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第4話-6
-売り出し方として、ケイは参考になる
以前、平木が言っていた。結局、何がやりたいのかがはっきり分かるグループでないと、固定のファンはつかない。すべての人に好かれる必要はない。ただ、”誰かに刺さる”何かがないと、聴いてもらえる歌手にはなれない。一本芯がないと、聴き手には伝わらない。その芯を、藤巻圭は持っている。そして、
-お前の芯は、声
あれはいつだったか。確か、昨年の春。EndLandデビューの報の少し前。Hi-vox.も参加した対バンライブで、トリのEndLandのパフォーマンスを見ながら平木はそんなことを言った。浜崎たちの出番は少し前に終わっていたから、メンバーはそれぞれ思い思いの場所でステージを見ており、浜崎と古澤は平木の側にいた。
-声って、
つまりそれはどういうことなのか。それを問うため浜崎は平木を向いたのだが、その横顔を目にした瞬間、発しかけた言葉を思わず飲み込んだ。あの日、浜崎が見つめた平木の横顔は、今までには見たことがないような昂った表情で、その目は真っ直ぐに、ステージ上の藤巻に向いていた。心臓が、ずきりと痛む。ステージで歌う自分をみる目とは違う。自分に向くのとは違う熱を、平木はその時、藤巻に向けていた。驚きと焦り、そして、怒り。その目はなんだと、声にする前に身体が動いた。
ーっ!
横から腕を伸ばして胸ぐらを掴むと、平木の喉からは詰まったような呻きが漏れた。突然のことに驚いた平木が体勢を崩しかけてぐらついたのを、腕の力でその場に引き立てる。強く引いた肘がすぐ隣にいた古澤にぶつかり、数秒置いて、どうしたと慌てた声を出した古澤が浜崎の肩を掴んだ。
ー……何
腕力で強引にこちらを振り向かせてみても何の満足もない。分かりきっていたことだ。平木が古澤の腕を振り払った直後、ふらつきから立ち直った平木は、次の瞬間にはもう、恐ろしいほどの無感動を浜崎に向けており、ガラス玉の目玉は凪いだ湖面のような静けさでそこにあり、その奥を見通そうと目を凝らしてみても、焦燥と激情に上気した自身の輪郭が鏡のように写り込むばかりで他には何もなく、気勢を削がれて何でもないと手を離した浜崎に、平木は何も言わなかった。その後、平木の視線は再度ステージに向いたが、浜崎の見つめる前でその無表情が崩れることは二度となく、隠された本心に触れられないことが、ひどく歯がゆいと思った。
「……折角来たんだから良く見とけよ」
あと1年で追い抜く、と隣で平木が言い、より優先順位の高い“今”のために、浜崎の物思いは霧散する。夢と現の合間で言葉が意味を成すまでの数秒、焦点の合わない目はアリーナを埋め尽くす数万のオーディエンスのさざめきをぼんやりと映していたが、バラバラだった言葉と意味が脳内で繋がった刹那、追い抜くという言葉の不穏、明確に笑いの滲んだ声音の珍しさにはっとした浜崎は勢い良く平木を向いた、が、ちょうどその時。
ふっと、会場の照明が一斉に落ち、ざわめきが一瞬にして静まり返る。瞬間、膨れ上がる期待が、熱気になって場内を満たす。息を吐くのすら憚られる静寂の中、ぱっと灯った明かりがステージの中心に小さな円を描く。抑えきれずに飛び出した悲鳴のような歓声がいくつか、そこここで聞こえたが後は続かず、照らされた無人のステージは、ひりつくような緊張感を放ち、主の到着を待っていた。ぞわりと、腹の底から溢れてくるものがある。この感覚を知っている。規模の違いは確かにある。でも、同じはずだ。今、どこかでスタンバイしている藤巻の内に渦巻いているであろう喜びと興奮も、吐き気がするほどの不安と緊張も、多分。浜崎が知っているそれと同じはずだ。ごくりと、喉がなる。平木の横顔がステージ上の灯りを受けて微かに白く浮かび上がる。見間違いようもなく明確に、その口元は笑っていた。喜びと不安と興奮と緊張と。あのステージの上にある有象無象、その全てを、誰よりも知っている男は、そうして静かに笑っていた。
まただ、と浜崎は思う。平木はまた、藤巻のために、見たことのない顔をする。ぞわりと、全身の毛が逆立つ感覚が浜崎を襲い、知らず唇を噛み締める。あの目を、こちらに向かせたい。俺だけを、見て欲しい。この男に火を灯すのは、自分でありたい。自分だけに許されていると、そう、思いたい。
スポットライトの奥の暗がりから、ドラムの音が響く。控えめなリズムにギターの音が重なり、すぐに、プツリと音が途切れる。
「……Listen」
ケイの声が、響く。前の席の観客から、フライングの歓声があがり、ウェーブのように後方に向かって伝染する。ステージの奥から、丸いスポットライトの中にスニーカーのつま先が差し入れられ、黒いパンツの裾、太もも、上半身が順に現れる。演出された、数秒の永遠。藤巻の全身が光の輪の中に入った瞬間、会場全体に割れんばかりの歓声が響く。その直後、光がステージ全体に拡散し、明るく照らされたドラムセットから腹に響く爆音が打ち鳴らされる。
印象的なイントロと、耳に残るメロディライン。アニメ主題歌に起用されたEndLandのデビュー曲。
惹かれる。確かに。どうしようもなく惹かれる。平木を見ていたはずの視線が、気がつくと藤巻を追っていた。声、動き、全て。元々、上手かった。ライブハウスで一緒にやっていたときから、上手くはあった。が、ここまでではない。ここまでの存在感はなかったはずだ。自信。自信と、自負。密度が違うと、そう思った。声ひとつ、音ひとつに籠る、情念の密度。
負けていると、思ったことはなかった。今日まで。今日、今、この瞬間まで。曲は、負けていない。それは今も、確信している。歌い手の差だと、浜崎は思う。声の出し方、抑揚の付け方。細かなところまで意識が行き届いているのが分かる。大事に、歌っている。何度も、何度も何度も歌ったはずの曲にも、奢りがない。届けようという意識がある。多分、そこが違う。自分と、今、ステージに立っているあの男とで明確に違うのはそこだと、浜崎は思う。ただ歌うのではない、届けようとしている。だから、惹かれる。今ここにいる全ての人が、藤巻から何かを受け取っている感覚を共有していて、それが、技巧以上に、肉声のライブ感、今ここにしかない感じを伴って、胸に刺さるのだ。心が動く、歌がある。その曲を聴く人のために、藤巻は歌っている。藤巻に目を奪われたまま、ぐっと強く、拳を握りこむ。悔しかった。負けていると思った。そう、思ってしまった。気持ちで負けている。心の持ちようで負けている。
「……っ、ありがとう!」
圧巻の20分のラスト、藤巻の言葉は場内の喝采に掻き消されんばかりで、スクリーンに大写しになった男はイアーモニターを外すと、マイクを握ったまま両手を上に振り上げ、達成感に溢れた笑顔で大きく手を振り頭を下げた。終わらない歓声。会場全体の一体感。オープニングとして、これ以上の出来はない。浜崎は、もう一度大きく頭を下げて捌けていく藤巻を、見えなくなるまで見送った。
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