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室内の様子が視界に入ると、通路の闇で暗さに慣れていた栗崎の眼は、すぐにここがトイレではないことには気が付いた。
薄暗がりの広い室内では、揺れる蝋燭の灯りだけを頼りにそこかしこのテーブルで男性同士が親しげに寄り添っている。
栗崎は室内を歩きながら、(店内に戻ってきてしまったのか?)と一瞬、そう思ったのだが、すぐに元のバーではないことに気がついた。
なぜなら楽しげに会話していると見えた男性同士が、よく見ると濃厚な口づけを交わしていたり、半裸に近い格好で抱きあったりしていたからだ。
「!」
驚いた栗崎はすぐにこの室内から出ようと踵を返す。しかし、思った以上に中に歩き進んでいたのか、すでに出口が遠い。
(なんなんだ、ここは……! 出口はどこだっ)
男性同士の愛を囁く声や喘ぎ声が始終耳に届き、狼狽する栗崎はその雄たちが醸し出す濃密な色香に、目眩を感じそうになる。
向かい合ってキスをしながら会話している者達、膝の上に乗せた相手の胸元をまさぐっている者達、ソファで覆い被さったり、足元に跪いている者達。
『男同士の恋愛』
頭では知っていたが、こうして目の前で現実に見ると栗崎はひどく混乱する。
そして、目の前のカップル達に戸惑って方向転換を余儀なくされた時、栗崎の目にステージのようなものが飛び込んできた。
「!」
二度目の驚愕が栗崎を襲い、その場に立ち尽くす。
一段高くなったそこでは、冷たく光る青白いライトの中で三人の男達が絡み合っていた。
全裸で四つん這いになった中央の男は、目の前の男の猛々しく反り立ったものを口に含み、かつ背後からはまた別の男にその臀部を掴まれ激しく突き上げられている。
(な、なんでこんなこと……!)
「あっ…んんっ…!」
律動の度に中央の男は官能の喘ぎを漏らす。そしてよく見ると、その両手首はジャラッと鎖を垂れた黒色の手錠で繋がれていた。
もちろん、他人のセックスを見ること自体初めての経験であるのに、それが男性同士、しかも三人だったら尚更、その刺激の強すぎる光景に栗崎の脳は眩むような衝撃を受ける。
「はぁ…はあっ、ああ…」
男たちの荒い息遣いと喘ぎ声が辺りに満ちている。テーブルの客たちはステージの様子を愉快そうに眺めたり、自分達の行為に没頭したりしている。
栗崎は困惑と酩酊と興奮とに囚われながら、その三人から目が離せないでいた。
というよりも、栗崎の視線は中央の男に注がれていた。
両端に居る鍛え上げられた肉体を誇るように立っている男たちとは対照的に、光に照らされた肢体は伸びやかで若々しい。
二十代半ば位だろうか。その滑らかな肌は熱を内に孕みながらも鈍く雪色に光っている。
黒を通り越して蒼く濡れたような艶を纏った髪の毛が端正な額に乱れかかる。そして目を瞑った横顔から窺える鼻梁の気品ある高さと形が、栗崎の目を離さなかった。
「ん、んんっ…!」
そして、降り積もった雪を汚すように、手首の黒い鎖が両端の男たちに揺さぶられる度に鳴っている。その様は中央の男の自由と尊厳とを奪い、苛んでいるかのようにも見える。
『ドクン、ドクン、ドクン…』
栗崎の心臓は内側から激しく胸を打ち、自らの目を覚まさせようとするが、ただただ男を見つめ続けることしかできない。
「……うっ」
その時、こもった呻きを漏らし、前方、後方の二人共の男が達したようだった。男たちは中央の男の口内と体内に数回腰を打ちつけながら精を注いでいく。そして満足したかのように男たちが離れステージから消えると、中央の男の顔が初めてはっきりと栗崎の眼前に現れた。
「……っ!」
目の前の男は、栗崎が息を飲むほどに美しかった。
栗崎の目はその男の冷酷なほどに整った貌にある、切れ長の双眸に惹きつけられていく。翳りを作るほどの長い睫毛の奥、湿度を限界にまで保ち、引力を持つかのような漆黒の瞳。
(なんて……綺麗な目……なんだ)
栗崎は激しく波打つ心臓を抑えるように胸の前のシャツを右手で握り締める。
男は快感の澱に淀んだような表情で口元から一筋の白濁を零しながら、そんな栗崎の顔を蠱惑的な眼差しでじっと見つめ返してきた。
二人の視線が交錯する。
「!」
そして、男の瞳は当惑する栗崎を捉えたまま、静かにゆっくりと伏せられていく。
その刹那。
相手を見透かすほどの妖艶な瞳の奥に、ふと異なる色が垣間見え、栗崎の胸に鋭い痛みが走った。
それは、今にも叫び出しそうなくらいの悲痛さを必死に覆い隠したような、哀しい色だった。
(なぜ、そんな目をするんだ……)
男の瞳が全て閉じられ、栗崎の唇が疑問を形にしようとしたその時、ステージの明かりが突然落とされる。
「っ」
栗崎の目の前には何もなかったかのような闇と静寂が訪れた。
栗崎は悲壮美とも言える男の様相を目の奥に焼き付けたまま、しばらくその暗がりを見つめ続け、立ち尽くした。
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