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第4話-3
「……やりたい、とは思うけど」
問題がある。
「問題?」
「……書きたいけど……書ける自信がない」
BONDSとしての活動を辞めてからの8年間、歌曲制作はHi-vox.の曲に限定しており、自分が歌う曲はもちろん、他のアーティストへの楽曲提供もない。劇伴メインで音楽の仕事に復帰した当初は歌曲制作の依頼もそれなりに来ていたが、あの当時は全く作れる気がせず、歌曲依頼はすべて断っており、そういった状況が知れ渡ったせいか、最近はそういう仕事の依頼自体全くなくなっていた。平木自身も、浜崎の歌う曲以外の曲を書く可能性があるかもしれないという想定自体が頭から消えており、この状況に頭が追いついていなかったが、あの当時と今でどんな心境の変化があったのか、今は不思議とやりたい気持ちの方が勝っている。とはいえ、気持ちだけで書けるものでもない、とも思う。書きたいと書けるがイコールであれば、それほど楽なことはない。書きたいのに書けないから、苦しい。書きたいと思っていても、書けない。だから、平木はトーヤで居られなくなった。
平木の言葉を聞き、藤巻は一瞬きょとんとした後で、こらえきれないというように笑った。
「自信がない?トーヤさんが?」
あり得ないでしょと肩を竦め、テーブルの上の指先を組み替えた後で、藤巻は、ファンなんですと唐突に言った。
「ファンなんですよね、BONDSの。っていうか、トーヤさんの。曲も歌も全部好きだし、今も、あなたに敵うアーティストはいないと思ってる。オレにとってはトーヤさんがナンバーワン。だから」
藤巻はそこで言葉を切り、前かがりだった身体をすっと後ろに引いた。その時、それまで藤巻の身体に遮られていた日差しが真っ直ぐに平木の目を刺し、平木は咄嗟に目を眇めて、光を背負う藤巻を見た。
「オレはあなたを超えたい」
ガタン、と、風が窓を鳴らした。平木はびくりと肩を揺らし、藤巻は一切動じなかった。
視線が、痛い。まっすぐにこちらを見つめる藤巻の、その純粋な瞳が痛い。痛いほどに突き刺さる視線に、平木は身の底から震えがくるような恐怖と、胸が張り裂けそうなほどの歓喜を同時に覚え、一時、呼吸を忘れた。ナンバーワンに、一番になりたい。あなたを超えて、一番になりたい。
最初は、ごくごく純粋な思いだったはずだ。初めてベースを鳴らしたとき、あの時は、弦を弾いて音が出たという、それだけのことが嬉しかった。鳴らすだけで楽しかった。鳴らし続ける内、次には、もっと上手く弾きたいと思うようになった。もっと上手くなりたい。上手くなりたいから練習した。音が重なり音楽になると、今度は歌いたいと思った。音と声が合わさる瞬間が好きだった。ステージに立つようになって、自分よりもずっと上手い人たちが沢山いることを知った。今度は彼らを、超えたいと思った。もっともっと、上手くなりたい。あの人よりも、あの人よりも、上手くなりたい。誰よりも、上手くなりたい。一番になりたい。悔しさとか、挫折とか、現実とか、理想とか。そういうものがぐちゃぐちゃに絡まって、絡み付いて、少しずつ覆い隠していつの間にか見えにくくなっていたけれど。平木の内にあるのもただ、誰にも負けたくないという、ごくごく純粋な思い一つだった。最初から、多分、それだけだった。
そして、藤巻にとって、超えるべき相手は俺なのか。
「……見に来て下さいよ、ライブ」
不遜な笑みでそう告げて、藤巻はすっと席を立った。
「黒澤さん、トーヤさんはやらないと思うって言ってたんで、オレ的には書きたいって言って貰えただけで今日は満足です。自信がないのはトーヤさんの問題なんで、オレは何も出来ないけど……でも多分、EndLandのパフォーマンス見たら書きたくなると思います」
だから返事はライブの後でと藤巻は言い、また近々よろしくお願いしますと頭を下げて、早々に出て行った。平木は、一人になった。
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