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「おっ、栗崎さん、どこ行ってたの?」
やっとの思いでバーの店内に戻ってきた栗崎に白石が明るい声をかけてきた。
「あ、いや、トイレを……」
「トイレなら逆だよ?あっちの角」
白石に教えられたとおりに向かうとすぐにトイレは見つかり、栗崎はやっと用を足した。
さっき自分が見たものは何だったのか。
白石の隣には、優しげで体格のいい男が並んで立っている。幸せそうな顔をした白石に、栗崎はなぜか先ほどの光景を口にはできなかった。
***
翌週の金曜。
栗崎は仕事帰りにあのバー「ヒヤシンス」を一人で訪れていた。
「栗崎さん、いらっしゃい」
入り口の扉を開くとすぐにマスターが声を掛けてくれる。
栗崎はマスターからウイスキーを受け取ると、店内が見渡せる奥の小さな丸テーブルに一人立って飲み始めた。
この一週間、バーの地下で見た男の目が栗崎の脳裏から離れなかった。
掻き消そうとするたび、余計鮮やかにあの姿態が、美しい貌が、悲痛な瞳の色が蘇る。
最初はただ快楽を貪っているだけのように見えた。しかし、最後の一瞬の隙に見えた痛々しい程の瞳が、栗崎の心を揺さぶり続ける。
(くそっ、俺は何してんだ……)
そう自分に悪態を吐きながらも、もう一度あの男に会いたいという衝動に駆られていた。
今日も店内はゆったりと男性達の笑い声が響いている。栗崎はくまなく店内を眺めてみたが、探す男は見当たらない。
(やはり地下のあの部屋じゃないといないのか?)
栗崎は、先週通った地下の通路に繋がる真っ黒な扉を探して店内を移動した。先週は酔っていてわからなかったが、見つけた扉には『staff only』と小さな文字が書かれていた。
栗崎は回りに人がいないことを確かめ、扉のノブに手をかける。
『ガチッ』
しかし、扉には鍵がかかっていた。
栗崎は溜息を吐きながらその扉を開けるのを諦め、また丸テーブルに戻る。
先週はどうして開いていたのだろう。あの先にある部屋は一体何なのだろう。あそこにいた男たちは何者なのだろう。
そんな疑問を抱えながら、マスターなら何か知っているかも知れないと栗崎は考えたが、カウンターの中のマスターを見やると、一人忙しそうに立ち働いていて声が掛け辛い。
それに、開けてはいけない扉の中に入ってしまったようで、栗崎は躊躇し、一人酒を飲みながら思案を繰り返していた。
「一人?」
そんな栗崎の背後から声がかけられた。
「え、……あっ」
突然のことで栗崎は手元のウイスキーを落としそうになる。振り返ると、三十前くらいのサラリーマン風の茶髪の男がグラスビールを片手に立っていた。
「大丈夫?」
茶髪の男はそう言って軽く笑うと、栗崎の手ごとグラスを掴んだ。
「!」
その行為に栗崎は驚きながらも、失礼にならないようゆっくりとグラスをテーブルに置き、手を自然と離した。
男はそれを残念そうに見やりながら栗崎に質問を始める。軽い感じの男だが、整った顔立ちは世間一般から見ればイケメンと称される類の男なのだろう。
「ここ初めて?」
「二回目だ」
「やっぱり。今まで見たことない顔な気がして。あんた、遠くからでも目立ってたから、勇気出して声掛けてみたんだ」
茶髪の男は意味ありげな微笑みを頬に浮かべる。
(ここに一人で来ていたら、声を掛けられて当然だよな……)
栗崎は目の前の男に申し訳ないような気持ちになりながらも、新たに店内に客が入ってくるたびに、あのステージの男ではないかと視線を泳がせ、気もそぞろになる。
「……え?」
そんな栗崎は男の話しをよく聞いておらず、肩をつつかれやっと男の顔を見た。
「だから、この後の予定は?よかったらどう?」
茶髪の男は栗崎の手の甲を自分の手のひらで包んだ。
「……すまない、俺は……」
ゲイじゃない、そう言いかけて口を噤んだ。
(あの男に会いたくてここまで来た俺は、一体何なんだ……?)
「すまない、今日はもう帰る」
栗崎はそう言い直し、その手を振り切るようにテーブルを離れる。
「残念」
後方で舌打ちとともに茶髪男の声が聞こえた。
「はあ……」
逃げるようにバーから出ると、通りに出る階段を上りながら溜息を吐いた。
(もうここに一人では来れないな……)
そう考えながらも、あの男の哀しい目を思い出すと栗崎の胸はギュッと掴まれる思いがした。
(あんな目をするくらいなら、なぜ自分を虐めるようなことを……)
『ドンッ』
俯いたまま階段を上り切り、通りに出た瞬間、栗崎は目の前を横切る人物にぶつかってしまう。
慌てて顔を上げた。
「すみません、お怪我はないで……っ!」
しかし、その顔を見るなり栗崎は声を詰まらせた。
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