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第3話-1

 二次会はカラオケでーす、という幹事の声を聞きながら、どうしようかと考える。合コンは5対5の大所帯で、抜けようと思えば抜けられないこともないのだが、浜崎以外は全員行くつもりでいるようで、それならば、ここで帰って水を差すのも悪いかとも思う。何にしろ、ここは暑過ぎる。昼間の熱を溜め込んだアスファルトから湯気のように立ち上る熱と、人々が発する熱気と湿気。駅前の広場は週末はいつも祭りのような賑々しさで、すれ違う人と体が触れるたび、どこでもいいから涼しい場所に入りたいと、そればかりが思考を侵し、冷えた飲み物が既に恋しかった。さあ、どうしようか。  なんやかんやと声をかけてくる川口の誘いを断らないのは、もしかしたらと思うからだ。もしかしたら、出会えるかもしれない。この、如何ともし難い焦燥を引き受けてくれる相手と、今回こそは。焦燥というよりも、寂しさに近い気もする。じりじりと胸が焼かれるような、物悲しい感覚。でも同時にそわそわもするような、そんな感覚。昔は、なかった。平木について歌い始めてから少しずつ、この感覚が体内を侵し始め、今では常に、浜崎の内を騒がせている。  大学1年の秋に一度、同じ大学の女の子と付き合った事があった。彼女とは第二外国語のクラスが一緒で、浜崎がバンドをやっていることを知り、聴きたいと言ったのが最初だった。そうしてライブの後、彼女は一言、別グループの演奏が一番好みだったと浜崎に告げたのだ。  ーHi-vox.も良かったけど、あの子の方が浜崎くんより語尾の歌い方が綺麗だった  別に音楽やってるわけじゃないし、ちゃんとは分かんないけど、私はあの子の歌い方好きだったな。  むっとして、だから、歌い方を研究した。言われた時には気付かなかったが、確かに。彼女が言った通り、そのグループのヴォーカルの歌い終わりの音のまるめ方は完璧で、浜崎はその辺りがいい加減だった。どう声を出したらいいのか、自分なりに工夫した。その変化を花田は多分汲んでくれて、あの頃、こう聴こえた、こうしたらもっといいかもと練習中に珍しく何度もコメントをよこし、それには結構、助けられた。  二度目は、浜崎から声をかけた。もう一度、聴きに来て欲しい。  今度こそ、Hi-vox.が一番だと言わせたくて、浜崎はその時、平木と彼女のために精一杯歌った。平木の反応はいつも通り。改善点をいくつか指摘され、浜崎はその全てにうなづいた。いつも通りのやりとりだったのだが、その日はなぜか、浜崎は少し、がっかりしていた。いつもと変わらないやりとりで、いつもと違う気持ちになった。  ーすごい!すごく良かった!  彼女は満面の笑みで言った。  ー変えたのって語尾の歌い方だけ?聴こえ方全然変わるね!  浜崎くんのとこが一番ステキだった!  満たされた、心地がした。それから、彼女と話す事が増え、好きだと告げられた時も驚かなかった。この充足感が“好き”という感情の一端なのだとすれば、それは本当に素敵だと、そう思った。  それからの数ヶ月は何の問題もなく過ぎた。彼女のことを可愛いと思っていたし、一緒にいて楽しかった。浜崎なりには大事にしていたし、好きだった、つもりでいた。  ー……茉莉は、私のこと全然好きになってくれないね  だから、そう言われた時は寝耳に水で、浜崎は咄嗟に好きだよと返したのだ。  ー……茉莉が好きなのは私じゃなくて、私に好かれてる自分でしょ  愛されたがってるんだよ。愛されてるって実感が欲しいだけで、愛してくれる人が誰だって、茉莉は構わないんだと思う。  私じゃなくてもいいんじゃないかなと彼女は言い、君がそう言うならそうなのかもしれないと、浜崎は思った。愛されたがっているのかは、よく分からない。ただ、もし。愛されることと認められることが同義なのだとすれば、自分は確かに、愛されたがっているのかもしれなかった。そうして振り返って考えてみれば、彼女に感じる充足感は、ステージからこちらを見上げる平木を見つけた時の感覚に、よく似ていた。  誰でもいい訳じゃない。が、確かに。彼女は、本命の代替でしかなかったのかもしれなかった。それでも、彼女の存在に満たされたことは確かで、代替ではない何者かに出会える可能性がゼロではないのなら、探してみるのも悪くはないと、そう思った。それ以来こうして探してみてはいるのだが、友人にしろ恋人にしろ、そういう相手には未だ出会えておらず、実際のところ今やほとんど諦めかけており、知らない相手ばかりの飲み会は今はもう、もともと人と話すのが好きな浜崎の気晴らしの一つといった位置付けだった。  「……浜崎くんは行くの?」  右隣から声がかかり顔を向けると、綺麗に切りそろえられたショートボブをくるんと揺らした女の子がこちらを見上げており、不自然にならない一瞬の合間、数時間前の自己紹介の記憶を辿り、大貫という苗字一つを探し出した浜崎は、にこりと笑ってみせる。  「んー……ちょっと迷ってるんだよね。大貫さんは?」  「えー、行こうよ。私行くよ」  アルコールのせいか自己紹介の時よりもリラックスした様子の彼女は、浜崎のTシャツの裾をちょっと摘んで引っ張りながら、浜崎くんともっと話したいなとちょこんと首を傾げて言った。あざとい仕草に、ホントに?と笑って応じ、彼女の後ろにいる川口にちらりと視線を流す。浜崎をここに連れ出した張本人はこちらに背を向けて盛り上がっており、このまま二次会に流れることは必至で、終電までまだ時間もあるからと参加の方向に気持ちが流れ、じゃあ行こうかなと言いかけた瞬間。ヴーッと、前掛けにしたボディバッグの中でバイブレーションが騒ぎ出し、取り出した携帯の画面に表示された名前を見てすぐに、大貫にちょっとごめんと断って人混みを抜け出した。きょろきょろと辺りを見回し、物音が多少マシな通りの隅に寄って通話ボタンを押す。  「はい」  「……あれ?お前どこいんの?」  一瞬の沈黙の後、電話越しに周囲の賑々しさを拾ったらしい平木が言った。カラフルな雑踏の中、耳に押し当てた電話の音に耳を澄ます。  「新宿。今日飲み会だったから」  「飲み会?……あー、じゃあいいや」  飲みすぎんなよ、と言葉が続く。分かっている。明日は練習がある。だから今日、浜崎はアルコールは最初の一杯だけで、二杯目からはずっとソフトドリンクだった。明日の練習には平木も来る。酒焼けのみっともない声は絶対に聞かせたくなかった。完璧は無理でも、最高でいたいと、そう思う。平木の前ではいつも、その瞬間の、最高の自分でいたい。そうでなければ、この男の魂には絶対に触れられない。認めてなど、貰えない。  「……でももう終わったから帰るよ」  じゃあと電話を切りかけた平木をそう言って止め、何だった?と問い返すと、ならコンビニでいいからなんか食うもん買ってきてとそれだけ言って、平木は一方的に電話を切った。  「……あ、浜崎くんいた!皆移動するってよー」  丁度そのタイミングで声がかかり、浜崎は声の方に顔を向けた。耳に当てた携帯を胸元に持ち変えながらきょろきょろと辺りを見回し、すぐそばを元気の良い女性集団が通りすぎたとき、その向こう側に頭一つでかい川口の姿を見つけ、その隣で一生懸命振り回される手に気づく。距離にすれば3メートルもないのだが、大貫の姿は人混みにまみれて視認できず、ひとまずは川口に向かって片手をあげて合図を送る。それに気づいた川口は、そこで待っててと声を上げ、人混みに目を転じてタイミングをはかり始める。そうしておいて、人混みの切れ間にちらりと見えた大貫にも手を振ると、それに気づいた彼女はふわりと笑い、その場から一歩、足を踏み出す。  「あぶなっ」  思わず声が出る。進みかけた大貫を川口が引き戻すのが見えた。平木と彼らの間を、結婚式の帰りらしい華やかな一団が行き過ぎる。  誰も、手を振る彼女を通そうとしない。見えていないのだ、きっと。数多の中の一人。すれ違うだけの他人。興味を向けなければ、他人など見えはしない。だから。だから、平木の目に自分が映り込んだこの幸運を、浜崎は噛み締めている。いつも。  「……ごめん、やっぱ行けなくなった」  人混みをかき分けてようやく近づいて来た二人に、浜崎はごめんと手を合わせた。  「なに?練習?」  浜崎の手にした携帯にちらりと視線をやった川口が、こんな時間から?と怪訝そうに眉を寄せる。  「練習、じゃないけど……呼び出し」  「あー、例の…ヒラキサン?」  BONDSの、と川口が言い、ぼんず?と大貫が川口を振り返った。  「結構流行ったから知らない?俺らが小学生くらいの時の、スリーピースバンド」  「……んー……あ!聞いたことあるよ。すごい人気あったのに、急に辞めちゃったって」  辞めてなどいない。平木の中には今も、じりじりと燻る火種がある。あと少し。あと少しだと浜崎は思う。あと少しで、平木桃矢は、浜崎の憧れは、また燃え出す。俺なら、あの人の火をまた灯せる。確信していた。

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