5 / 37

第5話

その頃――宙港に連れて来られたノアは、電話で何か話している眼鏡の男の傍らで、目を丸くして辺りを見つめていた。 夜の街の暗い裏通りしか知らなかったノアには、こんなに大勢の人を一辺に見るのは初めての経験だった。 宙港は広くて明るく、賑やかで、何もかもが珍しい。キオと突然引き離されたショックもしばし忘れるほどだった。 足取り早く行き来する人々の姿を見続けて、目が回りそうになっていたノアを、男が促した。 「お前は33便だ。急げ」 言い終わると同時に歩き出した男の背を、ノアは慌てて追った――バイオペットに、逃げ出すという認識は無い。人工物である彼らは、飼い主に従うことしか知らない。しかし、例え逃げる知恵があったとしても、彼らの特徴のある姿では自力で生きていくのは不可能だ。 男は宙港のロビーを横切り、出発ゲートへと向かう。ゲートを出たその先は広々とした発着所で、そこに巨大な宇宙船の姿があった。 空を飛び去っていく連絡船は、ノアも普段よく見かけていた。だが近くで見ると――信じられないほど大きい。どこかしら生物を思わせる真っ黒な流線型の船体に、沢山の窓が並んでいる。あれが一つ一つ船室なのだろうか? 船に気を取られていたノアがふと我に返ると、積荷らしいコンテナの間に、自分と同じ種類のバイオペット達が幾人か集まってかたまっている。男は彼らの所にノアを連れて行った。 「補充分だ。ルールを教えてやれ」 中の一人が頷いた。それを確認した男は、来た方向へ足早に戻って行ってしまった。ノアが戸惑っていると、さっき頷いたネコが声をかけてきた。 「名前、なんての?」 「――ノア」 「ふうん。俺、カスパ。何やらかしたの?」 「何も――」 顔を引きつらせて答えたノアを、カスパは愉快そうに見た。 「そんな事ないだろ。こんな最低の職場に送られてくるのなんて、手癖の悪い奴らばっかりなんだから。あのな、ココで生き延びるコツ、教えてやろうか」 「コツ?」 カスパが頷いて続ける。 「船に乗ったらすぐ、うまいこと(こび)売って気前のいい客捕まえておくんだよ。星間連絡船の旅は期間が長いから、後半になると大概の人間はイライラしてきて行動が乱暴になる。そういう相手に指名されると酷い目に遭うからな、初めに確保した客にできるだけ気に入られて続けて買ってもらえるようにしとくんだ。情が移ってりゃそうそうキツイ事はされないから」 カスパが言うのを聞いてノアは恐ろしくなった――街頭仕事での固定客すらいつまでたっても確保することができなかった自分が、早めに気に入られるなんてどうしたらいいのか。だができなければ――?あの恐ろしい客に痛めつけられた時のことを思い出しそうになって、ノアは必死でその記憶を頭の隅へと追いやった。とんでもない所に連れて来られてしまった――泣き出したかったが、泣いても何も変わらない―― その時、周りにいるバイオペット達がざわめいた。上を見上げる彼らの視線の先には、宙港の建物から船内へと伸びるブリッジが差し渡されている。そこを、純白のコートを纏った美しい姿のネコが渡っていた。 長い毛並みが銀白色に輝いている。飼い主らしい身なりの良い紳士にエスコートされながら歩く彼は、驚いたことに後ろに荷物を持った人間を従えていた。 あんな綺麗なネコは見たことが無い――あっけにとられながらノアはカスパに尋ねた。 「あの――ネコも――連絡船付きなの?」 「まさか」 カスパが答える。 「あれは銀嶺。毎年この時期に品評会があるんだよ。それに出場しに行くんだ」 「ヒンピョウ会って……?」 「色んな星から、綺麗なネコが集まるんだって。俺達安物には関係ないことだよ」 そうか、関係ないんだ――よくわからないながらノアは思った。多分ああいうネコが、噂に聞くショクニンが作ったコウキュウヒンというものなんだろう。 「同じ船に乗るなら――中でまた会えるかな」 ノアは呟いた。あの綺麗な姿を近くでもう一度見てみたい。 「無理じゃない?」 カスパがあっさりと言う。 「銀嶺は飼い主と一等船室に乗るから。俺達は貨物と一緒の階――あ、そうだ、船のルール……俺ら夕食が配給され終わるまで公共のスペースには出入り禁止な。耳付きがうろうろしてると、家族連れから苦情が来るんだってさ。まあその時間は寝てることが多いから、あんまり関係ないけど」 そうだった、ノアは気づいて身震いした。これから、この船の中で働かなければならないのだ。身体がきかなくなる時まで――。 巨大な船が眼前に覆い被さる――ノアはその姿に今にも押し潰されそうな気持ちになって、コンテナと一緒に乗船を始めた仲間達の後に続いた。

ともだちにシェアしよう!