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第30話

気がついた時ノアはふかふかの寝台に寝かされていた。 目を開けても周囲がぼんやりとしている――横たわったままゆっくり瞬きしていると、天城の声がした。そちらに顔を向けたが、もやっとした人影しか見えない。天城の名を呼ぼうとした途端息が詰まって咳き込んだ。 「ノア!大丈夫か?喉をやられてるんだ、まだしゃべっちゃ駄目だ」 人影が言う。天城さん――目がちゃんと、見えないんだ。天城さんの顔が見たいのに、見ることが出来ない。声も出せない――不安になってきて涙がこみ上げた。視界がますますぼやける。 「ノア――ノア、泣くな。大丈夫だから。きっとすぐに良くなるから」 天城はそう言って、力強い腕でノアの頭を抱えるようにしてくれた。右腕が痛くて上手く動かせず、ノアは天城の腕に左手だけでしがみついた――手の平にもガーゼかなにかが巻かれているようだ。怪我をしたんだっけ――?よく覚えていない。仕方なくノアはわずかに出ている指先で天城の肌に触れ、感触を確かめた。 ノアがいるのは二等にある医務室だった。 今回事態が好転したのはノアの働きが大きいということで、三、四等の乗客たちが船長に交渉し、そこでノアが療養できるようにしてくれたのだという。 「世話は俺がするし、だからノアは、何も心配しないで早く身体治そうな」 天城は優しくそう言った。 ノアが意識を失っていた間、何があったのか天城は聞かせてくれた。 船長が説得を聞き入れ、疫病発生が本当かどうか調査し直したのだそうだ。そしてやはり、音羽の予測通り警報は間違いだったということが判った。挙動がおかしくなっていたメインコンピューターは完全にとめられ、手動操舵に切り替えられた。 船は現在地から一番近くの宙港に緊急入港するらしい。二等と三等の間の隔壁は開かれ、倉庫に閉じ込められていたネコ達も無事解放された。 「近くの星に着くまでは十日間ほどだそうだ。食料も間に合うから、配給も一応、元に戻ったよ。だがなあ……三、四等の乗客は、一回見捨てられそうになっただろう……だから船長は信用できないと言って、みんな早く降りたがってる……」 天城はそう語った。 ノアは再び悲しくなった。十日間……十日たったら、天城さんと別れなければならないんだ……。 せめて目がすぐ治るといい。離れ離れになる前に、もう一度、彼の顔をしっかりと見ておきたい……。 それからずっと、天城はノアの側から片時も離れないでいてくれた。 彼の献身的な介護のお陰なのか、天城の顔が見たいという思いが通じたのか――ノアは徐々に視力を取り戻した。ぼんやりとしていた彼の顔も、すぐ近くに来てくれればなんとか見える。まだ咳込んでしまうため話すことはできないが、天城が気を配って言いたいことを素早く読み取ってくれるので、ノアにはそれがとても嬉しかった。 医務室には兵達をはじめ、カスパや仲間、なじみになっていたお客なども代わる代わる見舞いに来てくれた。 カスパはノアに、倉庫に閉じ込められていた間銀嶺が慰めてくれたことを興奮気味に話して聞かせた。 「お金持ちのペットだし、あんな綺麗だから絶対気取ってるだろうと思ってたけどぜんぜんそんな事なくて……すごく優しいからびっくりしたよ。ノアの言ってた通りだった」 ノアは微笑み、カスパに向かって何度も頷いた。 その銀嶺も、ノアのところに度々様子を見に来てくれる。ノアが読みかけだった本を持ってきて、続きを読んで聞かせてくれた。 ある日、その物語を最後まで読み終わったとき、銀嶺は閉じた本を膝の上に置き、小さくため息をついた。 普段と違う銀嶺の様子をノアは疑問に感じた。天城が敏感にそのノアに気づき、代弁してくれる。 「どうかしたか?調子悪い?」 「え?いえ……」 銀嶺は笑った。 「すみません、ちょっと考え事――」 銀嶺はそこで言葉を切ったが、やがて口を開いた。 「これ、ここだけの話にしておいてくれますか?」 「あ?ああ」 天城が不思議そうな表情で答える。 「今回の疫病騒ぎの時、私も他のネコたちと一緒に船倉へ閉じ込められたんですが――その理由はご存知ですよね」 天城とノアは頷いた。 「その時私を連れに来たのは、私の主人ではなく、船の警備員でした。疫病が本当だったら、あれを最後に主人とはもう会えなかったでしょう。なのに、彼は姿を見せなかった」 「それは――辛かったからじゃないの?」 天城が言った。銀嶺が微笑む。 「そうかもしれません。そうであって欲しいです……。主人を責めるつもりは無いんです。彼は社会的地位の高い人で責任も大きく、突然死んでしまったら困る人も多い。一等の他の乗客もそうです。政府関係者もいるし、生き延びるための非常手段としてあの処置は仕方が無かった――」 「ああ。だけどなあ……決める前に、もうちょっとちゃんと確認してくれたら良かったよな」 天城は言って、肩を竦めながらノアを見た。 銀嶺が続ける。 「食用にされることは別にかまいません――それで主人が助かるのならいいんです。彼は街娼だった私を引き上げて大切に飼育してくれた、私にとっては特別な人です。でも私のその思いは、主人には伝わっていなかった。主人にとって私は……自分が飢えれば殺して食べ……そうでなければ着飾らせて品評会に出すためだけの――ただの材料――」 銀嶺はため息をついて小さく笑った。 「すみません、こんな話――当たり前のことですよね。立場はわきまえていたつもりなんですけど、いつの間にかそうでもなくなっていたのだと気づいて――自分はもう少し……主人にとって重要なのじゃないかと勘違いしていた。ただのバイオペットが……馬鹿馬鹿しい事です」 馬鹿馬鹿しくなんか無い、とノアは思った。 「馬鹿馬鹿しいってこた無いと思うよ?」 天城が遠慮がちに言ったので、ノアは彼の方を見た。 「よくわかんないけど――ええと、上官はさ、俺らがメダルや報奨金だけが目当てで働いてると考えてるけど――実際には、それだけってこともないんだ。じゃあ何が目当てなんだって聞かれても俺にゃ説明できないし、正直メダルや報奨金ナシじゃやる気も出ねえから上官の言うのが正しいんだろうけど……でもなんか、それで片付けられちまうのはつまらない気がするんだよね。アンタの言うのはそういうことだろ?うーん、ちょっと違うかなあ……?」 ノアはまだやや霞んでいる目で天城の横顔を見つめながら考えた――自分達が人間にとってただの消耗品なのだということは充分承知している。でも銀嶺や天城のように……あとほんの少しだけ――人に目をかけて貰いたいと望むのは間違っているのだろうか―― ――ノアは知らないことだが、現政府下の社会では、人造生命体に人間のような感情や欲求があるとは認められていなかった。 喜んだり悲しんだりするように見えても、それは単に、培養技術が進んだ結果起きるただの現象であって、物が燃えるような化学反応の類だとされている。そうでなければ、法律で許されている人造生命体に対する非人道的な扱いを、根本的に改めないといけなくなってしまう。 人造生命体は元々、悪条件な業種の人員不足をカバーするため開発されたものだから、人と同じに扱っては今の社会構造が成り立たなくなる。だから彼らがいくら生物に近くなっても、工業製品――機械と同じに考えておかなければならない。その原則があるせいで、ノアたちがいくら望んでも――人と通じ合うことは恐らくできないのだった。

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