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第19話
「ネコってのは……柔らかいもんなんだなあ……」
狭苦しい船室で、装備の手入れをしていた天城はふと呟いた。ここは四等船室の中でも一番安い相部屋で、本当は二人用のところに無理やり簡易寝台を入れてもらって三人で使い、さらに船賃を節約している。
「ああ?猫ォ?」
隣で同じく装備品を点検していた相模が答えた。
「猫なんかどこにいた?ネズミ退治用か?」
「班長の言うのは、動物じゃなくてネコ遊び用のネコのことだ……」
仕事道具の、小型PCのモニターを見つめたまま音羽が答える。彼は通信兵で情報のやりとりや分析を担当しているため、本隊から離れている今でも働いていた。と言うより、やや仕事中毒気味なところがあって、常にデータをいじっていないと落ち着かない性分らしいのだった。
「ああ、そっちのネコか」
相模は興味なさげに言う。
「そりゃ柔らかいだろう。食用なんだから硬くちゃ困る」
「ふあ!?」
天城は間の抜けた声を発した。
「食用!?ウソだろ!?」
「ウソじゃねえよ……知らねえの?ほんとは家畜飼料用で美味くはないらしいけど、場合によっちゃ人間が食うんだよ」
ショックを受けて、天城は手入れしていた装備を放り出し、音羽に訊ねた。
「ちょっと!本当?今の……」
「本当だ」
音羽があっさり答える。
「宇宙船に積んであるネコは、普段は乗客の性的欲求の解消に使われるが、非常時には潰して食用にする。肉の量は大したことはないが、骨も細く作られてるからうまく処理すれば食べられるそうだ」
「非常食……」
天城は呟いた。腕の中で自分を見上げていたノアの顔が頭に浮かぶ。
「あの可愛いのを?骨まで食っちまうって?信じられねえ……そんな可哀想な……」
よろよろと簡易寝台に腰を下ろすと、頑丈とは言えない寝台がきしんで大きな音を立てた。相模がその天城を振り返って呆れた顔をする。
「また出たよ……班長のソレ」
相模たち通常歩兵は、天城の言う可愛いとか可哀想だとかが理解できない。戦地で破損した人造兵は、再利用できる部分だけが回収されあとはその場に置き去られるのが決まりだ。その環境で保護欲や同情心などがあっては仕事にならないため、兵達はその種の概念を与えられていない――天城はやはり、彼らの中では変わり者なのだ。
「そこまでうろたえる必要は無い。一般人が利用する通常の航路で非常時なんてそうそう起こらないから」
音羽が相変わらずモニターを見つめたまま言った。
そんなことがあってから暫くして――天城は四等のコインランドリーでノアと出くわした。並べられた衣類用浄化装置の上に、ノアはちょこんと腰掛けて熱心になにかの本を読んでいた。
大柄な天城にとって、ノアの姿は本当に小さく、弱々しく見える。非常時には骨まで食べられてしまうなどと聞いたせいだろうか――ノアのぴょんと立った耳や、両足の脇におとなしく垂らしている細い尾までが、天城の目にはひどくいじらしく切なく映り――たまらない気持ちにさせられた。
それは人間にとっては、愛おしいという感情なのだが、人造兵の天城にはそういった類の感覚に対する知識が与えられていない。理解できないその想いは、天城の胸の奥に外傷とは違う鈍い痛みとなって留まった。
「よお……ノア……」
驚かさないよう小さく声をかけた。ノアが顔を上げる。相手が天城とわかると、彼は笑顔になった。
「こんにちは――天城さん、洗濯?僕、やっといてあげるよ」
天城が手にしていた洗濯籠に目をやり、ノアは装置からトンと飛び降りた。
「いや、大丈夫、ヒマだから。ノア、こんなとこで何読んでるんだ?」
「これ?ええと、魔法使いが出てくる話。おもしろいんだよ」
ノアは綺麗に装丁された、重たげな本の表紙を天城に見せた。
「へえ?随分ぶ厚いな。本、好きなのか?」
「う~ん……よくわかんないけど……言葉を覚えたいって銀嶺に相談したら、これ、貸してくれた」
「言葉を?」
天城は不思議に思った。
「だってノア、言葉わかってるじゃないの」
ノアが微笑んで答える。
「でもまだ、聞いたことない言葉がいっぱいあって……。銀嶺が言ってたけど、知ってる言葉を増やすには本を読むのがいいんだって。お客さんと話してる時、意味がわかんなくていちいち訊き返すのが申し訳ないから……」
「そっか……」
天城の胸がまた痛んだ。こんな風に、ノアは自分を買う人間たちに気を遣っていると言うのに――その相手は――非常時にはこいつを骨まで食べちまう気でいる。そんなのって――
突然眩暈を感じて天城は片手で顔を覆った。息苦しくなり呼吸が荒くなる――ふらついた天城は籠を取り落とし、洗濯装置に手をついて身体を支えた。
ノアがびっくりして天城に駆け寄った。
「天城さん!?どうしたの!?」
「いや――わかんねえ……なんだろ?でも……大丈夫」
深呼吸して天城は言った。
「ちょっとふらついただけ。平気だよ」
「ほんと……?」
ノアはまだ心配そうな表情で、天城が落とした洗濯物を拾うのを手伝った。
一緒に衣類を浄化装置に入れてくれているノアを見下ろしながら、天城は聞いた。
「そうだノア――なんで部屋じゃなくこんなとこで読んでるんだ?暗いだろうに」
コインランドリーには小さなランプが一つしか取り付けられていない。
「部屋は今の時間、仲間がみんな寝てるから暗くしてないと駄目なんだ……でもここ、あったかいんだよ」
ノアが答える。
「食堂か娯楽室は?あっちだってあったかいし、もっと明るいよ?本読むのにはその方がいいんじゃねえの?」
天城が言うと、ノアは恥ずかしそうな顔になった。
「僕ら、夕食の配給が終わるまでは公共スペースに出ちゃいけないことになってるんだ。ほんとはここもダメなんだけど、四等のランドリーはあんまり人が来ないから……ちょっとだったらいいかなって思って」
「そうだったのか……」
天城は呟いた。
「じゃあ俺たちの部屋来いよ。ここよりは大分明るいぜ……狭いけど」
「えっ……でも、いいの?」
「ああ」
天城は頷くと、片手に籠を下げ、もう片方の手でノアの手を引いてランドリーを出た。
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