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せめて 抱きしめて〜転〜 3

剛さんが道路を曲がって見えなくなると、ボクは通用口を開けて、家の中に入った。 キッチンを抜けて廊下に出る。 その時、玄関の方から鍵を開ける音がした。 ガチャンと音がして、鍵が開く。 扉が軋んだ音を立てて開かれた。 ここ数ヶ月姿を見せなかった父が、そこには立っていた。 何だ・・・生きてたんだ・・。 最初に思ったのはそんなことだった。 薄情かもしれないけど、それが素直な感想なんだから仕方ない。 父は真夏だというのに、オーダーメイドのグレーのスーツを着て、白いシャツに深い青のネクタイをしている。 白髪が交じった髪を、後ろに撫で付けてオールバックにしている。 露になっている額にすら、汗が見えない。 イケメンというほどではないが、そこそこ顔は良いほうだ。 母にそっくりなボクとは似ても似つかない、精悍(せいかん)な男の顔だ。 母とは一回り年が離れているので、普通のおっさんだ。 それでも、経営者特有の鋭い眼光と頭の回転の速さは、他人を圧倒する。 父はいつものように不機嫌そうに眉根を寄せて、ボクを見ている。 何か言いたいことがあるんだろうけど、言わないでずっと不機嫌なのがこの人の癖だ。 ボクは父とは本当に何を話したらいいのかわからないから、二人になりたくない。 それでも今は二人きりなので、何か言わないと・・・。 頭を悩ませていると、不意に父が不機嫌のまま口を開いた。 「あの男は何だ?」 「え?」 あの男って・・・剛さんのこと? 久しぶりに会う息子に、『元気か?』とかそういうことは一切言わないのが、この人らしいとも思った。 父はきょとんとしているボクに、更にむっとしたようで、声に苛々をにじませて言った。 「さっき家の前でキスしてただろう?」 「・・・っ!」 見られていた! よりによって一番知られたくない人に、見られた! ボクは血の気が引くのを感じた。 父から視線をそらして、俯(うつむ)いてしまう。 「友達か?・・・恋人とか言うなよ」 父の声に剣呑(けんのん)さが増した。 怒っていることはわかるけど、ボクのことを気にすることがわからない。 ずっと放ったらかしにしてたくせに・・・何で・・・。 「・・・恋人だって言ったら、なんなんですか?」 緊張でカラカラに乾いた口を動かして、絞り出すように言った。 声がいつもよりも出にくくて、低く響いた。 冷房も入っていない、換気もしてない家のどんと重い、暑い蒸した空気が、肌にはりつく。 「気持ち悪い」 父の全く感情のこもっていない、淡々とした声。 反射的にボクは父を睨(にら)んでいた。 父は口元に嘲笑を浮かべると、更に眉根を寄せて、眼光を鋭くする。 「男同士に恋愛感情なんかない。お前は甘えさせてくれる人が欲しいだけだ」 ボクは拳を握りしめた。 爪が掌(てのひら)に食い込んで痛い。 「キスくらいなら遊びってことで納得してやる。それ以上は気持ち悪い」 横柄(おうへい)に言う父をボクは凝視(ぎょうし)する。

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