しなのに。 手の中の、穂村を全部飲み込みたい。なのに、それは熱く硬くなるばかりで、押し入ってこようとしない。 今だって充分気持ちいいけれど、きっと、もっともっとこの先がある。 先崎は、穂村がその気になるのを待っている。 だからこそ、穂村の指と唇に素直に淫らに蕩けて見せるのだ。 お願い。待ってるから。

ともだちにシェアしよう!