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第9話 ないものねだり

 本屋の店長は、仕事中、店からほとんど外に出ない。当然、先崎光も日がな一日店の中だ。 昼食も、穂村の作ってくれる弁当があるので、階段の上り下りくらいしか動かない。 なので、家庭内での話題の大半は、店に来たお客とのエピソードということになる。もちろん、守秘義務はまもる。けれど、穂村に話せないようなことは、ほとんどない。もし、言い淀むようなことがあれば、意外と嫉妬深い恋人を悲しませてしまうだろう。 反対に、中学校の教師は、毎日学校に行く。 夏休みに入っても、それは変わらない。先崎にすれば、何しに行ってるんだろう?と思うけれど、あちらはあちらで言えないことも多いらしい。教師の仕事など、授業内容以外は、ほぼ全部が個人情報みたいなものだからだ。なので、先崎は詳しいことは何も知らないし聞かない。 そんな穂村にも、数日の連休が予定されていた。先崎は、店の夏休みもその日程にしてしまった。 そうやって穂村と先崎は、やっと一緒に過ごす時間がとれた。 エアコンを効かせた室内で、気に入りのソファにくっついて座れば、そこはまるで天国のようだ。 「何か、いつもとちょっと違ったんだ」 いつもの雑談のように、先崎が話始めた。穂村は、すぐ近くにあるくせ毛の頭を軽く抱き寄せて、その髪に唇を寄せた。 ☆  彼女のあだ名は、バレリーナ。いつもなら、迷いなく本を選んで帰っていく。そうでなくても、ぐるりと店内を眺め渡して、用がないなと思えば店を後にする。 無駄な贅肉の一切ついていない体形そのままに、彼女の動きには、いつも無駄がない。なのに、昨日はいつまでも本棚の間をうろうろしている。 ――― どうしたんだろうな?って、不思議に思ったんだよな。 先崎は、遠い目をしながら、言葉をつづけた。 勝手に「バレリーナ」と呼んでいる客の名は、三島花梨という。彼女は、誰かを好きになってみたいと切実に願っていた。 念願のジゼルを踊ることになったのに、失恋のショックで死んでしまうほどの恋とはどんなものか、まるでわからない。振付は全て体に入っているのに、ジゼルの感情が見えないと言われてしまった。 ――― あなたの目にも指先にも、恋が見えないのよ。 そう言われても、三島花梨にはどうしたらいいかわからない。相手役は、悲し気な目で自分を見るだけだ。 学校で、雑誌で、「あの人ステキだな、かっこいいな」と感じる。それくらいなら、三島花梨にも経験がある。でも、そんな淡いものではなくて、身を焦がすような恋とはどんなものか。そんな気持ちを、わかりたいのだ。 先崎は、そういう事ならと「舞姫」を棚から抜いて手渡してみた。 この場合、「舞姫」のエリスが適任だろう。彼女は貧しいバレエダンサーで、異国から来た博識な若者に憧れて深い恋に落ちた。 そして、裏切られて狂った上に、病で命を落とす。 手渡された本を受け取っても、バレリーナは悲し気な顔をするばかりだ。 ――― その本なら、読んでみたけどだめだったんです。エリスの気持ちが、やっぱりわからなくて。 三島花梨は、俯きがちに小さく呟いて、深く溜息をついた。 バレリーナは、技術のみを必死で追い求めてきた。正確な技、最適な体、制限された食事と毎日のレッスン。 バレエのみに集中して生きてきたと言っても、過言ではない。 だから、がんばる気持ちも、報われて嬉しい気持ちも、コンクールで負けて悔しい気持ちもわかる。 ――― でも、命がけの恋なんて。そんなもの、わかりません。 そう言って、三島花梨は足元に視線を落とした。 先崎も、かける言葉が見つからない。 恋なら、自分もその渦中にいる。でも、そういう激しさとは無縁な気がする。ただ、何より大切だという気持ちなら、想像できる。 だから、一つ提案してみた。 「それほどバレエが大事なら、いっその事、相手のダンサーをバレエそのものと思うわけにはいかないですか?」 「バレエ、そのもの?」 「そう、その相手役の人を失ったら、二度と踊れないんです。そう突然告げられたら?パニックに陥る自分が想像できそうな気がしません?……んー、やっぱり素人の意見じゃ、ダメかな?」 先崎は、何か参考になりそうなものはないかと、壁面の棚を探りはじめた。 その背中に、小さくバレリーナの独り言が聞こえた。 「相手役が、私にとってのバレエそのもの……?」 振り向くと、バレリーナは顎に手を添えて、じっと何かを考えていた。 なので、彼女はそのままに、しばらくいくつも本を出しては閉まってを、繰り返した。 「んー、何か映像のほうがいいのかなぁ。インタビューとか、ダンサーの経験がわかるようなものがあれば、ヒントになる……?」 「映像……」 バレリーナは、はっと顔を上げた。 「あ、あの!ありがとうございました。私、帰ります!」 「何か、見つかりそうですか?」 「はい!DVDです!ありがとうございました!!」 バレリーナは、今まで聞いたこともないような元気な声で礼を言うと、すぐに店を出て行った。 ☆  じっと話を聞いていた穂村は、先崎のくせ毛を優しく撫でおろした。 「きっと、灯台下暗しだったんでしょうね」 「多分な。何か掴めたなら、いいんだけどな」 「きっと、大丈夫ですよ」 「ほんとうは、服のこともちょっと言いたかったけど、そこまで口出しするのはさすがにやりすぎかなと思って、やめた」 「服装が、どうかしたんですか?」 三島花梨は、先崎の知る限り、いつも体のラインにぴったりそった服を着ていた。 ストレッチの効いたTシャツが、細く長い筋肉のついた体のラインを際立たせている。 アスリートならふさわしい服装かもしれないけれど、あまりにもさっぱりしている。女の子の服特有の、飾りや遊びがない。 「女の子ってさ、好きな男ができるとお洒落するもんじゃない?あの細い肩と長い首に、ふわっとしたブラウスが、似合うんじゃないかなって思ったんだ。それから、スカート」 こう、ひらひらーってさ。 そう言いながら、先崎は腕を広げて、スカートの裾を撫でるように指先を宙でヒラヒラと動かして見せた。 「確かに。あんまりストイックなのも、恋愛とは距離がある感じしますね」 「だろ?ちょっとだけ、ふわふわキラキラした気持ちになってみるのも悪くないと思うんだけどな。折角女の子なんだし」 「折角?」 「うん。ほんとに、無駄が一切なくて、折れそうなくらい細いんだけど、それでもやっぱりちゃんと女の子なんだよ。腰も丸くてさ。肩も柔らかそうで、それに……」 先崎の声は途中で途切れて、宙を舞っていた手が平らな胸を一撫でして、すとんと落ちた。 穂村は、先崎の頬を大きな手で包んだ。 「気になりますか?」 「俺とは、違うなぁっていうだけ。おっぱい、ねぇなーって」 「……いらない、ですよ?」 「……お前、別にもともと男がいいわけじゃないだろ?」 「お互い様じゃないですか?それに、サキさんが、いいんです」 穂村は、膨れている先崎の頬を宥めるように撫でる。 「……ユキは、ほんとに莫迦だな」 「莫迦でいいんですよ。サキさんが、俺を好きでいてくれるなら」 「ユキ……」 穂村は、先崎の寂し気な目じりにキスをして、そのまま頭をゆるやかに抱き寄せた。耳の輪郭を指で伝って首をなでおろしながら、髪に鼻を埋めた。 「サキさん、したいです」 「……やっと、その気になったか」 「待っててくれて、嬉しいです」 「待つのは得意だけど、そろそろ限界」 文句を言いたげな先崎の顎を軽く持ち上げて、穂村は深く深く口づけた。 ☆ 静かな、静かな、休日の午後。 先崎は、シャツのボタンを順番に外そうとして、指がもたつく。さらりと、スマートに、全部脱いでしまいたかったのに。 穂村が、目じりを下げてシャツの襟に手を添えた。 「やっても、いいですか?」 「ボタンくらい……」 「させてほしいんです」 そういう事ならと、先崎はボタンから手をはなして穂村から目を逸らした。 少し腰をかがめた穂村の髪が、頬をくすぐる。その間に、魔法のようにするするとボタンを外れて、シャツはさらりと取りはらわれた。 エアコンの冷気が、先崎の背中をさわっと撫でていく。 その背中に触れた、穂村の大きな手が暖かい。そのまま、分厚い胸に抱き寄せられた。先崎もゆるやかに腕を廻して、記憶を頼りに穂村の背中の痣を指先でなぞる。 「サキさん、俺も、ちょっとだけ、怖かったです」 「怖い?」 「どんなに気を付けても、傷つけちゃうんじゃないかって。酷い事をしてしまうくらいなら、今のままの方がいいんじゃないかって、迷ってました」 「それが、入れなかった理由?」 そうだと、穂村は小さく頷いた。 「でも、それはサキさんが好きだからで、サキさんの体じゃ物足りないってことじゃないんです。今日は、覚悟してください」 「お前のやりたいように、してくれ」 先崎は、穂村の腰に自分の腰を擦り付けて、首筋にキスをした。 穂村の腰にぐっと力がはいって、先崎の腹に覚えのある硬さが押し付けられる。 「な?」 唆すように、先崎が囁いた。 穂村は、先崎の体を抱え上げて、そのままベッドに押し倒した。  何度も触れ合ってきたのに、今更のように、なんだかひどく恥ずかしい。 先崎は、顔を両手で蔽ってしまった。 穂村は、髪、耳、首筋、鎖骨と唇で先崎の輪郭をたどり、下着に指をひっかける。 そのまま、ずるりと下げながら、左腿の傷跡を包むように撫でる。 引き連れた痕を、「下手くそなミシン掛け」のようだと先崎は言っていた。穂村は、複雑に入り組んだ痕を指先でなぞって、つるりとした丘も円くなでた。 その合間にも、唇で鎖骨から胸筋をたどって、乳首を探りあてる。ちゅっと吸い付いて、舌で巻き取るように嘗め回すと、すぐに硬くなる。 穂村の動きに応えるように、先崎の体はどんどん変化していった。 それが証拠に、んんと小さな声が漏れて、顔を覆っていた手は枕を逆手に握りしめている。 穂村は、舌をとがらせて乳首の先をなめながら、上目で先崎の顔を見やった。 ようやく見ることのできた恋しい男は、頬を赤くして、小さく開いた口元からあえかな吐息を漏らしていた。 その吐息と同じリズムで、骨を感じる薄い胸が上下する。 ああ、この胸に、なんの不足があるだろうか。 確かに、男の胸は平らで硬い。 でも、全体がほんのりと赤く染まった皮膚に骨と筋肉が影を作って、たとえようもなく美しい。 臍の周りをぐるりと舐めて、そのまま脇腹を肋骨にむけてなめ上げる。 ひくっひくっと先崎の腰がはねて、左腿をいじり続ける手に手を重ねて、まだ何かをこらえている。 「我慢、しないで、もっと、もっと、見せてください」 「そん、なこと、言って……んんんっあっっ……ふっん」 穂村は、傷痕に熱烈なキスをして、ローションを手にとった。 先崎の足を開いて、ローションを熱くなった中心にどぷりとかける。 とろりとした液体をまとったものを、大きくつかんで、ゆっくりと撫で上げては下ろす。たまらないと腰が揺れるのに、そうじゃないと先崎は頭を左右に振っている。 「ああ……ああ……そっち、じゃ、なくて」 先崎は、じれったいのか、片足を大きく広げてみせる 「なぁ……」 「力、抜いてくださいね」 先崎は、たっぷりとローションで指を濡らすと、わずかな動きでぬくりと中に入ってきた。 指なら、何度も試してきた。余裕をもって、出し入れしながら入り口を少しずつ広げていく。 その刺激で、先崎の中心は潤んで溢れて自らの腹を汚し続ける。 穂村が先崎の目をのぞき込むと、焦点があわないのか、濡れた目を何度も瞬いた。 「ゆっくり、息を吐いて」 言われるままに息を吐いたタイミングに合わせて、穂村が指を増やす。今までにない太さで、丹念に入り口を広げていった。 「痛く、ないですね?」 「ん……」 先崎は、もう、返事もままならない。力なく頷いて、それでも刺激が物足りないのか、腰を妖しく揺らす。 「ああ、そんなに、して……入れますから、ね?」 穂村の目は、たしかにいつも細いけれど、今はひどく色っぽく先崎を煽る。 その目が確認してくるから、先崎は腹の奥を震わせて、足をうんと大きく広げてみせた。 遠くで、可愛いというつぶやきが聞こえた。 先崎が、薄目を空けて腹のほうを見ると、穂村が真剣な顔をして何かを見てる。まるで、機械の点検でもしているかのようだ。 その間にも、先崎の腹の奥がざわざわと落ち着かないのは、なんでだろう。 何か、あるはずのものが、ないからなんじゃないのか。来るはずのものが、来ないからなんじゃないのか。 ああ、もう、もう、そんなにしないで。して、ほしいんだから。 ☆ 膝が高く押し上げられて、腰が少し浮いたと思ったら、入り口に熱い何かが押し当てられた 「ユ、キ……早く……」 「っあ、っ……っ!」 ずぷりと頭が潜り込んで、それからゆっくりと全部が押し込まれた。ぐねぐねとうねる内壁が、待ち焦がれていたものを押し包んで離さない。 「あ……や、ばいっ、です、力、ぬいて……っ」 ユキの焦った声が、妙に嬉しい。 俺の中が、気持ちいいって?本当に? 何度も、小刻みに呼吸をして、下半身の力をぬいてみた。 「あ、ああああっ、サキさんっやばいっ、ですって」 「……いい、だろ?」 あんまり待たされ過ぎたのが悔しくなって、嘯いてみた。ユキは上目で俺を見て、それからぐいと腰を押し出してきた。 「んんっんっんっふ、かっ……!」 「届いて、ますね」 「莫迦、莫迦、ユキ、の、莫迦……!あっ…もっと……!」 「……サキ、さんっ」 ユキが俺の腰を押し上げるようにするから、膝が頭の横につきそうだ。びしょびしょになった俺のアレが目と鼻の先にある。だらしなく水っ気を垂らして、びくびくと跳ねるように揺れている。 はくっはくっと息と声が吐き出されて、喉が渇いてカラカラだ。 ユキの首に腕を廻して抱き寄せて、舌を突き出してねじ込んでやった。 キスで水分補給ができるなんて、知らなかった。 揺れて揺れて揺れて。押さえきれない声が飛び出して、恥ずかしくて、気持ちいい。 いい処ばかり散々擦られて、平らな胸はどろどろに濡れて、息が苦しくて、何も考えられない。 ユキ、ユキ、ユキ……。 ☆ 荒い息をつく先崎は、穂村に包まれるようにして横向きに寝ていた。 酷使した体をいたわるように、穂村は先崎の体をゆるやかに抱き寄せて、肩に唇を押し当てる。 「ユキ……腰、はずれそう」 「痛いですか?」 「そうじゃなくて、力入んないだけ。……なぁ、お前もう一回できる?」 先崎の爆弾発言を聞いて、穂村はがばっと身を起こした。前を向く先崎の顔を覗き込んだ穂村は、細い目をいっぱいに見開いている。 「いい、んです、か?」 「こんだけ待ったのに、一回で終わりじゃ淋しいじゃん」 「じゃ、今よりもっとゆっくりします。泣いちゃうくらい」 「やっぱり、ユキがエロいんだな」 「あなたが、最高に可愛いんですよ」 穂村は、もう一度体を横たえて、今度はゆるゆるとリラックスしている先崎の中心を撫で始めた。 すぐに、先崎の口元から淡い吐息がこぼれて、睫毛が揺れ始める。 「めちゃくちゃきれいで、可愛いです」 「……いいから、中も一緒に触って」 返事の代わりに、穂村は先崎の耳をちゅっと吸い上げた。 そして、リクエストに応えるために、先崎の体をころりと転がして腰を高く持ち上げた。 されるがままに、先崎は首と肩と肘で自分の上半身を支えて、穂村の目の前に濡れた入り口をさらけ出す。 これからしてもらうことを想像して、奥も中心もひくひくと動いてしまう。ついさっき、初めて受け入れたばかりなのに。 「いっぱい触って、いっぱいしましょうね」 穂村は、慣れた入り口に指を差し入れながら、左ももの傷跡にゆっくりとキスを捧げた。

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