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第16話
船の中での経験と、時々会える銀嶺が語ってくれる事柄から、ノアは色々なことを学んだ。
銀嶺は言った。
「私達ヒトに奉仕するためのペットは、爪も牙も与えられていないけれど、それでも身を守ることができるんだよ」
と。
身体も大きくなく、ヒトより力も弱く作られている自分達がどうやって身を守れると言うのだろう?信じられない思いでそれを聞いたノアに、銀嶺は続けて、ネコたちが持つ武器の使い方を教えてくれた――
毎日決まったバーで客引きするうち、ノアにも、少ないが常連と呼べるお客ができ始めていた。バーテンダーにチップを渡しておくと、どの客が気前いいかこっそり教えてもらえる、ということも覚えた。ノアも不器用なりにこの船の中での仕事に順応しつつあったのだった。
その晩なじみになった客と連れ立ってバーを出ようとしたとき、二人の前に、以前ノアを怯えさせたあの男が立ち塞がった。
「よお、クロネコ――四等 で見ねえと思ったら、こんなとこで商売してやがったのか」
言いながら、男はノアの客に睨みを利かせ、追い払ってしまった。
「今日は逃がさねえぞ――最後まできっちり相手させるからな」
男はノアの肩を掴んで言う。ノアにとっては恐ろしい力で、肩に食い込む男の指にその部分がねじ切られてしまいそうに感じた。怖さと痛みで血の気が引き、気が遠くなりかけたのを必死に耐えた。航路はまだ長い――この男が乗船している間、ずっと逃げ隠れしていたらまともに仕事ができなくなってしまう。決着をつけておくしかない、ノアは覚悟した。
男はノアの肩を掴んだまま歩き始めた。
「この船のネコ連中、どういう訳か俺を避けやがる。お前が余計なこと言いふらしてまわってるんだろ?」
言いふらしなどしなくとも、ノアがあの時この男に傷つけられて逃げ帰ったことは仲間内に知れ渡っている。支払いの悪い客や残忍な客、ネコたちは皆そういった情報には敏感なのだった。
「おかげでコレに乗ってる間、アッチの方はずうっとお預け状態なんだ。今夜はその分、たっぷり可愛がってやるからな――」
男は低い声でそう言ってノアを脅した。
部屋に入ると男はノアを乱暴にベッドへ放った。怯えて後退 るノアを捕まえ、引き千切るように服を脱がせる。抵抗もしていないのにまるで強姦するようなやり方で、男はノアの腕を捻りあげ、うつ伏せに押さえつけた。
あいている方の手でノアの下腹部を無茶苦茶に揉みしだく。前回よりずっと乱暴で、あまりの痛みに涙がこぼれてくる。ノアが啜り泣いているのに気がつくと、男は満足げな表情になり、敏感な尾の付け根をぐっと握って引き、ノアに悲鳴をあげさせた。さらに尻を割り、その奥の蕾に強引に指を捩じ込む。
息を切らせながらノアは男の行為に耐えた。好きにいたぶってやや気が済んだのか、やがて男は捻って折り曲げていたノアの腕を放した。放されてもそこにはまだ、きしむような痛みが残っていたが、それをこらえ、ノアは仰向けに姿勢を変えて男に両腕を差し延べた。
「――なんだ?まさか、来いってのかよ?あんまり怖くておかしくなったか?」
男は薄笑いを浮かべながらノアに被さってくる。本当は恐ろしくて押しのけたいその顔を、必死な思いをしながら震える両手で挟み捉え、近くに引き寄せて接吻した。唇を重ね、目を閉じた拍子に、溜まっていた涙が零れて頬を滑り落ちた。
ノアはカスパとキスした時の経験で、ネコの唇がヒトのそれよりも滑らかで柔らかく、舌は薄めでしなやかにできているということに気がついていた。そしてその感触が、ヒトに快楽を与えるらしいということも。
ノアに口付けられて男は、喉の奥で、ん、という音を発し、夢中になった風にノアの口の中に舌を差し入れてきた――ノアもそれを自分の舌で絡め取り、応えてやる――接吻を繰り返すうち、ノアは強張っていた男の身体から力が抜けてきたのを感じた。
まだ舌を絡めようとする男の口からそっと顔を離し、ノアは彼の頭を抱えて自身の喉元 へ押し付けた。そうしておいてゆっくりと喉を鳴らす――動物の猫がするように、ネコ達もあの低い振動音を立てる。リラックスした時自然に出るものだが、練習すればコントロール次第でいつでも出せるのだと銀嶺が教えてくれた――そして大概のヒトはその音を好む、と言うことも。ノアが立てる音はさほど大きくないが、これだけ近い距離ならば充分に聞こえる。ノアはじっと男の頭を抱き、その音を聞かせ続けた。
男はいつの間にか、ノアの胸に身体を預けるような様子になっていた。乱暴だった腕からはすっかり力が抜け、無防備に脇に投げ出している。
「おい――」
やがて男がノアの胸に顔を押し付けたまま声を出した。
「おい、いい加減にしろ。眠っちまう」
「寝てもいいですよ」
「何言ってやがる、冗談じゃねえよ……まだ挿れてもいないってのに……」
男は言ったが、その声音に怒りは含まれていなかった。
腕を解いて、ノアは男を放してやった。
「お前――」
男が呟く。
「お前、この間と随分感じが違うな」
「感じ……ですか?」
「ああ……それに……」
男は半身を起こし、片手の指先でノアの黒髪を梳いた。
「毛並みに……随分ツヤがある――」
「知り合いのネコから高いブラシもらったので、それ使ってるんです……僕らの毛には合成の物より、天然の動物毛のブラシがいいんだって……」
「へえ……天然ねえ。確かに効くみたいだな、柔らかくて手触りが良いや……」
髪を触っていた男はふとその手を止め、間近でじっとノアの顔を見た。
「お前の目、緑色だったんだな。今まで暗くて気づかなかった」
「平凡なんです――青とかだったら……量産型にはあまりいないから売りにできて良かったんだけど」
ノアはキオのブルーの瞳を思い出しながら呟いた。
「緑だって――悪くないよ」
そう言った男の目を見つめ返しながら、ノアは彼に抱かれたのだが、驚いたことに男はノアに主導権をとらせ――ノアの頼む通りにその身体を使ってくれた――
隣で天井を見上げて横たわっている男が呟いた。
「俺、前の星で仕事しくじってさ……これから行く星に飛ばされたんだ。そこ、最悪の職場らしい上に、よっぽど運が良くなきゃ出られねえ。棺桶送りってわけだ……」
「カンオケ?」
「死んだヤツを入れる箱だよ。見たことないか?」
「ないです……僕ら、弱ればすぐ、処理場行きのトラックへ乗せられるから」
「ああ、そうか……そうだったな……」
男はため息混じりに言った。
「結構悲惨だよな、お前らも」
「ヒサンです」
ヒサンの意味は知らなかったが、恐らく悲しいことなのだろうと予想してノアは頷いた。
「僕も多分、カンオケ送りなんじゃないかな……」
「お前も?どうして?」
「僕も街の置屋からこの船に飛ばされてきたんです。稼ぎが悪かったから」
「そういう事情か……まったくそいつぁ……俺とおんなじだ……」
男はどこか寂しげに、乾いた小さな声をあげて笑った。
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