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せめて 抱きしめて〜結〜 10

万が一、ドアが開いて人が出てきても顔が見えないように、ボクは俯いて廊下を歩き、顔を上げなかった。 一番端の自分の部屋のほうをチラッと見た時、思わず足を止めていた。 あと数mでたどり着くのに、その数mを進むことが出来なかった。 ドアの前に人がいた。 大柄で筋肉質な体格をしている男の人だった。 髪も男らしく今時角刈りにしている。 身長が高くて、165cmあるボクの頭が肩まで届くかどうかだ。 広い背中がとても頼もしいことを知っている。 厚い胸板がとても温かいことを知っている。 太い腕がボクをすっぽり包めることを知っている。 誰よりも優しくて、暖かい人だと知っている。 どうして・・・? どうしてこんなところにいるの? 何で? 硬直して動けなかった。 今、目の前にある光景が、信じられなかった。 その人は気配を感じたのか、不意に後ろを向いて、真っ直ぐにボクを見た。 「・・・千都星」 ほっとしたように、嬉しそうに笑った。 低くて耳に心地好い声。 決してイケメンではないが、男らしい精悍(せいかん)な顔つきをしている。 ボクの、大好きな人だった。 「どうして・・・何で・・・」 そんな言葉しか出て来なかった。 頭が全然動かない。 体も全然動かない。 硬直したままバカみたいに突っ立っているボクに、剛さんがゆっくりと近づいて来る。 まるで猫が驚いて逃げないように近づく人みたいだった。 剛さんがこっちを向いたのでわかったのは、見慣れないスーツを着て、大きな花束を持っていること。 深紅の薔薇を中心にかすみ草や小さな薄いピンクの花が混じった、両手で抱えないと持てない花束。 そんなものを剛さんが持っているのなんて、初めて見た。 剛さんがボクの目の前に立つ。 地上12階にいるので、ビル風が吹いて髪を、頬を嬲(なぶ)る。 「千都星・・・逢えて良かった」 「あ・・・う・・・」 言葉が出て来ない。 感情は心の中で渦巻いていて、うるさいくらい頭の中で叫んでいるのに。 口唇が喉が、全然動かなかった。 剛さんはいきなり花束をボクに差し出す。 そして膝を曲げて立て膝で座った。 頭を下げて花束を更にボクに差し出しながら、剛さんが大きな声で言った。 「・・・オレと結婚して下さい!」 「はあ?」 ボクは思わず素っ頓狂(とんきょう)な声を上げていた。

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