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第2話ー2

 バンドを組んだのは高校の時だった。ギターのテツとドラムのマル、平木は、ベースを鳴らして歌っていた。音楽経験は精々中学の吹奏楽部だけだった平木と違い、テツは幼い頃からピアノをやっていて、マルは兄の影響でドラムの演奏歴は長かった。とはいえ、何としてでもバンドをやりたいと、同学年の二人を誘ったのは平木の方だったし、好きこそものので猛練習をして、平木もすぐに追いついた。年の離れたマルの兄が仕事の合間にバンド活動をしていて、練習場所を貸してくれたり、社会人バンドのメンバーと一緒に演奏したりと、環境的にも恵まれていた。マルの兄、ヨシさんのバンドは基本的にはカバーバンドだったが、キーボードの松さんはサウンドクリエイターで、オリジナル曲が欲しいという平木たちの我儘によく付き合ってくれた。初めてのオリジナル曲は松さんとテツの合作で、歌詞はメンバー3人で考えた。歌うのはお前と、マルとテツに託された曲のタイトルは『自由』で、青臭いと笑われようが、その瞬間、自分たちは確かに、誰よりも自由だった。  もっと本気でやりたいと、最初に言い出したのは平木だった。3人で、どこまでやれるか試したい。応援してくれたのは松さんくらいで、それぞれの家族とは順当に拗れ、それでもガキ3人、夢と希望を追いかけることを許されたのは奇跡だった。  マルがつけたBONDSというグループ名を携えて東京に出たのは、このまま田舎にいるより可能性があると思ったから……というのは建前で、結局、18歳の3人は煌びやかさに憧れるだけの羽虫だった。そうして、ただ光に向かって飛び込むだけの羽虫には、ライトの届かない暗闇に潜む現実は、一つも見えてはいなかった。1年、2年と時が経つ内、音楽をやりに来たのか、バイトの合間に音楽をやっているのか分からなくなった。このまま終わるのかという焦りばかりが目の前をちらつき出し、その焦りすらもやがては鮮烈さを失い、シェイカーの振り方ばかり様になった24歳の秋。  ー……そろそろ、切りをつけるべきだと思う  天気の話でもするかのような何気なさでそう呟いたのは、マルだった。ほとんど惰性で楽器を鳴らした練習帰り、駅に向かう道すがら、手にしたビールの缶は汗をかいて、ぐしゃぐしゃに濡れていた。  ーもうさ、こっから何年やっても同じだろ  何か、一発逆転の何かがなければ、確かに。ここから先には何もない。夏の夜の生ぬるい闇に溶けた言葉に応じる声はなく、安い運動靴のゴム底がアスファルトをこする音があるだけで、誰も否定はしなかった。上京して6年。夢を諦めるまでの期間として、それが長いのか短いのかは分からない。ただ、内から溢れ出す、求めるばかりで充足のない熱量に、身体も精神も焼け焦げて疲弊するには十分な時間だった。それは確かだ。町に流れる音楽を耳にして、自分たちの音が敵わないとは思わない。才能がないわけではないことも、自分たちの音を好いてくれる人がたくさんいることも、6年間でよく分かった。愛してくれる人はいる。愛される曲も書ける。ただ、唯一無二ではない。テレビで歌う彼らに、負けるとは思わない。ただ、彼らより圧倒的に勝るものがあるかと言われれば、それもない。ライブハウスで平木たちと同じように夢を追いかける彼らにも、負けるとは思わない。ただ、数多の中から自分たちが選ばれるという確証も、自信も、ない。最後は運だ。運と、タイミング。言い訳じみている。それも分かっている。プロモーションのやり方やら、曲調の見直しやら、やろうと思えばやれることはまだまだある。分かってはいても、身体が動かない。努力の向こうになんの結果もないことに慣らされた心が、叫び出す。また、無意味な努力を重ねるつもりか。同じことを永遠と繰り返して、バカバカしいとは思わないのか。頭では抗ってみる。運命などというものは気まぐれで、もしかしたら今この瞬間にも、突然、自分たちの身に幸運が転がり込んでくるかもしれない。続けていれば、いつかは。それは今日かもしれないし、明日かもしれないし、ともすれば、死ぬ直前かもしれない。それでも、やり続けるなら可能性はゼロではない。絶対に無理なんて、あり得ない。ただ、続けてさえいれば……。詭弁だなと平木は思う。続ける気力もないくせに。  ー……別に、きっぱり辞めたいとかそういうんじゃないよ。3人で音楽やるの好きだし、オレも。ただ…音楽を人生の真ん中に据えるのを辞めようって話。趣味でも、いいんかなって。今までオレら、音楽しかやってこなかったし、これから先の人生、それでやってこうって思ってたけどさ……そうじゃない未来もあるんかなって  テツは先日、バイト先の社長に正社員にならないかと声をかけられたと言っていた。ゲームデバックの仕事がどんなものか平木には分からない。ただ、それはきっと、テツの力が認められたからこその結果だろうとは思う。結果。結果ね。  人生は続く。これから先、何年も、何十年も。区切りをつける。それは一つ、必要な選択ではあるのかもしれない。  ー……分かった  平木は言い、ビールの空き缶を片手で潰し、ひしゃげたそれをガードレールの支柱に置いた。カンと軽い音がして、マルとテツの足が止まる。  ー切り、つけよう  でも最後に一回だけ、挑戦したい。  そうして平木が二人に話したのが、最近ゴールデンに進出してきた音楽オーディション番組への出場だった。この番組へはいつかエントリーしてみたいと思っていた。審査員が毎回かなり名の知れたミュージシャンであること、テレビ露出という旨味、優勝者には大手プロダクションへの所属が約束されるという分かりやすさ。何をとっても利点の多いこの企画への参加を躊躇わせたのは、これでダメならもう何をしても無駄だという最後通牒になりはしないかという恐怖心一つで、ならば余計に、最後の挑戦には相応しいと、“いつか”と曖昧だった計画が意図せず定まったに過ぎなかった。  ーこれでダメなら、もうプロを目指すのは止める  自分への宣誓のつもりで平木は呟き、深い紫紺の空を見上げた。  だからといって、趣味にはならない。趣味には出来ないと、平木は思う。口にはしない。テツもマルも、音楽を人生の楽しみにできるのかもしれない。でも自分は。目指すところを失ったらもう、歌えない。きっと、歌えない。この数年、歌うことを心から楽しいと思えないくらいには、歌は苦しかった。ミューズはあまりにも冷徹で、愛しても振り向かない音楽の女神は平木にとってはもう、タナトスも同じだった。だから、戦う意思を失えば、自分はもう二度と歌えない。そう、思った。  ー……おれは賛成  急にはさ、辞めらんないよ、やっぱ。そう言ったのはテツで、それはそうだとマルも同意した。  ー……終わらせるためにやるんじゃなくて、やるからには勝つ気でやる  それでもいいかと平木は問い、二人はそれにも間髪いれずに頷いた。諦めたくて、諦めようと言っているわけではない。趣味でも、出来るかもしれない。でもそれは、本当に欲しい形じゃない。それは、テツにとってもマルにとっても、平木にとっても同じことだった。  ー……曲は既存曲しばり?  テツの問いに、平木はふるりと首を振って応じる。  ーオリジナルも可。1次は書類とデモで、課題曲1と自由曲1。二次は1次の2曲を審査員の前で歌う形式。3次からはテレビ放送ありで、ここは1次で使ったのとは別の自由曲1曲、次が決勝で3次とは別の自由曲1曲。  課題曲抜いて全部で3曲とマルが呟き、1次選考の曲ってどれがいいかなとテツに話を振った。デモ審査ならインパクト重視だから、と応じたテツはすぐに、ぶつぶつと一人で何やら呟き出す。  ー……まあでも、決勝曲はあれしかないだろ  そのまま、思考の海に沈もうとするテツを横目にマルがそう言い、うんと平木は頷いた。  ー『自由』  声を合わせた平木とマルは知らず笑み、いつのまにかぶつぶつを止めたらしいテツは、折角ならアレンジ変えようと弾んだ声で言った。始まりに相応しいのは、そして多分、終わりに相応しいのも、この曲しかなかった。

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