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第10話
服も着ず、痣と擦り傷だらけの姿で部屋に入ったノアを見て、カスパは驚いた顔をした。だがこういうことに慣れているのか、すぐに部屋の隅から救急箱を取ってきて手当てをしてくれる。他の、部屋にいた仲間も手伝ってくれた。
事情を聞いたカスパは呆れたようにノアに言う。
「バカだなあ……四等でうっかり客取ったりしちゃダメだよ……ガラの悪いのが多いんだから」
「でも……三等のほうに行こうとしたら、警備の人に止められて……」
言い訳するノアの顔を、カスパはじっと見つめた。
「お前、何にもやらかしてないって言ってたの、ホントみたいだなあ……」
「え?」
「あんまり世間知らずだからさ……警備のヤツなんか、小銭渡せばすぐ通してくれんだよ」
ノアはため息をついた。
「そうだったのか……でも、お金ない」
「そしたら、ちょっと身体触らせてやるって言えばいいんだ。あいつスケベだから、すぐのってくるぜ」
「そうなの……?」
「うん。でも最後までやらせちゃダメだぞ。その場合は料金発生するって言わないと」
粗末な寝台に身体を横たえ、ノアは天井を見つめた。今日も一銭も稼げず、食べたものは無料で配られた薄いスープだけで、相変わらず空腹なままだ。こんなじゃ、いつまで身体がもつかわからない……芯から心細くなって、ノアは涙が滲む目を閉じた。
仕事時間が来た――憂鬱な気分でノアは起き上がり、一番最後に部屋を出た。階段を上がり、四等船室のドアが並ぶ廊下を音を立てないようこっそりと走り抜けた――昨日の客に見つかりたくない。
三等船室へ続くデッキまで来ると、昨日ノアを追い返した警備員が同じように立っていた。怯えながら近づくと、彼は冷たく
「ここは通れないぞ」
と言った。
「わかって……ます。でも、あのう……」
困って言ったノアに向かい警備員は身体をかがめ、
「……持ってるのか?」
と囁いた。小銭のことだ、とわかったが、ノアは仕方なく首を横に振った。
「持ってないです。でも……」
なんと言ったものか迷っているノアに、警備員は顎をしゃくった。
「通りたいなら、こっちに来い」
ついて行ったノアを警備員は通路の陰の暗がりに連れ込んだ。
「新入りか?」
尋ねながら、ノアのシャツを捲り上げ、手を突っ込んで肌を探る。
「はい……」
ノアは身体を硬くして頷いた。
「ふうん……」
片耳の先を軽く噛まれ、ノアは思わず目を閉じた。
こわばったままのノアの身体を、警備員はしつこく撫で回した。やがてノアの上半身を壁にぐっと押さえ付ける。足を開かされて尾を持ち上げられ、後ろからそのまま挿れられそうになって、慌ててノアは叫ぼうとしたのだが、小さな声しか出せなかった。
「やめて下さ……い、挿れるなら、お金……!」
腕から抜け出そうともがくノアの抵抗をあっさり封じ、警備員は彼を犯した。
ようやく身体を離され、青褪めた顔で振り返ったノアを見ながら警備員は愉快そうに言った。
「お前……面白いな、ネコのくせに素人みたいで。顔覚えといてやるよ。売れ残ったら俺のとこへ来な」
それが自分を買ってくれるという意味なのか、それとも今のようにただで抱かせろということなのか、判断がつかないままノアは急ぎ服を整えると、暗がりから走り出た。
三等船室の廊下へ入る――四等とは違い壁が白く塗装されているため、ノアにはそこがひどく明るく感じられた。気後れしながら歩いていると、いきなり前方に大きく宇宙空間が広がって、ノアはびっくりして立ち止まった。どうやらそこは展望コーナーらしい。壁一面と床の一部に透明の素材が使われている。
ノアは恐る恐る近づいて、透明の床の上に立ってみた。足元を見下ろすと、自分が宇宙に浮かんでいるようだ。
一瞬、怖いことを全て忘れ、そのダイナミックな眺めに夢中になった。足の下に……星がこんなにたくさん。綺麗だなあ。キオにも見せてやりたい。キオ、どうしているだろう。仕事は上手く行ってるだろうか――
――仕事!そうだ、こんなことしてないで早く買ってくれる相手を探さないと――また食べ物にありつけない。
名残惜しく思いながら、展望コーナーを離れようと向きを変えたノアの前に誰かが立った。見上げるとそれは、昨日助けてくれたあの優しい兵士だった。
「よお、ノア。面白いなあ、ここ」
兵士が辺りを見回して言う。
「やれやれ……四等とはえらい違いだ。あそこ実際は四じゃなくて九か十の間違いじゃないのかな、この差は。安いから仕方ねえけど」
「あのう、ええと……」
口に出してノアは気づいた。そうだ、名前を聞いていない。
「兵隊さん……名前、なんていうんですか?」
彼は穏やかな目つきでノアを見下ろした。
「名前っつーと……個体認識名?」
こたいにんしきめい、の意味はわからなかったがノアは頷いた。
「俺、天城」
「アマギさん……」
呟いたノアに天城は微笑んで片手を差し伸べた。
「そう。よろしく、ノアさん」
彼の人懐こい笑顔にノアも思わず笑顔になり、手を握り返したが、あらためてその逞しさに目を丸くした。なんて――強そうなんだろう。
「天城さん、お散歩ですか?」
「あ?いや。ノアが歩いてんのが見えたからさ……追っかけて来たんだ」
「えっ?」
胸がどきりとした。
「いやいやごめん……怖がんないで」
「怖がってないです!」
慌てて言ったノアの目の前に、天城は小脇に抱えていた茶色い紙に包まれた箱を差し出した。
「これ、渡そうと思っただけなんだ」
なんだろう?受け取ってみるとずっしりと重い。
「軍から支給される携帯食なんだけど……良かったら食って」
なぜ自分がお腹をすかせているのがわかったんだろう?びっくりして何も言えずにいるノアに、天城は言い訳するように続ける。
「いやその……昨日抱えた時さ、あんまり体重が軽かったから……心配で。それ、一本だけでもかなりカロリーとれるようにできてるんだ。腹持ちもいいし」
その時――ふいに二人の脇から声がした。
「もし――失礼は承知なんですが……あなた、できればただ施すのではなく……その子を買ってやっては頂けないでしょうか?」
二人が視線を移した先には、銀白色に輝く毛並みを持つ美しいネコの姿があった――銀嶺だった。
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