4 / 27
第2話ー3
そこからの半年は準備に費やし、年明けの4月から始まった選考会で、BONDSは順調に勝ち進み、ブロック予選に当たる3次選考も、2位通過とはかなりの差をつけて首位で抜けた。そして決勝で、平木はあの声と出会った。
余計なことは考えない方が集中できると、3次予選のVTRは見ていなかった。だから、BONDSのいたブロック以外の参加者は全く知らぬままその日を迎えていた。平木がその声に出会ったのは、リハ室での発声を終え、待機用の部屋に入ったときだった。生放送の決勝は、時間の都合上ステージ変換が困難で、テツとマルは画面外のセットでの演奏になるため待機場所が違い、平木は一人、机と椅子が並んだだけの殺風景な部屋に入った。そこにはすでに数名の参加者が控えており、各々の決意を持って出番を待つその場所は、奇妙な静けさと緊張感に満ちていた。部屋の前方にはテレビが一台置かれており、現在放送中の生放送の映像が見られるようになっていたが、部屋にいるスタッフが進行状況の確認をするのが主な目的のようで、音量はかなり絞られており、気が散るほどの賑やかさではなかった。
ー……お次は、本コンテストファイナリストの中で最年少!浜崎茉莉くん、10才の登場です!
司会者の声が耳に入る。10才という年齢が、平木の興味を引いた。すごいな。10才。自分が歌い始めたのは高校に入ってからだ。音楽を始めた、というくくりならもう少し早い。それでも、13才。10才でここに立つというのはいかほどのものなのか、興味が湧いた。
目のくりっとしたした可愛らしい子供だった。喋りは子供らしくたどたどしく、インタビューに答える様子からは緊張が伝わってくるようで、隣に立った司会者が時おりフォローを入れてやっとなんとかその場に立っているといった様子で、まあこんなものかと少し気を削がれはしたが、どうせ時間はあるのだからとテレビ画面を見続けた。
ー……では、歌っていただきましょう!
選曲は、平木も何度も耳にしたことのある、女性ヴォーカルのメロディアスなナンバー。原曲キーで音が始まり、子供の声ならここまで出るのかと少し驚く。イントロ7小節の間、少年は身体を左右に揺すってリズムに乗っており、歌い出しに向かって段々と身体の緊張が解れていくのが、見ていてわかった。
歌い出し。
平木には揺るぎなく確信していることがひとつあった。歌の上手さは、最初の一声を聞けば分かる。歌詞の意味が分からずとも、リズムが好みでなくとも。上手い歌には、最初の声一つで引き込まれてしまう。
浜崎茉莉が歌を歌い出した瞬間、平木はああ、と思った。才能。才能を見た。これが、唯一無二だ。声一つで、世界が変わる。引き込まれる。浜崎茉莉という世界に、吸い込まれてゆく。聞き惚れてしまう、声だった。歌が、喜んでいる。あの声に歌われる歌は幸せだと、平木は心の底から思った。技術の面では、まだまだ粗が目立つ。が、それを凌駕する声を持っている。高音の響きと、透明感。神からの贈り物。この少年は、そういう声を持っている。
今まで、自信を持って、“絶対に勝てる”と思えたことは一度もない。けれど、“絶対に勝てない”と思ったことも、一度もなかった。足掻けば、走り続けていれば、絶対に追いつける。走り続ける気力が枯れかけていても、追いかけて追いつかないものはないと、その負けん気だけは持ち続けていた平木にとって、それは、はじめて感じる、明確な敗北の感覚だった。
歌い終わりまで食い入るように画面を見つめ、彼が出番を終えてすぐ、名前を呼ばれるのも待たずに部屋を出た。スタッフは皆忙しく行き来しており、平木を止める者は一人もなかった。
ー……浜崎、茉莉……くん?
ステージ袖。沢山の人が行き交う暗い暗いその隅で、彼はパイプ椅子に座って俯いており、声をかけると、眠たげな眼がこちらを向いた。子供だ、と思う。あどけないその表情からは、ミルクの甘い香りが立つようだった。疲れて眠くなったのか、状況が読めないとばかりにしかめられた眉を見て平木は笑い、視線を合わせるために跪く。
ー歌、好き?
唐突な問いに驚いたのか、彼は少し目を見開き、一瞬遅れて、分からないと答えた。分からない。心臓がどくりと音を立てた。身体中の血液がぞろりと不穏に蠢く。分からない、だと?腹が立った。こんな声を持っているくせに、その言いぐさはなんだ。音楽を愛さない人間が音楽に愛されて、こんなにも愛を注ぐ人間を音楽は愛さない。少年の視線が逃げてゆく。ふざけるなよ。
ー……俺は、好きだよ
浜崎の答えにふうんと応じて立ち上がり様、小さな体にぶつけるように言葉を投げると、気配を感じ取ったのか、浜崎はぴくりと肩を揺らしてこちらを見上げた。こぼれそうに見開かれた目に、どこかの照明が映り込み、きらりと光った。こちらを見上げる浜崎の眉がきゅっと寄せられ、平木は一瞬、泣くのかと思ったが結局、彼は泣かなかった。
ー……すごいいい声してたから。曲、書かして欲しかったんだけど。好きじゃないならいいや
見下ろすと、彼はやはり子供で、大人げない言い方をしたと平木は束の間反省し、謝罪の意味を込めてその小さな形のいい頭を撫でてみたのだが、結局優しくできず、平木の手はほとんど振り払われるようにしてほどかれた。タイミングよく名前を呼ばれ、ばいばいと彼に言い置いて離れ際、乳臭い子供の顔を再度視界に入れると、沸き起こるのはやはり怒りにも似た衝動で、ステージに立つ直前、平木の中にあったのは、お前にだけは絶対に負けないという、燃えるような決意一つだった。
結果、その番組でBONDSは優勝し、事務所所属が決まった。
ともだちにシェアしよう!