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第4話
「良くない。どきなさい。こら。嫌だって」
「本当に嫌だと思ってる?」
激しく暴れれば抜け出せるかもしれないけれど、もし近衛くんにケガをさせてしまったらと思うとそれもできない。でも、どうやったって冷静になれる体勢ではない。もし誰かに見られたら、言い訳できるような距離でもない。
ともかくなんとか事態を穏やかに解決しようとする俺をからかうように、近衛くんは俺の儚い抵抗を遮って軽く肘を折った。
そのせいで一気に近づいた距離に思わず顔を背ければ、近衛くんの吐息が頬を掠め。
「ね、一回試してみない? 俺、千聡のこと気持ちよくさせる自信あるよ」
そんな風に囁いてきた。
耳に唇をつけるようにして直接吹き込まれた低音と、同時に下半身を擦り合わせるように押し付けられて背筋が一気に粟立つ。
反射的に押し返そうとした手を掴まれ押し付けられれば、本当にもう身動きが取れない。それほど大きくないソファーだから、体勢的にうまく力が入らない上に、密着されて伝わる体温が暴れる力を奪ってしまう。
「や、やだ、ほんとに近衛くん……っ」
こんなことなら、ジムにでも行ってちゃんと鍛えておくんだった。それにもう少し真面目に近衛くんの告白の意味を受け取っておくんだった。
大した抵抗もできずに自分でも弱々しいと思う懇願をすることしかできない俺が思わず目をつぶった瞬間、届いたのは漏れ出たような笑い声。
「ふふふ、かーわいーなー千聡は」
そんな言葉が耳に届き、恐る恐る目を開ければ近衛くんの緩んだ笑顔が見えた。
「先生、こんなことされてんのに俺のこと殴ったりしないとか、優しすぎない?」
「こ、近衛くん……?」
「そういうとこ、好き」
ちゅっと小さな音を立てて頬にキスをした近衛くんは、あっさりと体を起こして俺の上から退くと、さっきまで座っていたソファーの方へ戻っていった。
……あれ、やっぱりからかわれたの?
「近衛くん!」
「……俺、正直言って卒業出来ないと思うんだよね」
冗談にしたってやっていいことと悪いことがある。
焦りすぎてうるさい心臓を押さえながら、一言言ってやらねばと強い口調で名前を呼ぶも、近衛くんはあっさりと違う話題に切り替えた。しかもそれはスクールカウンセラーとしては聞き捨てならないもので、自分の言葉を飲み込んで向かい合わせになるように座り直す。微妙に警戒は怠れないけど。
「なんでそう思うの。ちゃんと頑張ってるでしょ。今日だってちゃんと補習に来たし」
「けど、これからドラマも入るから余計出席日数も危なくなるし、体力もきつくなるし。あんま学校を重要視してないんだよ、俺。だから、無理だと思ったら自分から辞めるかも」
もとより、というか常々近衛くんはそれらしきことを匂わせていた。学校がなければもう少し自分の時間が取れるのに、と。
そりゃもちろん高校は出ておいた方がいいけれど、今の世の中それだけじゃないのは確かだ。自分で選ぶのなら、それだって大きな間違いとは言えない。特に近衛くんが仕事を頑張っているのは知っているし、その上でかなり無理して学校に来ているのも知っている。部屋の隅にある荷物を見ればわかることだ。
ただ、だからと言ってすぐ辞めるというのも短絡的だし、もっと解決方法があるはずだ。それにいざとなればもっと融通の利く学校を勧めるという手もある。ともかく焦って結論を出すのは良くない。
……なにより正直なところ、さっきの騒ぎで今は全然頭が働いていないし、まだ動悸も治まっていないから、一旦時間を置きたいという気持ちもある。ちゃんと考えてほしいし考えたい。
「だからさ、先生約束してくんない?」
だけどいつも時間に追われている近衛くんは、俺が落ち着くのなんて待つ気はないようだった。
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